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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第一部
3/115

第一章 ヤムスの森の民(2)

「……は?」

 思わずアイザはほうけて、口をぽかんと開けた。大きく開いた口に、思わずガルはパンを放り込む。

「つまりさ、アイザは国境騎士団に追われてて、そいつらから見つからないように王都に行かなきゃいけないんだろ? 俺が連れてってやるよ」

 いやいやだからどうやって――と反論しようとするが、口に放り込まれたパンのせいでもごもごと言葉になならない。焦れるようにパンを噛みちぎって、スープで無理やり流し込む。

「おまえ、騎士団に太刀打ちできるほど強いのか?」

「さぁ?」

 まさか見た目に似合わず凄腕の男だったりするのだろうか――と思って問うてみれば、ガルは首を傾げるばかりだ。その反応にがっくりとアイザは肩を落とした。

「それでどうやって王都に行くっていうんだ……」

 国境騎士団に対抗できるわけでもないのに、どうしてそんなに自信満々にアイザを王都へ連れて行くなんて言えるのだろう。アイザは重いため息を吐きだしながら痛む頭を押さえた。しかしガルはなんてことない顔をして、口を開いた。

「簡単だよ、ヤムスの森を通って行けばいい。森は王都のすぐそばまで続いているから」

 ――ああなるほど、と納得できるほどアイザは馬鹿ではない。ヤムスの森は人を拒む禁断の森。一度入った人間は二度と出てくることはできないのだという。そんなことはこの国の子どもなら誰でも知っている常識だ。

「馬鹿か! それとも馬鹿にしてるのか! それだったら騎士団の目を欺いて街道を行くほうがよほど安全だろう!」

「大丈夫だよ、俺がいれば」

 だからその根拠はなんなんだ、とアイザは眉を顰める。

「今のアイザじゃどうせすぐ捕まるよ? 最低でも今日一日は寝てないと」

 少し眩暈がしただけだ、と反論したいところだが、正直身体はまだだるい。食欲もいつも通りとはいかず、あたたかかったスープはぬるくなってしまった。むぅ、とアイザが悔しげに言葉を詰まらせた時だった。

「ちょっとガルー! 例の女の子は……」

 豪快な声とともに玄関が開いた。扉を開けたのは人の良さそうな女性で、アイザの姿を見た途端に目をきょとんと丸くする。

「――って、目が覚めたなら覚めたってすぐに教えなさいよこの子は!」

「いてっ」

 遠慮なく入ってきて、女性はガルの頭を小突いた。そして再びアイザへと向き合うと、女性はほっと安堵しながらも案じるようにアイザを見る。

「あんた大丈夫かい? 顔色はまだ悪いねぇ」

「え、あ……」

 心配そうに声をかけられて、アイザは困惑した。誰なのかと問えばいいのか、大丈夫だと体調を告げるか、頭を悩ませているうちにガルが女性を紹介した。

「隣に住んでるイスラおばさん。アイザが着てる服借りたんだ。着替えさせたのもおばさんだよ」

 言われてアイザは自分の着ている服を見下ろした。すっかり失念していたが、今着ているのはアイザの服ではない。頭からかぶるような、簡素なワンピースだ。

「お嬢ちゃんの服は洗濯して干してあるよ。晴れてよかったわねぇ」

 昨日はあんな大雨だったのに、とイスラはカラカラと気持ちよく笑う。

「ご迷惑をおかけしました」

「何言ってんの、子どもは大人に頼ればいいんだよ」

 アイザが丁寧に頭を下げると「育ちのいいお嬢さんなのねぇ」なんてイスラは笑った。

「ねぇおばさん、果物かなんかないかな。アイザ、まだあんまり食欲ないみたいなんだけど」

「あら、そうなの? それならあとで持ってきてあげるわ」

「え、いやそんな――」

 気心が知れているからなのか、遠慮のないガルにアイザは慌てて断ろうとするが、イスラは聞く耳をもたなかった。

「まぁったく! 遠慮しないの! ほらもう一眠りしなさいな」

「え? あ、あのっ」

 ぐいぐいとイスラに寝室に押し込められそうになって、ガルに助けを求めるが彼は肩をすくめて諦めろと告げてきた。

(まて、話はまだ終わってないだろうが――!)






 心がどんなに抵抗しても、アイザの身体は休息を求めていたのだろう。イスラに半ば無理やりベッドに放り込まれると泥のように眠っていた。再びアイザが目を覚ますと、あたりは真っ暗だった。いつの間にか日が暮れていたらしい。

(身体は丈夫なほうなんだけどな……)

 熱なんてもう何年も出してないし、倒れたなんて生まれて初めてだ。起き上がると長いこと寝ていたせいで身体が固くなっていたが、全身を覆うようなだるさはもうなくなっていた。ぐぅ、と遠慮なく空腹を訴えてくるくらいには元気になった。

 部屋にはランプの灯りもないが、今日は月明かりが眩しいくらいだ。窓から溢れる月光を頼りに扉を開ける。足取りも、しっかりとしていた。

「ガル?」

 家の中は真っ暗だ。

 その暗闇のなかで、人影がひとつ。アイザはひゅっと驚きで息を呑んだ。


(目、が)


