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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第二部
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第六章 王女のお茶会(3)

「ミシェルさ……ミシェル」

 呼ばれてミシェルが振り返ると、武術科の深緑色の制服を着たカーティスが気恥ずかしそうに手を振っていた。長年の癖でミシェル様、と呼びそうになっていたのには気づかないふりをしてあげようとミシェルは笑う。

「久しぶりだねカーティス」

 カーティスは気を遣っているのか、あまり人目のあるところでミシェルに話しかけることはない。貴族である彼の知人であるとミシェルの秘密がバレてしまう危険性があると、カーティスのほうが慎重だった。

「ええ。学園には慣れました?」

「そりゃもう。あと数ヶ月で入学から一年になるんだよ? 慣れないほうがおかしいよ」

 今更過ぎるくらいの問いかけにミシェルは笑った。それもそうですね、とカーティスは笑い返しながらミシェルの隣に並んで、二人は窓に背を預けるようにして話し始めた。今はちょうど授業中の時間で、この時間に廊下をふらふら歩いているということは空き時間ということで間違いない。

「それに、タシアンがけっこう協力してくれるし……大丈夫だよ」

 実のところ、実技試験などではかなり手伝ってもらった。小柄なミシェルでもこう動けば相手の意表を突ける、こうすればわずかな筋力でも相手と対等に組み合えるなど武術科で過ごすためには重要な術を教わってばかりだ。

「ああ、タシアン・クロウとは同室でしたね。今年もまた武術大会は彼の一人勝ちでしたし」

 年に一度行われるマギヴィルの武術大会は十六歳以上になって参加資格を得る。種目としては剣術、体術、弓術、槍術、棒術にわかれていて、タシアンは少なくとも剣術と体術は二年連続で優勝している。その他でも上位に食い込み、そこまでの成績をおさめた生徒は他にいない。

「でも、カーティスもいいとこまで行っていたよね」

「剣術だけは、ですね」

 剣術ではカーティスは準決勝まで残っていた。そのほかでもなかなかいい成績と胸を張ってもいいくらいなのだが、謙虚な彼にとっては認められる戦果ではないらしい。

「タシアン、すごかったよね。強いのは知っていたけどああいうの見ると本当に――」

「ミシェル」

 剣術も体術も、タシアンの実力は目を見張るものがある。思い出して目を輝かせるミシェルに、カーティスが苦笑まじりに言葉を遮った。

「……顔に出てますよ」

 何が、と言わないのはカーティスのやさしさだろう。ミシェルはすぐに気がついて、ぱっと頬を赤らめた。

 いけないと分かっているのに、タシアンに秘密がバレてしまってからどうにも自制が効かない。女の子のミシェルが簡単に表に出てきてしまうのだ。

「見なかったことにしますね。気をつけてくださいよ?」

「う、うん、分かってる」

 ――分かってはいるのだ、これでも。

 ぺちぺちと両頬を叩いて気を引き締めるが、頬の熱はなかなかひかない。こんなだからセリカからは考えていることが全部顔に出ている、なんて言われてしまうのだ。

「そ、そろそろ次の授業に行かないと。カーティス、またね」

 気恥ずかしさもあってミシェルはわざとらしく話を切り上げた。カーティスの返答も待たずに小走りで去ろうとする。

「ミシェル」

 その小さな背を呼び止めて、カーティスは告げた。

「困ったことがあれば言ってください。力になりますから」

 それは純粋に幼馴染を心配する顔だった。ミシェルはくすりと笑って手を振る。

「まったく、カーティスも皆も過保護だなぁ。ありがと!」


 ――秘密のはずの恋は、花咲こうとしてほろりほろりと綻んでいた。





 ミシェルが寮に戻ると、タシアンは部屋にいなかった。どこにいるのだろうと探し回って――談話室の隅でタシアンとレーリがなにやら話し込んでいるのを見つける。夕食前のこの時間は談話室を利用する生徒は多くはない。夕食後、就寝までの時間がもっとも賑やかになるのだ。

 タシアンの姿を見つけると無条件で駆け寄ってしまうのはすっかりミシェルの癖になっていた。

「タシア……」

「じゃあ、卒業してルテティアに帰るんですか」

 レーリの冷静な声は、まるで氷のように冷たくミシェルの胸を刺した。心臓を握りつぶされるような衝撃に、ミシェルははく、と息を吐いた。

「そうなるな」

 空耳だったのだろうかとどうにか自分を誤魔化そうとするミシェルを、タシアンの声が否定する。途端に足が止まって、凍りついたように動けなくなった。

「ミシェル?」

 こちらに顔を向けて座っていたレーリが、談話室に現れたミシェルに気がついた。それにつられるようにしてタシアンが座ったまま上半身だけミシェルのほうを向いた。青い瞳が、ミシェルをとらえる。

