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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第三部
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第四章 王太子の戴冠(2)

 アイザに用意されていた部屋は、豪奢というわけではないがやはり無駄に広かった。

 以前軟禁されていたときの部屋のほうが狭いくらいだ。奥に寝室や浴室まである。寝室に備えつけられていたクローゼットのなかには、既にびっしりと洋服が詰め込まれていた。

「うわ、すげ」

 部屋の中をあちこち見て回っていたガルが、アイザの後ろからクローゼットを覗き込んでそう零すほどだ。

「……これは?」

「殿下が用意した」

「……こんなに?」

 舞踏会に着るようなドレスも何着かある。……必要なのは一着だけだと思うのだが。

 じとりと睨みつけるアイザに、タシアンは肩を竦めた。

「俺が何を言ったところでどうにかなる人じゃない」

「とにかく、着替えたほうがいいんだよな?」

 溜め息を吐き出しながらクローゼットの中を見る。量は多いが、アイザの好みを考えてくれたのかシンプルなものが多い。

「そうだな、おまえが着替えたら殿下に挨拶に行かないと」

「先に伝えてきます」

 レーリがそう言って部屋から出て行く。

 突然会いに行けるような人ではない。本来ならばこの手順もありえないほど簡略化しているはずだ。

「向こうの部屋にいるから、着替えたら出てこい」

 タシアンがガルの首根っこ掴んで引きずるように連れて行く。

「……いったいいくら使ったか考えるのも怖いな」

「向こうが勝手にしたことだ、黙って受け取っておけばいい」

 ルーがふかふかの絨毯の上で欠伸している。

(……まったく、他人事だと思って)

