第三章 国境騎士団(4)
「……なるほどね。話はわかった」
タニアは手紙を読み終えると、いくつかアイザとガルに質問をしたあとで静かに頷いた。
「自己紹介がまだだったね。あたしはタニア。そっちの奥の厨房にいるのが旦那のダンだよ」
アイザがちらりと厨房を見ると、先ほどの大柄な男がぺこりと頭を下げた。
「アイザ・ルイスです」
おそらくイスラからの手紙にアイザのことも、その名も書いてあるのだろう。けれどアイザはしっかりと名乗ったあとで「はじめまして」と付け加えた。ご迷惑をおかけします、も、お世話になります、も、まだ言うには早い気がして口を噤む。
「とりあえずあんたたち、働かざる者食うべからずだからね。店の手伝いをしてもらうよ。屋根裏にある部屋をガルが使いなさい」
かなり埃っぽいだろうから掃除しないとね、と話すタニアに、ガルとアイザは目を丸くした。
「アイザはあたしの隣の部屋を使っていいわよ。そっちはすぐ使えるから」
「え、いえあの、ちゃんと代金は――」
払います、とアイザが言おうとしたところで、タニアは笑う。
「あんたらの事情からいって、いったい何泊することになるかもわからない、金だってたいして持ってきてないんだろ。手伝いはいくらあっても困らないんだから大人の言うことは素直に聞きなさい」
う、とアイザは口ごもった。所持金は家を出たときからほとんど使っていないものの、事前に準備していたわけではないので多くはない。タニアの申し出は正直、かなりありがたかった。
「料理の下ごしらえと、昼の時間だけ店の給仕を手伝ってちょうだい。夜は酔っ払いばかりだから、一階には降りてこないこと。……アイザは料理できる?」
タニアの問いに、アイザはすぐに頷いた。
「え、はい。家では自分で作ってました」
「なら、厨房をお願いね。ちょっとばかし花がないけど……しかたない、ガルは給仕を手伝ってちょうだい」
「酒場に花なんていらなくね」
やってくるのはどうせおっさんばっかりだろ、とガルが吐き出すとタニアはぎろりと睨みつけた。
「つべこべ言わない。あとの時間は――あんたたちの好きにしなさい。あたしはとやかく口出さないわ」
話を聞く限り、手伝いをする時間はそう長くない。かなりアイザたちに都合のいい話だ。アイザはしっかりと頭を下げた。
「ありがとうございます……! お世話になります」
アイザに給仕を、と言わなかったのも人前に出て国境騎士団に見つかる危険性を考えてくれたのだろう。アイザの濃い灰色の髪も、青い瞳も、これといって目立った特徴ではないが、追いかけてきた騎士たちには既に顔を見られている。
「わかったらごはん食べて、荷物置いてきなさい。ガルはそのあと自分の寝床の掃除ね」
――掃除しなきゃ今夜はとてもじゃないけど寝れないわよ、と笑うタニアにガルも笑った。
「ありがとう、タニア……さん」
ついイスラのときのようにおばさん、と呼ぼうとしてガルは寸前のところで踏み止まった。そんなガルを見て、タニアはニヤリと笑う。
「正解よガル。おばさんなんてつけたら夕飯は抜きにしてたわ」
遅めの昼食を食べ終えると、アイザとガルは与えられた部屋に荷物を置きにきた。
「アイザの部屋はそっちで、俺の部屋……っていうかこれ物置じゃ……はこっちか。そんな遠くないな」
ガルはお互いの部屋を確認しながら呟いた。
「なんかあったら呼べよ。聞こえるし」
アイザの部屋の入り口からガルがひょっこりと顔を出す。
「なんかって?」
「ん? ゴキブリが出たんでも、怖い夢見たのでも、なんでも」
にひひ、と冗談めかして笑うガルに、アイザは呆れたように答える。
「そんなことで呼ぶわけないだろ」
ゴキブリは、まぁ――嫌だけど、怖い夢ごときで誰かを呼ぶなんて。子どもじゃあるまいし。
