『バクダン焼き丈二』 ー勝利できると知ってても、収入ないヤツが全財産を最終Rに賭けられる⁉︎ー
「おいおい、うそだろ。もう一回聞かせてくれ」
丈二は屋台の鉄板から身を乗り出して電話の会話にそば耳を立てた。初老の金縁眼鏡の男はケータイの相手にまくし立てていた。
「そうだ、ヘルズーパーク、最終レースだ。絶対に来る、間違いない。買いそびれるな、絶対に買えよ!」
丈二は金縁眼鏡男に気づかれないように『ヘルズーパーク』とこっそり書き留めた。
「丸秘ネタだからな、他の奴には言うなよ。最終まで時間はーー」
金縁眼鏡男は丈二におい、と呼びかけ、
「今何時だ? 時計を見せろ」
「え? あの、後ろに時計塔立ってますけど」
「お前の腕時計見せろ。腕時計くらい持ってないのか!」
「あの、後ろ見たら……」
「俺の話を聞かなかったのか! 腕時計を見せろ」
眼鏡男は丈二の手首を荒っぽく掴み引き寄せ時刻を確認すると電話に戻った。
「レースまで一時間ある。いいか買いそびれるなよ」
眼鏡男は少しイラついた様子でケータイを切った。丈二は顔色伺いながら、
「あ、あの金蔵さん、きょ、今日は競馬調子どうですか? も、もちろんいいに決まってますよね〜!」
「おい、丈二こげるぞ。さっさとあげろ」
丈二はぎこちない手つきでバクダン焼きを器に入れてソースぬり金蔵に渡した。金蔵は金も払わずひとくちかじった。
「今日の売り上げは?」
「売上ですか? あ、その、売り上げは……、うひょひょひょ〜〜」
ごつい指輪だらけの金蔵の太い指が丈二の耳たぶをギュッとつまみ上げた。
「いだだだだ〜」
「おい、今月分ちゃんと払えるんだろうな」
「も、もちろんですよ、金蔵さん。全然問題なんかないすよ!」
ここは動物園の園内。日曜日だというのに人はほとんどおらず、当然バクダン焼きを買いにくる人なんかいやしない。
「しっかり稼げよ」
「あ、あの金蔵さんーー」
おそるおそる丈二は尋ねてみた。
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ屋台離れてもいいですか? 買いに行きたいものがーー」
色の濃い眼鏡越しでも金蔵の目が怒っているのがハッキリ伝わってきた。
「い、いや、そうですよね〜、ダメに決まってますよね、ウヒョヒョ〜」
金蔵の後ろ姿が見えなくなってから丈二は調理用ピックを叩きつけた。
「マジかよっ! こんなところでバクダン焼きなんてやってる場合じゃないって。大儲けできるチャンスだろ。ああ〜〜、馬券買いに行きてえ〜! なんとかなんねーのかよっ」
興奮で薄くなり始めた丈二の頭部から熱気が出ていた。財布を開き、ポケットの中身をすべて出し、レジをひっくり返し金をかき集めた。
「三万三千円……これぽっち? 俺の全財産、俺はこれっぽっち?! なんとかしてえーーー!」
頭かきむしっていると、屋台のガラス戸をノックする音がした。スケッチブックを抱えた二十歳くらいの青年が中を覗きこんでいる。丈二は思わず声を荒げた。
「うるさい! 今大事なところなんだよ。食いたいなら自分で焼いて食えよ!」
スケッチ青年はボソリとつぶやいた。
「ねえ、この車動かしてよ」
「なにっ、車動かせえ? なんでだよ」
「この檻のテナガザルを描きたいんだ。車が邪魔で見えないよ」
「サル? サルなんか動物園までワザワザ見に来るな! こっちはなあーー」
スケッチ青年に八つ当たりしたが、丈二はふと閃いた。
「そうだ、思いついたぞ。俺がサルの絵描いてやる。その代わりお前が馬券買ってくるんだよ。こりゃあ名案だ〜 ウヒョヒョヒョ」
丈二はスケッチ青年に『全財産』を力強く握らせ、
「『ヘルズーパーク』に全額。俺の人生がかかってるんだ。あと30分、行け、早く馬券買いに行ってくれよっ」
肩をすくめてスケッチ青年は去っていった。丈二はウキウキ、もう小躍りが止まらない。
「やった、やったぞ〜、これで大金持ちだ、ウヒョヒョー! もうこんな屋台とはオサラバさ」
鼻歌交じりにラジオをつけ競馬中継に合わせた。
ところがここで丈二は一抹の不安がよぎった。一番大事なことに気づいたのだ。
「おい、ちょっと待てよ。あいつ、やけに素直に買いに行ったよな。馬券持ってちゃんと帰ってくるよな?」
丈二は『全財産』を渡してしまったのだ。今日初めて会った彼に。
「明日の仕入れに使う金だぞ。まさか、持ち逃げする気じゃないだろうな」
こうしちゃいられない! そわそわ落ち着かなくなったその時、ラジオからファンファーレが響きレースが始まった。丈二はアナウンサーの実況にかぶりついた。
『さあ、本日の最終レースです。今スタート!』
スケッチ青年のことは丈二の頭から消え、レースに心奪われ始めた。
「よし、行け行け!頼むぞ〜」
『第二コーナーを回って先頭は一番人気ダンディカアサン』
丈二は両手を合わせて必死にお祈り。
『最終コーナーに差し掛かりました。先頭は入れ変わりバラダンウェザー。このまま行きそうだ』
「うそだろ、おい、ガセネタだったのかよ。うああマジかよ!」
頭を抱え床に倒れこんだ丈二に無情の実況が響く。頼みのヘルズーパークは来ない……。
ところがーー
『最後のストレート、おっと最後尾につけていたヘルズーパークが来た。ヘルズーパーク追い上げる』
なに?!