 アイザはそもそもこんな厚遇されることに慣れていない。育ちは市民と変わりないのだ。尽くされるより尽くす側、仕えられるのではなく仕える側の人間だ。

 たとえ、この身に流れるのが女王の血であっても。

 アイザは悩んだ末に、紺色のワンピースを手に取った。

 紺は未熟な魔法使いを示す色だ。

 ドレスはとても一人では着られないし、タシアンたちの手を借りるわけにもいかない。必然的に一人で脱ぎ着のできるワンピースを着るしかない。

 だがそれでも、アイザが普段着るようなものとは比べものにもならないほど上等なものだ。癖になるような肌触りで、胸元と裾にレースが縁どられている。

 ドレッサーには櫛も置いてあったので、長い灰色の髪を梳かす。本当は結い上げるほうがいいのかもしれないが、アイザはそんな器用なことはできない。

 靴もクローゼットから取り出す。ほんの少し踵の高い、白い靴だ。

 鏡の前でくるりと回っておかしいところがないか確認する。

「ルー、この格好でおかしくないか? 大丈夫?」

「私にそういったことを聞くより隣にいる二人に聞けばいいだろう」

「隣のって言ってもなぁ……」

 タシアンはともかく、ガルの意見は参考にならない気がする。

 そろりと扉を開けて顔を出すと、タシアンが振り返った。

「着替え終わったか?」

「……うん、変じゃないかな」

 歩くと、裾のレースがふわりと揺れる。

 タシアンの青い目が一瞬丸く見開かれたことを、アイザは見逃さなかった。

「……やっぱり変?」

 シンプルなデザインであるものの、縁取られたレースが繊細で可愛らしいので、アイザは妙に落ち着かない。

「いや、そうじゃない。似合ってる」

「アイザ可愛い」

 アイザが不安になりかけたところで、ガルがきらきらとした目で会話に割って入る。

「裾、ふわふわしてるの可愛いな。こっちに入って来たとき、すごい綺麗だった」

「え、あ、う……へ、変じゃないならいいんだ」

 嘘偽りのない目で褒められると、なんと返していいのかわからなくなる。

「……本当は髪も結いたかったんだけど、わたしには出来なくて。このままだと地味だよな」

 せっかく服が素敵なのに、とアイザが小さく零す。

「クリスがいれば良かったんだけど」

 彼なら器用にアイザの髪を結ってくれただろう。白いリボンは、アイザの荷物の中にしっかり入っている。

「それなら」

 ガルが花瓶にいけられていた薔薇を一輪抜き取る。中心が濃い紅色で、広がる花弁は外に向かうにつれて白くなっている。

 茎を撫でるように触って棘が残っていないか確認すると、ポキリとちょうどよい長さに折る。そして、その薔薇をアイザの耳元に差し込んだ。

「え」

「花のひとつもあれば、十分にアイザは可愛いよ。お姫様みたいだ」

「そっ……れは、言い過ぎだろ……!」

 顔を真っ赤にして口籠るアイザに、ガルは「そう?」と首を傾げる。

「無くても可愛いけど、アイザは気になるんだろ?」

「そりゃ……」

 気になるに決まってる、と答えようとしてアイザはふとガルの服装に気づいた。

 タシアンは騎士服に着替えた。アイザも着替えた。しかし、ガルは旅装のままだった。

「……タシアン、ガルはこのままでいいわけ……ないよな?」

 ここまで付いて来たのだから、ガルも当然イアランのもとへ行くのだと思ったのだが。

 するとタシアンは一瞬目を丸くしたあとで「あー……」と天を仰いだ。

「……忘れてた」

 おまけ扱いだったのですっかりガルの服装のことまで頭に入っていなかったらしい。

「俺、ここで待っていてもいいけど? 別に殿下に会いたいわけじゃないし」

 アイザのそばを離れたくはないが、タシアンやルーがいるのならいいらしい。

 しかしタシアンはしばし考え込むように黙ったあとで、口を開いた。

「いや、着替えを持って来させるからあとから来い。おまえには用はないだろうが、殿下はたぶん顔を見ておきたいだろうからな」

「そんなたいそうな顔じゃないけど?」

「殿下もおまえ個人に興味があるわけじゃないだろうさ」

 タシアンは時間を確認して扉に手をかける。

「レーリが来るまで大人しくしてろ、いいな、大人しくしてろよ?」

「そんなに念押さなくてもガキじゃないんだから分かるよ」

「どうだか」

 タシアンとガルのやりとりを眺めながらアイザは呑気に仲良いなぁ、と思った。すると扉を開けたタシアンが、片手をアイザに差し出す。

「……うん?」

「俺がエスコート役じゃ不満か?」

 エスコート。

「え、いや、そういうわけじゃないけど」

 そんなことしなくても、とアイザは口籠る。

「せっかく可愛い格好しているんだから、少しくらいお嬢様気分を味わっておけ」

 くすくすと笑いながらタシアンがアイザの手をとる。

「じゃあ、あとでな」

 タシアンがさらに念を押すようにガルを見ると、ガルは不機嫌そうな顔をしていた。




「……人、少ないんだな?」

 イアランの執務室に向かいながら、アイザはすれ違う人がほぼいないことに首を傾げた。王城のなかはもっと賑やかなものだと思っていたのだ。

「今は迎賓館のほうに人をやっているし、多少は人払いしているからな」

