はじまりはじまり
――滅びてしまえ。薄汚い盗人ども。
そこは古代人の遺跡であるとか、神々の戯れの砂遊びの産物であるとか、宇宙人の建造物であるとか諸説ある。諸説あるということはつまり、結局のところは誰にも本当の事は分かっていない、ということでもある。起源とか歴史とかそういうものは、そんなものだろう。
正しいかもしれないが、そうではないかもしれない。それでも誰も困らない。つまり、どうでもいい。それ以上でもそれ以下でもない。
肝要なのは、そこに危険と、危険を冒してでも飛び込む価値があるほどの多くの富が詰まっているということだけだった。
地下迷宮。
正体不明の建造物群。そこへの入口は、世界中の各地である日唐突に、そして、同時に姿を現した。
そこには夢物語で謳われるような多くの富があり、そして、空想上でしか語られたことがないような獰猛な怪物達が住み着いていた。
人々はその建造物群を「地下迷宮」と呼び、宝を求めて地下迷宮に挑む命知らずな探求者達をいつしか冒険者と呼ぶようになった。
冒険者達の活躍は、富と名声に彩られた冒険譚として人々の間で語られるようになる。我もそれに続かんと、何の備えも無く危険な地下迷宮に飛び込む少年少女達のために、いつしか、冒険者を養成するための組合が作られるようになった。
ここに、名門と呼ばれる1つのギルドがある。
冒険者養成ギルド・知恵の女神育成義勇団
今年もまた、少年少女達の為に鷹は飛び立って行く。
いつだって、そこは何故かじめっとしていて暗くて、場所相応の雰囲気を醸し出していた。
もう少し日当たりが良い場所に作れば、訪れる人間の気分も良くなるし、足繁く通うようになると思うのだが。しかしまぁ、数十年、もしかしたら数百年の歴史の結果は、少年の思いつき1つでは変わらないのが事実だった。ずらりっ、と、等間隔に並べられた石達は、この街の歴史を語る。
「……ねぇ、本当に行くの?」
掠れた声に問われて、少年は顔を上げた。いかにも気の弱そうな顔をした、実際に気の弱い幼馴染の少女が、泣き腫らして兎みたいに赤くなった目をして立っている。
ふわっとした短い茶色い髪。結構可愛い顔立ちをしてると思うのだが、自信の無さの現れなのか、いつも邪魔そうな感じに前髪を伸ばしてうつむいている。
「うん。行くよ」
少年は持っていた白い花束を、眼前の石の前に置いてから言った。
石には『クレア・イレイザー』と刻まれている。それから、8つの頂点を持つ星型が。周りの石に比べるとまだ新しくて、刻まれた文字は鮮明だし苔生している様子も無い。地面を掘り返した跡も、まだうっすらと残っている。つまり、まだ新しい墓石の置かれた出来たての墓だ。
「だって、お母様が亡くなったばかりじゃない。それに、それに……クレアさんは、クラークには冒険者になんてならないで、この街で、自警団に入って……普通に、長生きして欲しいって、言ってたじゃない。どうして、それじゃダメなの?」
兎の目をした女の子に問われて――クラークは溜息を吐いた。
「もう、ギルドへの加入金払ったし」
「取り消せば、いいじゃない。返金、してもらえるでしょう?」
「満額は返って来ないよ」
「……ねぇ、そういう問題じゃ、ないの、分かってるんでしょう?」
重ねて泣きそうな声で言われて――あぁ、気弱なくせに、ずるいんだよなぁ、とクラークは思う。この幼馴染の少女は、アイリスは、クラークが適当な言い訳を付けて逃げる事を許すつもりなんてないのだ。
それを分かっていても、なお、クラークは適当な言い訳を口にする。
「そうかな? じゃ、長生きの方の問題? だったら、冒険者になったからって、っていうか、冒険者養成ギルドに入ったからって、いきなり死ぬわけじゃないし。逆に、自警団に入ったからって、確実に長生きできるわけでもないし……つまり、土地も持ってない余所者で、剣を振り回す位しか能の無い子供になんて、そんなに選択肢も無いんだよ。だったら、冒険者の方が、夢があるだろ?」
「……クラークは、この街が、嫌いなの?」
前髪を引っぱって顔を隠しながら、それでも真っすぐにアイリスは問うて来る。
うん、まぁ。
と思うけど、口には出さない。
「そういうわけじゃ、無い。好きか嫌いかは、分からない。他の街に住んだことなんてないんだから、比べようがないよ」
「……うん」
「だけど、そういう問題じゃなくて、俺は行くよ。メーティスに」
「……どうしても?」
「どうしても」
クラークが頷くと、恐らく、この少女にしては最大級の勇気を込めて、言った。
「……わたしは、クラークに、ここにいて欲しい」
アイリスの真っ赤な目の奥に、この街の様々な事を、それから、今日までのクラークの、大して長くない人生を、透かして見る。地方の特色の無い街。石造りの低い城壁に、煉瓦や木で造られた家々。城壁の外の畑を耕す人々。
悪人と言うわけでは無いのだろう。ただ、田舎の人間特有の偏狭な考え方から、子供を連れて流れ着いた母には対して親切では、無かった。その子供のクラークに対しても。例外は、様々な土地を旅した商人や、街の外に住む狩人や、流れ者の傭兵のような人々だ。彼らだけが、ほんの少し、母やクラークに優しかった。この、商人の娘のアイリスみたいに。
「……でも、行くよ」
クラークが、アイリスに、そして、今までの生活すべてに別れを告げるのを待っていたみたいに、甲高い声が響き渡る。アイリスはびくっと身体を震わせて首を竦めたが、クラークは声の主を探した。
陰気な墓場には相応しくないくらい、鮮やかに陽の光を反射させる銀色。金属と歯車と、それからよく分からない素材で出来た巨大な鳥型の何かが、少年と少女を隔てるみたいに舞い降りる。
生き物――ではない。ただ、どうやって其れが動いているのかは、誰にも分からない。
「『遺産』……!?」
アイリスが巨大な鳥型の何かを見て、驚きの余り悲鳴のような声を上げた。
地下迷宮から持ち出された様々な宝物――その中でも、不思議な力を持った武具や、人々の生活に役立てられる便利な道具は、総称して『遺産』と呼ばれている。
「メーティスからの鷹だ!!」
クラークは歓声を上げて、鷹と――そして鷹が抱えている、竜の横顔と交差する剣が描かれた荷物を見た。何の為に存在するのか、如何なる素材で出来ているのかは、現代の技術者達にはまるで分からないが、この金属製の鷹は、あらゆる土地へ、あらゆる人々の所へ、舞い降りて何かをもたらしていく。地下迷宮より持ち帰られた『遺産』は、機構も原理も理解されないまま人々の生活に利用されている。
冒険者養成ギルドの名門・メーティスから荷物を届けに来た金属製の鷹が、「ようこそ」と微笑んでいるように見えたのは、流石にクラークの感傷が過ぎただろうか。
鷹の向こうで、アイリスは泣きそうな顔をしている。
あぁ、それでも、と少年は思う。
ここで一生を終えることは出来ない、と。