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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第二部
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第六章 王女のお茶会(4)




 雨が降っている。

 何もかも呑み込んでしまいそうな夜闇のなか、天から刺すような雨が降り注いでいる。

「――まって!」

 ミシェルはびしょ濡れになるのも構わずに外へ駆け出した。今しがた走り出したばかりの馬上の人へと叫ぶ。叫び声が雨音に掻き消されないように、声を張り上げた。

「タシアンお願い、待って!」

 泣き声のような声だった。実際に、ミシェルは泣いていたのかもしれない。頬を流れる雫は雨なのか涙なのかさえ判別がつかなかった。

 ぬかるんだ泥に足を取られて膝をつく。慌てて顔をあげたが、走り出した馬は止まる気配もなく速度を増していた。


 せめて。

 せめて、言わせてほしい。

 好きなのだと、愛しているんだと。受け入れてもらえなくてもいいから。ただ、伝えることだけ許して欲しい。

 ――そして、さよならと。別れを告げて欲しい。別れを、告げさせて欲しい。そうでなければ終われない。この恋は、結末を迎えないままこの胸で燻り続けるだろう。


 けれどタシアンは振り返らなかった。降りしきる雨の中、彼は何もかもを捨て去るようにノルダインを発った。暗闇に呑まれるようにして消えていくその背中を見つめながら、ミシェルはもう会えないのだろうと心のどこかで悟ってしまった。もう、もとには戻れないのだろう。

 もとから二人の道は重なり合う運命ではなかった。そう言われてしまえば、そうだったのかもしれない。

 ただ偶然、神様のいたずらでほんの一瞬だけ道が寄り添っただけ。降りしきる雨に打ち付けられながら、出会ったことすら間違いだったのだと言われたような気がした。





「……会えないの。私は、タシアンに振られているから」

 わずかな沈黙の後で、ミシェルはそう告げた。アイザはぬるくなり始めたカップをそっと撫でながら、揺れる紅茶に目を落とす。

(振られたら、二度と会えないって……恋愛って、そういうものなのかな。タシアンは、そういう人?)

 アイザの印象としては、タシアンはとても情深い人だ。なんの縁もないアイザを助けてくれるくらいのお人好しである。ルームメイトだった人に対してそんなに冷たい態度をとるようには思えない。……何か、特別な理由がない限り。

「でも、タシアンのことが気になったから私を呼んだんでしょう?」

 こうしてミシェルがアイザを呼んだのは、きっとレーリ以外の人からもタシアンのことを聞きたかったからではないだろうか。クリスのルームメイトであったことが後押しになったのは事実だとして、アイザに興味を持ったのはタシアンに関わりのある少女だったから、だ。

「そうね、気になったのは事実よ。タシアンが後見人になった女の子はどんな子だろう、とか」

「……私とタシアンは別に特別な関係じゃありませんよ?」

 まさかクリスとの関係を勘違いしたようにタシアンとの関係も疑われているんだろうか、とアイザは顔を引き攣られせた。

「やだ。それは心配してないから安心して」

 渋い顔をしたアイザを見てくすくすと笑いながらミシェルは紅茶を一口飲んだ。ミシェルのしなやかな指先がティーカップの縁を撫でるのを、アイザはなんとなく見つめていた。落ち着かない気分なのは、アイザよりもむしろミシェルのほうみたいだ。

「私は、子どもだったの。タシアンには迷惑をかけてばかりだったわ。きっとだから愛想を尽かされたのね」

「タシアンは……そういう人じゃ、ないと思いますけど」

 アイザが控えめに否定すると、ミシェルは悲しげに「わかっている」とでも言いたげに微笑んだ。

「振られたといってもね、告白もさせてもらえなかったの。でもきっと……絶対に私の気持ちは知っていて、その上でタシアンは私に何も言わずにマギヴィルを出ていった」

(何も、言わずに?)

 アイザのなかで違和感はますます大きくなる。

 タシアンがそんな不義理なことをするだろうか。学園でのアイザの生活を案じて手紙で様子を尋ねてくる様子からは、とても想像できない。たとえそれが、アイザが出会う前のタシアンだとしても。

「……でもそろそろけじめを、つめようと思って」

「けじめ?」

 アイザが首を傾げると、ミシェルは小さく頷いた。

「……私ももうすぐ二十歳だから。今まで我儘を言ってどうにかしていたんだけど……縁談が決まりそうなの」

「え?」

 まだ本決まりではないんだけどね、とミシェルは目を伏せた。その碧の瞳が翳るのを見て、アイザは胸が締め付けられるように苦しくなった。

 どうして。

 どうして、どうして。

 そんな顔をするなら、どうして。

(そんな、泣きそうな顔――)

 ミシェルの声から、眼差しから、仕草から、まだタシアンが好きなのだと溢れるように伝わってくるのに。

 好きでもない人の元へ嫁ぐ。それは王族としてはよくあることなのだろう。けれど、その結果として生まれた不幸を知っている。まだ記憶にも新しい、狂った女王の姿が脳裏に浮かんだ。

「まだ、タシアンが好きなんでしょう?」

 アイザの問いにミシェルは答えなかった。その目が「仕方ないのだ」と語っている。

(――仕方ない? 本当に? 二人とも、ちゃんと話したわけでもないのに)

 もやもやとした感情がアイザのなかで消えないまま渦巻いている。誰かを好きになったことがないアイザにとってはミシェルの気持ちは理解できそうでできない。愛し愛された者同士が結婚すると思うほど夢見がちなわけではない。けれど、でも――。

(忘れたわけでも、ないのに)

 忘れることができたわけでも、ないのに。

 膝の上で拳を作り手を握りしめた。ろくな言葉も浮かばなくて、まして劇的な解決策なんてひとつも思いつかない。けれどミシェルが「かわいそうに辛いよね」と慰めて欲しがっているわけではないことも分かる。悔しくて俯けば、ルーが大丈夫かと問うようにアイザのことを見上げていた。

「……変なことを聞かせちゃったね」

「いえ……」

 申し訳なさそうにするミシェルに、アイザは首を横に振った。

「アイザは誰か好きな人はいないの?」

 沈んでいたところに投げかけられた問いに、アイザは思わず「は?」と口を開けた。先ほどまでの話題を吹き飛ばすように、ミシェルがにこにこしながら話しかけてくる。

「初恋の話とか。私の周りってあんまりそういうこと話してくれないの。セリカもニーリーも」

「……ああ」

(確かに、あの二人ともそういう話はしなさそうだけど……)

 とはいえ、アイザにその手の話題を求められても困る。話すことがひとつもないのだ。心なしか足元のルーが先ほどから耳をぴくぴくさせている気がする。

「好きな人もいませんし、初恋もまだです」

 ――する気もありません、とはさすがに言わないでおいた。

 もともと恋愛に興味はない。恋が甘やかなだけのものではないと知っているから、なおさら。

(できるはず、ない)

 誰かに心を預けるのは恐ろしい。だってこの身体には、あの女王の血が流れているから。

(もし恋をして、私があのひとみたいに狂ったら?)

 アイザの魔力は常人よりも遥かに高い。それで、理性を失ってしまったらどうなるだろう。暴走する魔力はただの暴力だ。

「そうなの? なら――」

 ミシェルがさらに質問を重ねようとしたところで、大きな音をたてて部屋の扉が開いた。驚いてそちらを見たアイザとミシェルの目に、赤い髪の少年の姿が飛び込んでくる。


「アイザ!」


 陽光を背に笑う彼を見て、アイザは太陽みたいだ、と思った。



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