『滅びてしまえ』
「ほんっと、ごめん。マヤが」
「あ、はは。気にしないで、クラーク。ぼくも気にしてないし」
クラウスと別れて、1人クラークが部屋で悶々としていると、なんかもー、ほんと何なんだあの黒魔術師。よそのパーティにまで文句つけるか何様だ。つーか何でクラウスとサイラスが組むの知ってんの? とか思えてきて、クラウスが戻ってくるなりクラークは全力で謝罪した。
けど、クラウスはむしろクラークを憐れむみたいな顔だ。
「クラーク、マヤと知り合い……っていうか、パーティ、組んだんだ?」
「うん」
「ケネスと、アルバールも?」
「そう。クラウスとアルバールは……やっぱ同じ騎士科だから、知り合い?」
「うーん。騎士科も、戦士科くらい人数多いからなぁ。アルバールはぼくのこと、知らないんじゃないかな。ほら、アルバールは、なんていうか……種族だけ見てこういう事を言うのは、あんまり良くないんだろうけど、やっぱり竜人族だし? 注目株っていうか、そんな感じだから知ってた。あと、あの女王様も……」
クラウスはじゃっかん気まずそうに眼を逸らした。まぁ、あれだよな、とか思いながらクラークは確認する。「女王様?」
「マヤのこと。騎士科ではそう呼ばれてる。新人代表だったし、この前騎士科の教室に来るなり、アルバールのところに行って“あんた、あたしとパーティを組みなさい”だもん。凄いよ、彼女」
見てないけど、その光景が容易に想像できてクラークは頭を抱えた。
「確かに凄いっちゃ、凄いんだよな。さっさとパーティ集めるし、武器の借用とか、院内の森のこととかも調べて、今日も早速2匹魔物狩ったし。でもほんっと、あの性格がなー。女王様なんだよな。俺も今度からそう呼ぶわ」
「って言ってもクラーク、好きでマヤとパーティ組んだんだよね?」
「んー、たぶん……」
クラークはいまいち自信が持てなくなってくる。やめるんなら今のうちだろうか? 悶えるクラークを見て、クラウスは笑った。
「ダメだよクラーク。冒険者なんだから。自分のことは、自分で決めて、行動しないと」
「そうだよなー……」クラークはぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。飽きた。「……じゃ、俺も風呂行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
クラウスに見送られて、部屋を出る。
冒険者。メーティスギルド。何で来たんだっけな。面白そうだからか。母さんも死んで、あの街に未練も居場所も大して無かったし。
もともとクラークは、母親と2人きりだった。ずっとそうだったから、特に不思議にも思わなかった。街の道場で剣を習って、そうだ、他の子供に父親がいないことをからかわれて、っていうか苛められた。で、やり返してる内に、あっという間に強くなった。剣の才能があるとも言われた。そしたら、街を出て1人で生きて行きたいと思ったら、やっぱり今時は冒険者になるしかない。だけど冒険者なんて――
「ちょっと」おもむろに、脛に衝撃。
え、なに。何? つうか、地味にいってぇ。クラークは混乱しながら、辺りを見回す。凍り付きそうな瞳と、目が合った。「マヤ?」
「間抜け面」マヤは鼻でクラークの事を嘲笑うと、そのまますたすたと去って行こうとする。けど、マヤの私室とは方向が違う。
「いやいや、何いきなり人の足に蹴り入れて去って行こうとしてんの女王様」
興味本位でマヤを追いかけて、横に並ぶ。マヤは見るからに教科書っぽい本とノートと、羽ペンを持っていた。マヤは一応、と言う感じでクラークを見上げてくる。
「……何それ」
「お前のあだ名。って言うか、何それは俺の台詞だよ。何持ってんの? あと、部屋こっちじゃないだろ」
不意にマヤは足を止めた。つられてクラークも立ち止まる。マヤは、愛らしい瞳を細めてじろじろとクラークを眺めてくる。「……なに?」
「もう、とうの昔に落ちぶれているのに。未だ貴族気取りの愚か者共。さっさと全員滅びれば良いんだわ」
「え……」
分かる、ような分からないような。分かったらおかしいような、言葉だ。マヤは首を振ってから、額に手を当てて何か囁いた。精神統一、みたいな? たぶん東方王国の言葉で、クラークには意味が分からない。
唐突に、マヤは前方を指差した。「……向こうに、自習室があるのよ」
「ん。あ、あぁ、そうなの?」
「そうなのって、初日に相談役が説明してたでしょ」
「あー」クラークに出来るのは、変な声を上げて頭を掻くくらいだ。たぶん寝てた。
マヤはクラークに構うことをやめて、また歩き出す。せっかくだから、自習室をのぞいてみることにして、クラークはついて行く。
「何でついてくるのよ」マヤは不機嫌そうだ。いつもだけど。
「そりゃ、自習室見てみようと思って」
「1人の時に行きなさいよ」
「いーだろ、パーティメンバーなんだから」
「……好きにすれば」
「してるけど」
「……」
それきり、マヤはむすぅっとした表情で黙り込む。はっはっは。勝った。クラーク1人では初勝利じゃないか? いやめでたい。とかしょーもない事をクラークが考えていると、すぐに自習室に着く。
