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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第一部
28/115

第六章 魔法伯爵の娘(5)

 わずかに迷いを見せながら、おずおずとアイザは口を開いた。

「……あの」

 おそらくこうしてイアランと落ち着いて話せる機会はなかなか巡ってこないはずだ。ならば気になることはここで聞いておくべきである、とアイザはイアランを見た。

「王宮魔法使いの――あのおじいさんは」

 どうなりますか、と問うのはおかしいだろうか。アイザを連れ去ったときにあの老人がいたことはタシアンも知っている。けれど、完全に敵であったわけではない。何かしらの罰を受けるようなことにはなってほしくなかった。

「王宮に呼ばれた魔法使いは、女王陛下の我儘に振り回された被害者のようなものだ。彼を罰する予定はないよ」

「……そうですか」

 よかった、とほっと胸を撫で下ろして、アイザのなかの懸念していたものは消え去る。

 ひととおりの話を終えて、アイザも落ち着いたのだろう。眠たげに目をこする姿にイアランは微笑んだ。

「まだ起き出すには早い時間だ。部屋に戻って少し寝るといい」

 朝日は少し前にようやく顔を出したばかり、季節柄太陽が昇るのは早い。

「ちょうど私も自室に戻りますから、部屋まで送りますよ」

 それまでほとんど口を開かなかった宰相が、そう申し出た。彼らはもちろんアイザのように睡眠のために戻るのではないだろう。

「頼むよ。ではおやすみ、アイザ」

 アイザがイアランを見れば、ふわりと微笑みが返ってくる。

「おやすみなさい……兄さん」

 人払いは済んでいると聞いた。兄とわかっていて呼び捨てにするのは多少なりとも抵抗があるし、本人も呼んでみてもらいたいような様子だった。そんなことが頭によぎって、眠気でぼんやりしているアイザは深く考えずにイアランを兄と呼び、部屋をあとにした。


「……お兄様とか兄上とかを想像していたけど……兄さんもいいな」

「殿下……」

 本人がいなくなってから感慨深げに呟くイアランに、さすがのタシアンも呆れた。そんなタシアンを見上げ、イアランは意地悪げに笑った。手元の書類を暇つぶしにぱらぱらと弄る。

「そちらこそよかったのかな」

「なんのことですか」

 アイザと宰相の去った扉から視線を移さず、タシアンはぞんざいに答えた。

「君が、廃嫡された第一王子だってことを彼女に言わなくて。君だってアイザの異父兄だろう」

「……言う必要がありません」

 タシアンが苦い顔になるのでイアランはますますおかしかった。このままこの書類で紙飛行機でも折って遊んでやろうか、と思うくらいに。手元の書面を確認すれば昨夜の騒動の報告書だった。自衛に走った一部の人間は早々にイアランに尻尾を振っている。

「兄役は殿下ひとりで十分でしょう」

  ゴミと同等の報告書を折りながらイアランは笑う。

「そういうことじゃなく、あの子は知ったら怒ると思うけど」

 きっと、そういう子だ。なぜ教えてくれなかったと食いかかる姿が容易に想像できる。

「殿下が口を滑らせなければ知られることもないでしょう」

「どうかな。君のところの迂闊な部下とか、他にも怪しいところはあるけど」

 ジャンとリックだ。思わずふたりを思い出してタシアンは言葉に詰まった。

 タシアン・クロウがかつて第一王子であったことは、隠されているわけではない。だが本人も表立って 話さなければ、王子らしさもなくあまり知られてはいないというだけだ。

「まぁバレだとしても、私は弁解の手伝いはしないからね。兄さん?」

「……やめてください」

 わざとらしく兄さん、と呼びながら笑うイアランにタシアンはますます渋面する。

 もともと、イアランと出会ったときにはとうに廃嫡されていた。なんせ廃嫡されたのは、イアランが生まれてすぐのことである。幼かったタシアンに王族として過ごした日々などほとんど記憶にない。

 成長し、イアランと出会ってからは、彼ならば良い王になるだろうと直感した。女王に似た面差しは、しかし女王よりも慎重で強かだ。だからそれ以来、タシアンはイアランを絶対に裏切らない臣下となったのだ。一度たりともふたりが兄と弟であったことはない。

「弟から言われても嬉しいものかなと思ったけど、そうでもなさそうだね」

 ふむ、と反応の薄いタシアンにつまらなさげにイアランは手遊びで作った紙飛行機を飛ばした。

「そうですね、かわいくない弟に言われるよりはかわいげある妹に言われたほうがマシですね」

「……言うね?」

 紙飛行機は壁にこつん、と当たって床に落ちる。タシアンは呆れたようにそれを拾い上げた。つまらない紙切れだが、一応は報告書である。

 開いた報告書にある、女王という文字にタシアンは苦笑した。

「あのひとが母親であったことなど、ただの一度もなかった」

 それは臣下でもなんでもない、ただのひとりの男としての呟きだった。

 母親からの愛情を感じたことはなかった。彼女は女王であり、女王以外ではなかった。

「――そうだね」

 そしてそれは、イアランにとっても同じだった。

「けれど、あのひとにとって、アイザだけは、娘だったんですね」

 だからこそ、あの一瞬女王は正気だった。いとしい男を失って、愛に狂い、静かに狂い果てていた女王が、アイザを守ろうと動いたあのときだけは。

「それは拗ねてるのかな、それとも嫉妬か」

「そんなもの持ち合わせてませんよ。母親を恋しがるような年齢でもないでしょう、お互い」

 思いのほかしっかり折ったらしい報告書の折り目を少しでもマシにしようと伸ばしながらタシアンは笑った。

「まぁ、そうだね。あのひとに今更母を求めるつもりもないし」

 まさしくその通りである。タシアンにとっても、イアランにとっても、母親などもはや必要ない。今更母親面されても、という思いすらある。

 けれど、アイザにとっては違う。

「ただ、彼女にとってはわずかでも『母』だった。それが、少しだけ救いだったなと思っただけですよ」

 まだ大人になりきれない彼女に、肉親を喪ったばかりの彼女に、わずかでも母の愛は救いだっただろう。



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