 ――光っている。


「アイザ、そこ危ないよ足元に荷物があるから」

 ガルの表情は見えないが、声音はまったく変わらない、彼のままだった。シュッとマッチをこする音がしてランプに火が灯る。明るくなった部屋の中で、ガルと目が合った。

「うん、顔色もいい」

 そう言って笑う金色の瞳は、もう光ってない。足元を見ると、そこには咄嗟に掴んで持ってきたアイザのカバンが転がっていた。

「ガル……」

 なんと問えばいいのだろうか、と考えながら、寝ぼけて見間違えだけなのではなかろうか、と思う。だって、人の目が光って見えるなんてそんなこと――。

「猫みたいに形は変わらないよ」

 ありえない、とアイザが否定しようとするが、ガルはなんてことないように笑った。そのセリフは、アイザが見たものが見間違いでも幻でもないことを告げている。

「……見間違いじゃ、なかったのか」

「うん、俺、獣人だから」

 隠しているわけではないのだろう。ガルは至極当たり前のことのように、さらりと告げた。

 獣人。だが、その種族は――。

「……十三年前に、絶滅したと」

 獣人と呼ばれる種族、また獣人とともに生きていた人間は、十三年に起きたヤムスの森の山火事で誰一人生き残らなかったと言われている。ヤムスの森の民と呼ばれた彼らは、豊かな森の外へ出ることはほとんどなく、その実態はよく知られていない。

「俺以外はね」

 悲しみの欠片も感じさせない平坦な声で、ガルは平然と答える。

「まだ小さかった俺は、炎から逃げてきた母さんに抱きかかえられていたって」

 座りなよ、とガルは笑った。テーブルの上にはアイザが眠る前にはなかった果物が籠に盛られていた。ガルは林檎をひとつとると、ナイフで器用に皮を剥き始めた。

「絶滅っていってもこの国でってだけで、他の国にはまだいるらしいしね。獣人って言っても、もうだいぶ血は薄くなってるらしくてさ。人が考えているみたいに獣の姿になるとかないよ。ただ夜目が利くのと、耳と鼻が人間よりずっといいってくらいかな」

 ――だから俺、普段はあんまりランプ使わないんだ、と。夜の闇も彼には効果がない。灯りをわざわざ用意する必要がないのだ。

「言ったろ? 俺がいれば大丈夫だって」

 ヤムスの森は、十三年前の炎によって民を失った。それ以来、人を拒む禁忌の森になった。だが、獣人であるガルは例外だろう。

 彼はただ一人、残された獣人。最後のヤムスの森の民。


 ――森は、彼を拒まない。


「林檎、擦ろうか?」

「……そのままでいい」

 いつの間にか剥き終わった林檎は、食べやすいサイズにされて皿の上に乗っていた。ひとつ齧るとしゃり、と音をたて甘い蜜が口の中に広がる。

「おまえ、お人好しって言われるだろ」

「なんで?」

 首を傾げるガルに、アイザはなんとも言えずに曖昧な笑みを零した。

「普通は、赤の他人にここまでしない」

 倒れていたところを助けただけでも親切なのに、その上王都にまで送り届けてやろうなんて。しかもアイザは誰がどう見ても面倒事を抱えている上、手を差し伸べたところで褒美が手に入るわけでもない。

「誰かが困っているなら、助けるのは当然だろ?」

 だがガルは、まるでアイザがおかしなことを言っているかのように曇りない目で見つめてくる。

「もしかしたらわたしが嘘をついていて、本当に国境騎士団に追われているのかもしれないじゃないか」

「そうなのか?」

「違う。けど――」

 世の中には人を騙す人間もいる。この人のいい少年は、そんな悪い連中に簡単に騙されるのではないだろうか。人は大人になるにつれ、いろいろな顔を覚えていろいろな仮面を被る。それは他人にやさしいものばかりではないことを、まだ十六歳のアイザですら知っている。

「アイザが嘘をついていないなら、女の子を追いかけ回してる奴らのほうが悪いに決まってる」

 しゃく、とガルが剥いていない林檎をそのままかじった。

 アイザはガルを見つめたまま、言葉を飲み込んだ。胸に鉛が詰まったみたいに、息ができなくなる。そんなアイザを見てガルは笑った。

「アイザ」

「……なんだよ」

 深呼吸するように返事をすると、ガルは嬉しそうに笑う。陽だまりみたいな笑顔だ。

「アイザ」

「だからなんだ。……ガル」

 わずかに躊躇って、目の前の少年の名を口にする。だってまるで、名前を呼んでくれと乞うように、アイザを呼ぶから。

 陽だまりが、まるで太陽に輝きを増す。

「俺はアイザがアイザだって知ってる。アイザだって俺が俺だって知ってる。ほらこれで、もう赤の他人じゃないだろ?」


 女の子が困ってて、悪い奴らに追われててて、その女の子はもう他人じゃない。


 手を差し伸べるには充分すぎるくらいだ、とガルはにかっと笑った。


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