クラークが思っていたより広い。けど、寮にいる団員数から考えると、ちょっと席数が少ないかもしれない。何とも言い難い。
壁に向かって座る形の席が、部屋の左右に6席ずつ、それから、6人掛けの机が3つある。あと、部屋の奥には本棚も置かれていた。全部で30席だ。寮には200人くらいいるはずだから、こじんまりしていると言えばそうだし、わざわざ自室から出てきて勉強する団員なんてこんなもんだと言えばそうかも知れない。
先客が10人くらいいるのに、ひどく静かだ。マヤは躊躇いなく壁際の席に座ってノートを広げる。クラークも隣に座る。
マヤは嫌そうな顔をしてクラークを見上げて、それからノートの端に『帰れ。脳筋』と書いた。お手本みたいに綺麗な大陸公用語の丸っこい文字だ。
クラークも話すのは躊躇われたので、マヤからペンを借りて、マヤのノートの端っこに書き込む。『いいだろ、別に』
マヤは羽ペンを1本しか持ってこなかったみたいだ。無言のまま、ペン返せ、と手のひらを向けてくる。クラークは大人しく、ペンを渡した。『これから、森の地図を書く。あんたがいると気が散る』
地図。そういえば、という感じだ。普通の冒険者は書く。今日クラークたちは、マヤとケネスについて帰って来たけど、今後は誰かが地図作製者になる必要があるだろう。誰かって言うか、マヤがなるつもりだろうか。
ひょいっと、マヤから羽ペンを取り上げて、クラークはまたマヤのノートの端っこに書いた。『これから、マヤが地図製作者になるの?』
『そのつもり。帰り道も覚えていないようなあんたには無理でしょ。だからさっさと帰れ』マヤは、クラークからペンを奪い返すのが面倒になったのか、ノートに指先で文字を書いた。どうやっているのかはクラークには分からないが、おそらく魔力の込められた指先で書かれた文字は淡く光って紙の上に浮かび上がっている。
魔術、凄ぇ。とかクラークは感動しかける。とはいえ、魔術師達は、空中に光る魔導文字を描いて魔術を使用するから、これもそんなに特殊な事でもないのか。よく分からない。でも、けっこう長い文章がきらきら光って浮かんでいるのはやっぱり凄い。もっと見ていたいような気がして、クラークは答えた。『断る』
ひくっ、とマヤの頬が引きつった。あ、怒ってる。クラークが思っていると、再度、手のひらをクラークに向けて来る。マヤに羽ペンを返す。
ペンを渡したのに、マヤはじっとクラークを見つめてくる。マヤは――性格はこんなだと分かっているけど、見た目だけはこの上ない美少女だ。半妖精族というのは、伊達じゃない。本当に息をしているのか、体温があるのか、確認したくなる。何て言うか、同じ生き物とは思えない感じだ。魔術師だし。時々不思議な事を言うし。
え、さすがに照れるんだけど、とかクラークが目を逸らしそうになった時、ようやくマヤはペンを紙の上に走らせた。
『滅びてしまえ』
「……薄汚い盗人ども?」
何も意識しないまま、その言葉はクラークの口から零れ落ちた。零れ落ちた分だけ、代わりに口の中に、喉の奥に、腹の中に、痛いくらい冷たい塊を突っ込まれた気分になる。
ガタンっ、と音がしたと思ったら、クラーク自身が立ち上がって椅子を動かした音だった。
何が何だか分からない。分からないけど、ぞっとする。異様に動悸が激しい。マヤは座ったままで、じっとクラークを見上げてくる。まるで作り物みたいに綺麗な顔をした、黒魔術師が。
何、いまの。
尋ねたいが、声も出ない。そもそも、答えたのはクラークだ。
「顔色が悪いわよ。部屋に戻ったら?」
周りの団員の邪魔にならない程度の声量で、マヤが言う。おいおい、親切ごかしにいい加減なこと勧めてくんなよ、とかいつもの軽口も出てこない。「……だな」
囁いて、マヤから逃げるように自習室から出る。
何だっけ。何だっけ? 諺? 慣用句? 流行言葉?
考えない方が良い気がするけど、考えずにはいられない。
いつ聞いた? 誰が言ってた? どうだっけ? どうだった?
まるで思い出せないし、そもそもクラークには、あんな物騒な事を言う人間の心当たりがない。クラークの同年代の少年があんなに小賢しいことを言うとは思えないし、かと言って、大人なんてそんなに知り合いもいない――気がする。
あぁ、だけど、どうだろな、とクラークは思う。
もしかしたら、かつて誰かからクラークやクラークの母親に向けられた悪意だったのかもしれない。意識していなくても忘れられなくて、不意に思い出してしまったからこんなに苦しくて恐ろしいのかもしれない。そんな気が――あまり、しないけど、とりあえずそういう事にする。
明日だって早いし、また剣だか斧だか金槌だかを振り回した後、あの女王様に連れられて森に行くのだ。そういえば、あの魔物から回収した核ってマヤとケネスが持ったままなのか。明日の昼休みには、購買部でも行ってみようか。明日――明日になったら。
1日くらい、風呂に入らなくたって死なないか。死なないよな、とか思ってクラークはそのまま部屋に戻る。クラウスが「忘れ物?」と怪訝そうに声を掛けてくるけど、「あー、何か急に、眠くて死にそうになって来て……ごめん。寝る……俺、明かり付いてても寝れるから、クラウスが好きな時に明かり消して。おやすみ……」答えるなり、クラークはばったりとベットに倒れ込んで、寝た。