「……タシアン、卒業するの?」

 武術科においてマギヴィル学園の卒業に試験や論文の提出義務はない。卒業要件に満たす単位さえとっていれば、マギヴィルの卒業生と認められる。

 問いかけるミシェルの声は、迷子になった幼子のように心細げだ。

「……ああ」

 たった二音の言葉なのに、ミシェルを簡単に突き落とす。

 いつか別れはくると知っていた。けれど、これはあまりにも突然ではないか。タシアンは、そんな素振りは微塵も見せなかったのに。

 それとも、見せるつもりはなかったのだろうか。


 レーリと別れて部屋に戻っても、ミシェルは目を落としたままだった。顔をあげてタシアンの顔を見るのが怖い。

 別れは予感していた。それでもタシアンとの繋がりが消えることはないだろうと、希望を抱いていた。それなのに、どうしてだろう。まるで流れる水を受け止めようとしても手のひらから零れ落ちていくように、わずかな希望すら今はひどく脆いものに思えた。

 部屋の中に落ちる沈黙に押し潰されそうに苦しくて、ミシェルは口を開いた。

「……どうして、急に卒業することになったの?」

 ミシェルの問いに、タシアンはまるで用意していた答えをなぞるようにすぐに口を開いた。

「急ってわけじゃない。ルテティアの情勢が落ち着くまで待っていただけだ」

 ルテティアは女王の即位後、あまり安定していない。だがこの数年若き王太子がじわりじわりと変革をもたらしていると聞く。ミシェルと同年の王太子はその地盤を固めるために奔走していたようだった。

 つまりは、タシアンは王太子のもとへ行くのだ。

「……ルテティアの騎士になるんだね」

 彼を捨てた女王の国へ。彼を押し退けて王太子となった弟の国へ。なぜそこまでタシアンは尽くそうと思えるのだろう。ミシェルには分からなかった。

「殿下ならきっと、ルテティアを変えられる」

「会ったこと、あるの?」

「一昨年の長期休暇のときに」

 それまでは会ったことなどなかった、とタシアンは呟いた。一昨年となれば王太子はまだ十一歳ほどのはずである。ミシェルはまだぬくぬくと王宮の奥で暮らしていた年だ。

 同じじゃない。

 同じだなんて、思えない。

 平穏なノルダインに比べ、この数十年のルテティアは水面下で混乱が続いている。先王の後継であった王子たちの病死、それに伴う、本来王となるはずもなかった王女の即位。先王も、王子たちのあとを追うように崩御した。

 表立った問題はまだ起きていないが、それでもルテティア国内は不安定のまま。ノルダインを除く近隣の国は情勢の不安定なルテティアの領土を狙っているともきく。

 タシアンの苦しみを理解できるような気がして、調子に乗っていた。けれど抱えるものは天と地ほどの差がある。

 それでも。

 それでも、恋してしまったのだ。

「タシアン、あのね」

 何かを深く考えていたわけでも、勝算があったわけでもない。それでもミシェルはまるで縋りつくようにタシアンの上着の裾を掴んで、濡れた瞳で彼を見上げた。

「……あのね、私」

 言葉を探して沈黙が降りる。いや、本当は探す言葉なんてなかった。好きなの、とただ一言告げればよかったのだ。けれどそれだけではこの胸の苦しさやいとしさや、泣き出しそうになるほどの切なさが、伝わらない。ひとかけらも残さず、彼に言いたい。

 タシアンの青い瞳に、苦悩のような、困惑のような色が宿る。

「やめておけ」

 タシアンを見上げるミシェルは、その声に浮かんでいたたくさんの言葉を失った。

「俺とおまえじゃ、住んでる世界が違う」

 それはミシェルはたった今自覚したことで、タシアンの言葉で決定的なものとなる。それらは似て非なるものだった。薄い紙を隔てて重なり合うことはあっても、混じり合うことはない。

「……やめておけ」


 その三日後だった。

 タシアンはミシェルに何も告げず、またミシェルが何かを告げることを許さぬまま学園を去ったのは。



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