「……そっか」

 用意された部屋からしばし歩くと、少しずつ人が増える。とはいえ、それらは使用人なので貴族からすれば『いないも同然』の人々だ。

 そして一つの部屋の前にたどり着く。扉の両脇には騎士がいたが、どちらもタシアン同様国境騎士団の制服にアイリスの紋章を模ったブローチをしている。

「殿下、入りますよ?」

「え、ちょ、タシアン」

 そんな挨拶でいいのか、とアイザが口を挟む暇もなくタシアンは扉を開けた。

「こちらの返事を待つくらいできないのかな、タシアン」

「一分一秒でも早く彼女を連れて来いとおっしゃったのは殿下ですよ」

 少し散らかった机に肘をつきこちらを見ている青年の、金の髪がきらりと日の光を受けて輝いた。

「それもそうだね、お疲れ様タシアン。久しぶり、アイザ」

 青い瞳がアイザをとらえると、イアランは嬉しそうに笑った。

「お久しぶりです、殿下」

 アイザがスカートの裾を軽く持ち上げて挨拶する。

「……久しぶり、アイザ」

 しかしイアランは笑顔のままもう一度同じセリフを繰り返す。

「……えーと?」

「……兄さんって呼んでやれ、でないとあれは繰り返し続けるぞ」

「え、いや、でも」

 いくらなんでもそれは大胆すぎないだろうか。

 すると足元で大人しくしていたルーがすん、と鼻を鳴らす。すぐに、アイザには慣れた魔法の気配が部屋を包み込んだ。

「ルー」

 ルーが勝手に防音の魔法をかけたのだ。これで部屋の中の会話は外へ漏れることがなくなる。

「これなら憂うことは何もないだろう?」

「ルー、魔法は使わないようにって……」

 むぅ、とアイザが膨れるとルーが素知らぬ顔で鼻を鳴らした。

「それはおまえの話で私のことではない」

 高位の精霊であるルーにしてみれば、精霊のいない地であろうとこの程度の魔法は造作もないのだろう。

「……彼が、手紙に書いてあった精霊殿かな?」

 くすりと笑うイアランの声に、アイザは顔を上げる。

「あ、えっと……はい。ルーです。わたしが小さい頃に、父さんとも契約していました」

「まさかこの目で精霊を見る日がくるとは」

 当然、ごく普通の人間が精霊を見る機会など滅多にないし、ましてルテティアならなおさらだ。

「……いつもルーには助けられているんです」

 ルーのおかげで学園での生活も随分と楽になったし、不安も和らいだ。

 それは良かった、とイアランは微笑みながら首を傾げる。

「もう一人いると思っていた子がいないようだけど」

 ガルのことだろう。

 もう一人、と言われてタシアンが「ああ」と今しがた思い出したようにレーリを見る。

「そうだった。レーリ。あのバカ着替えさせて連れて来い」

「……そういえば、彼の分は何も準備してませんでしたね」

 レーリもすぐに合点がいったという顔で退室する。

 レーリが出て行ったあと、アイザはソファに腰を下ろした。タシアンは護衛としてドアの傍に立っている。イアランは執務の手を止めるわけにいかないのだろう、机から動かなかった。

「……ええと、イアラン兄さん」

 兄と呼ばないと話が進まないようだし、聞き耳をたてられる心配もなくなった。ただ慣れていない気恥ずかしさがあるだけだ。

「……名前」

 きょとん、とイアランは目を丸くしている。

「え、あの、兄さんだけだとタシアンとどっちかわからないし」

「あれ、タシアンのことも知っているんだね」

 タシアンのことを兄さんと呼んでいるわけではないが、兄がこの場に二人いるのだから呼び分けは必要だろう。

「先日、ルームメイトに教えられました」

 タシアンをちらりと見ると、居心地悪そうな顔をしている。

「あはは! タシアンは怒られただろう」

 だから言ったのに、とイアランは楽しげに笑っている。

「それはもう」

「タシアンが悪いんだろ!?」

 黙っていたタシアンが悪いのに、とタシアンに噛みつくと、アイザとタシアンを眺めながらイアランは微笑む。

「うーん。二人ばかり仲良くてずるいな」

「あなたは立場を考えてください」

 アイザが女王の血を引くことを秘している以上、イアランにとってはただの小娘。こうして会うことすら本来ならばありえない。

「めんどくさいなー。どっかのタシアンに全部押しつけて可愛い妹と遊びに行こうかなー」

「戴冠式間近の今それをやったら怒りますよ」

 冗談にもならない、とタシアンが凄みをきかせている。

「おや、怖い兄さんだ」

 ね、とアイザに同意を求めてくるので、アイザも返答に迷った。

(……仲良いんだなぁ)

 主従だし、異父兄弟だし、極めて特異な関係なのでどうなのだろうと思っていたが、アイザが手紙のやり取りで知る二人と同じだった。

 それにしても、とアイザはひっそりとため息を吐いた。

(ミシェルさんのこと、殿下に聞いてみたいんだけどな……)

 しかしタシアンの前でミシェルとの婚約をどうするつもりなのか、なんて聞けるはずもない。イアランとまた話す機会があればいいのだが、その時もタシアンがいる可能性は高い。

(……どうしようかなぁ)



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