「まぁ冗談抜きにさ。国境騎士団の連中が万が一来たりしたら、迷いなく呼んで。ないとは思うけど」
アイザとガルの居場所は知られていないはずだし、たとえ知っていても善良な市民の家に乱暴に踏み込むことなどないと思いたい。ここは王都、女王陛下の膝元だ。国境騎士団が我が物顔で権力を振るうことも難しいだろう。
ルテティア王国の騎士団は、主に国境騎士団と王国騎士団で編成されている。それぞれ完全な別個の組織として生まれた背景からも、両騎士団の不仲は有名だ。王国騎士団は王城や王都の守りを中心に、主要な都市に配備され、国境騎士団はその名のとおり国境騎士団の片田舎を守る。
「アイザ!」
階下からタニアに呼ばれて、アイザは階段の上から下を覗き込んだ。タニアかこちらを見上げながら手招きしている。
「できたら夜の下ごしらえ手伝ってくれるかい」
疲れているところ悪いけど、と申し訳なさそうな顔をされて、アイザはとんでもないと首を振った。慌てて階段を降りる。
「何をすればいいですか?」
「とりあえずはひたすら皮むきかね。正直助かったよ。厨房の手伝いは今ちょうどいなくてね」
厄介な風邪をひいたから休ませているんだ、とタニアは苦笑した。
「もうだいぶいいみたいなんだけどね。ほら、飲食店だしね」
お客さんに風邪をうつしたりしたらたいへんだから、と言うタニアにアイザも苦笑した。風邪だから、なんて甘くみていると、人はあっけなく死んでしまう。
「風邪といえば、王太子殿下も体調を崩されているって噂を聞いたね」
「王太子殿下が?」
アイザが目を丸くする。女王陛下の大切な後継である、イアラン殿下だ。とても優秀な方なのだとアイザの街にも噂が届くほどの人気ぶりだ。なんでも既に国政の一部を任されているとかいないとか――。
「そう。女王陛下の跡継ぎは殿下ひとりっきりだからねぇ。病気とかじゃなければいいんだけど」
「……もうひとりいただろう、前の旦那との」
今まで無言のまま黙々と下ごしらえを進めていたダンが、ぼそりと呟く。
「ああ、でもそれは殿下が生まれたときに王位争いをさけるためだとかどうとかで、廃嫡されて城から追い出されたんだろ?」
――え、とアイザが驚いて声を零した。
「そんなことあったんですか」
アイザにはまったく聞いたことのない話だった。王都から離れた町だったからだろうか、噂好きのおばさんたちの口からすら出てきたことはない。
「アイザが生まれる前の話だからねぇ。知らなくても無理ないさ。王家はなんだか子宝に恵まれないよねぇ」
女王の血をひいている現王族が、たったひとりの王太子のみというのはどうにも心もとない話ではある。ゆえに大きな声で話せる話題でもなかったのだろう。
「陛下のご兄弟も、病だの事故だので相次いで亡くなられたからな」
「十何年か前にも陛下がご懐妊されて、もしや待望のお姫様かって騒がれたんだけどね。残念なことに死産だったし……」
ダンとタニアの会話に耳を傾けなかまら、さすが王都だと感心する。王家の噂には事欠かないんだなぁ、とアイザは芋の皮むきをしながら笑った。思えば近所のおばさんたちもゴシップ好きだったから、どこでも同じなんだろう。
(まずは入城の許可をとらなければ。もし無理なら……王城公開日に入って、魔法を使うか)
貴族として正規な手続きをすればどうにか入城はできると思うが、果たしてアイザが貴族と同等の扱いを受けられるかどうかわからない。しかし幸いにもルテティアでは、年に何度か王城を一般公開している。市民が立ち入ることのできる区画は一部だが、そこでまた派手な魔法でも使えば女王陛下の目に留まるかもしれない。
運良く、その一般公開日は十日後に迫っていた。