丈二の顔がパッと明るくなった。ついに来た?!
「よし、来い来い! 来いーー!」
競馬新聞で自分の尻を叩き、ジョッキーのように鞭を入れていた。目は血走りブルル、ブルルと馬のように叫び、一緒に必死に走っていた。見た目はかなり馬鹿馬鹿しい限りだが。
そしてーー
『ゴール! 一着は後方から追い上げたヘルズーパーク、ヘルズパーク』
キャベツが飛んだ!タコも飛んだ!丈二が喜びを爆発したその勢いで調理場中のあらゆるものがぶっ飛んだ。
「やったー! やったぞ、勝った〜〜」
具まみれになった丈二は笑いながら泣いていた。具まみれになった少ない髪の毛がちょっとしょっぱかった。
ガンガンガン、とガラス窓が叩かれた。音には明かにイライラがこもっていた。
「ああ〜〜、けったくそ悪い。おい丈二、いくつか焼け。食わせろ!」
喜び絶頂中の丈二に金蔵が八つ当たりしに来た。
「くそっつ! 今日はツイてねえ。なんてムカムカする日だ。ロレックスは落とすし、馬券はとれねえし」
「あ、あれ、最終レース買わなかったんすか」
「あ? 当たってたんだよ! あの馬鹿ヤロー、ちがう券買いやがって、くそっつ。83倍だぞ、83倍」
「えっ、そ、そんなに!」
ホクホク顏の丈二は金蔵に隠れて電卓を叩いた。
273万円!
「ゔおおおおおーー!」
焼きかけのバクダン焼きがまた宙に舞った!
「あぢっつ! なんだ馬鹿ヤロー、食いもんは大事に扱え」
「に、に、273万円……」
丈二に様子がおかしい。背を向けてブルブル震えだした。
「おいお前、大丈夫か。タコなんか頭に乗っけて」
「ウヒョウヒョ、ウヒョヒョヒョ〜〜、どうしよどうしよ、273万円。これから何しよう!ああ、もう〜早くあいつ帰ってこいよ〜」
ハッ、
頭のタコがコロンと落ちた。丈二の血の気が一気に下がった。
「そうだ……あいつを見つけて捕まえなきゃ! こうしちゃいられない」
エプロンを投げ捨て丈二は屋台のバンを飛び出した。
「丈二、どこ行くんだ」
「やめろ、止めるな! あいつに逃げられる」
「あいつって誰だ」
丈二と金蔵がもみくちゃになっているそこへーー
「あの……」
なんと、スケッチ青年が戻ってきたのだ。分厚い封筒を丈二に差し出した。
信じられない。
丈二は封筒を開け中身をまじまじと見入った。ちゃんと入っていた。
あああ……、
丈二は足の力が抜け、スケッチ青年にすがりついた。
「お、お前、よく…よく帰ってきた……」
「遅くなってごめん。レースで馬見たらつい描きたくなっちゃって」
「あああ、ありがとう、ありがとう……」
丈二は青年に抱きつき感極まった。
「丈二、お前今日のレースとったのか。大穴だぞ。よくとったな、大した奴だ……」
ついに丈二の人生絶頂期が訪れた。
「ウーヒョヒョー! 春だ、春が来た。卒業だ! このヘルバンからおさらばさ」
「ねえ、早く車動かしてよ。テナガザル描きたいんだよ」
「わかったわかった。いくらでも描けよ。今日はこれで店じまいだ〜」
ウキウキしながら丈二は運転席に乗り込みエンジンをかけた。それとは対照的にやりきれない金蔵はひとり愚痴っていた。
「ちっ、うめえことやりやがたな……。俺なんてロレックスなくしちまったんだぞ。親父の形見だったんだ。金じゃあ買えないんだ」
「大丈夫ですよ! きっと見つかりますよ。この先いいことありますって〜」
ココロも軽く、アクセル軽く、ゆっくりバックしていった。
と、
メキッ!
金属がゆがむようなイヤ〜な音が3人にも聞こえた。タイヤが『何か』に乗り上げたようだ。
丈二と金蔵の顔色がそれぞれ違う色に変わっていった。
エンジンを止めて、呼吸を整えてから丈二はポツリとつぶやいた。
「み、みつかってよかったですね、時計♡」
丈二の賞金の使い道が早速できたようだ。
-終わり-