プロローグ:雨の日に思い出
「あれ、そういや×年前の今日ですね。前のあなたが死んだのは」
しとつく雨を窓越しに眺めながら、思い出したようにサンティロが言った。
「そうだったっけ?忘れた」
厨房のほうから、焼きたての菓子の香りと、間の抜けた少女の返事がやってきた。
湿気のせいか、いつもよりまとまりの悪い金髪を指で梳かしながら、サンティロは溜息をついた。
「自分の死んだ日を忘れるなんて…。何をもたもたしてるんです、紅茶が冷めてしまいますよ」
古びた木で出来たテーブルには既に二人分の紅茶と皿が用意されている。
そこへ、大皿に盛られて主役の焼き菓子達が運ばれてきた。
「さあ、おやつにしようか」
大皿をテーブルの真ん中に置いて、少女、御照世ミテルはいそいそとサンティロの正面の席に着いた。
さっくりと焼けたクッキー、焦がしバターの香るフィナンシェ、フルーツたっぷりのパウンドケーキ。
もふもふとそれらを口に詰め込むミテルを見てサンティロは口元を緩めた。
ミテルがさっき汚した洗濯物のことも、自分たちを追い回す警察のことも、すべて忘れられるつかの間の休憩。
二人だけの時間。
そんな居心地のいい静けさを壊したのは、ミテルの一言だった。
「…ヤノマエ」
瞬間。
その言葉は瞬間凍結剤のように部屋の空気を凍らせた。
サンティロの美しい顔は歪み、こわばった。
古びた木のテーブル、イス、焼き菓子、本棚、部屋にある全てのものが一斉に息を呑んで、ミテルの次の言葉を待った。
窓の外で雨がしとしと降る音さえ、遠慮しているような…。
その凄まじい空気の変化に唯一気づいていないミテルだけが、菓子を見つめながら言葉を続けた。
「ヤノマエが死んだのも、×年前だね。あれは我輩が死んだ日のちょっと前だったはずだから」
「忘れなさい」
サンティロは何とか動揺に気づかれぬよう気を立て直し、たしなめるような口調で言った。
「あいつの記憶など持っていてもメモリの無駄です。消してしまいなさい。と、以前も言ったはずですが」
「そういやそうだったっけ、ごめんごめん、今度消すよ」
ミテルは上の空といった様子で答えた。
サンティロは、辛そうに溜息をついた。
消すつもりなんて、全然無いくせに。
カテゴリーが文学であっているか不安です。
これからも細々と連載する予定です。
誤字など、気づいたことがありましたら言っていただけるとありがたいです。