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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第一部
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第五章 宰相閣下と王太子(4)

 その蝶は、ひらりひらりと夜の闇にも負けず淡いひかりをまとって飛んでいた。不思議なほどに人と会わないまま、たとえば衛兵の姿があってもそっと物陰に身を潜めることができ、ガルは幸いにもまだ誰にも見つかっていない。今も衛兵が近くを通ったが、蝶はまるでとまれとでも言うように物陰から動かなかった。

「すげーなぁ……」

 ガルはぽつりと、小さく呟いた。

 蝶に思考があるのか、それともあの老人の意思が反映されているのか、ガルには知る術もない。おそらく誰にも見つからないように遠回りをしているのだろう、ということだけは察していた。そんなことが魔法で可能なのかと驚くばかりだ。回廊の脇を通り抜け、大きな木の傍に隠れる。衛兵の姿はない。

 蝶はその場でくるりと一回りすると、ふわりと浮上した。ガルはそのひかりの名残を見上げながら、立ち止まる。周囲には相変わらず人の気配はないし、話し声のようなものも聞こえない。

 蝶は、二階にある部屋に吸い込まれるように入っていった。バルコニーに面した窓は閉められていたようだが、下から見上げるガルには間違いなく窓の内側へと消えてゆくように見えた。

「ってことは、あそこが、アイザの部屋……?」

 本当かどうか、ガルには自分の目で確かめる以外の手段はない。

 もしあの老人がガルを罠に嵌めようとしているのなら、あの部屋で待っているのはアイザではなく衛兵だろう。だがそんなまだるっこしいことをしなくても、馬鹿正直に蝶について行くガルを衛兵がたくさんいるような場所に導けばよかったはずだ。

 それに、先ほどの老人からは嫌な匂いはしなかった。それだけでガルが信用する理由としては十分だ。なによりガルは自分の本能を信じている。それらがもたらしたことが間違っていたことはない。

 すぐそばにはバルコニーまで届くほどの樹がある。

 うん、とガルは一度頷くと、するするとその樹をのぼりはじめた。





 アイザはベッドの上でぐったりと横になっていた。女王はあのあと宰相に呼ばれたらしく、執務室を出て行った。そのときにアイザも執務室をあとにし、自室に戻ったのだが、ひとりになった途端にどっと疲れが出てくる。重たい疲労感が身体全体にのしかかっているようだった。

 女王がアイザの父であるリュースの話をしているときは、無邪気な少女のようなものだ。けれどひとたび「女王」の顔になると、アイザは恐ろしく得体の知れない何かに対面している気分にさせられた。

(どちらが本当の女王陛下なんだろう……いや、どちらも、なのか)

 寝台の上で目を閉じれば、どちらの「女王」の顔も思い浮かべることができる。狂っている、そう表現するのは容易い。だがしかし、そんな一言で片づけてしまえるほど簡単なものでもないように思えた。

 そろそろ夕食が運び込まれてくる頃合いだ。アイザは気持ちを切り替えるようにふるふると首を振って起き上がる。ちょうどそのときだった。

 視界の隅に、ひらりとひかりをまとい舞う蝶を見つける。

「……蝶? いったいどこから――」

 窓も扉も締め切っている。たとえ蝶一匹でも入り込む隙間はないはずだ。アイザが部屋に戻ったときに一緒に入りこんだわけでもない。

 それに――

(普通の蝶じゃ、ないような)

 そもそもただの蝶は淡いひかりをまとうことなどないだろう。まるで意思を持っているように、バルコニーに面した窓のそばでひらひらと舞っている。まるでそこに何かあると告げているように。

 こんな芸当が――魔法を使った蝶をここに寄越すことができるのは、あの老いた魔法使いだけだ。

 何かあったんだろうか、とアイザは窓を開けてバルコニーに出た。急を要するものか、人には言えないような要件か、緊張感に包まれながらアイザが目にしたのは、あの老人の姿ではなかった。


「アイザ!」


 名を呼ばれてはっとする。そういえば、名前を呼ばれるのは随分久しぶりのような気がした。けれどその声には、幾度となく名を呼ばれていた気がする。

「……ガル……?」

 バルコニーのそばの樹に、きらりと光る金の目を見た。

 まさか、と思う。だって、どうやって王城に入ったっていうのか。だって、どんな理由があってこんなところまで来ているというのか。

 ガルには、これ以上アイザの事情に巻き込まれる必要などないのだから。

「やった、見つけた!」

 困惑するアイザをよそに、ガルは嬉しそうに笑った。よっとかけ声をあげて、樹からバルコニーに乗り移る。そのまま手すりに座ってアイザを見ていた。

 幻聴か、幻覚か、アイザにそんな逃避をする暇も与えてくれない。

「な、おま、おまえ……! こんなところで何してるんだ! どうやって――」

 混乱でうまく言葉にならない。しかしガルは何ひとつ不思議なんてないというように笑っていた。

「ん? タシアンに協力してもらってさ」

 ほら、とガルが着ている服を見せた。藍色の騎士服は、国境騎士団のものだ。なんでガルが国境騎士団の服を? とアイザは首を傾げる。それに――

「……タシアン?」

 聞いた覚えのあるような、ないような名前だった。

「国境騎士団の団長。アイザも会っただろ? そこそこいい奴だったよ」

「……あ」

 そこでようやく糸は繋がった。タシアンとは道案内をしてくれた青年だ。そういえばあの一瞬、そう呼ばれていたような気がする。さっき国境騎士団が城に入るのを見たばかりだ。そのときにガルも入ったのだろうか。

「いや! でもなんで……! 万が一衛兵に見つかりでもしたらどうするつもりだ!」

 怒鳴りそうになって、慌ててアイザは声量をおさえた。今このときだって、ガルが誰かに見つかったらただでは済まない。それだというのにガルは焦りをまったく見せなかった。まるで自分は無敵なんだと笑い飛ばすようだった。

「そんなの決まってる」

 に、とガルは不敵に笑う。曇った空から、月の光がやさしくこぼれていた。


「アイザと一緒に逃げるんだよ!」


 いつかのように、アイザに日に焼けたたくましい手が差し出される。唇を噛み締めて、アイザは溢れ出しそうになる涙を堪えた。胸がたまらなく苦しかった。心の奥底から湧き上がる感情が、アイザを飲み込むように息を詰まらせる。

 いつだって躊躇いなく差し出されるその手に――


(いつだって、泣きたいくらいにすくわれているんだ)



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