攻勢
ほんのりと温かい真気が、身体を駆け巡ってきた。
――温かい……この包み込むような温かさは……童兄?
風蓮が目を開けると心配そうに自分を見下ろしている紅鈴がいた。
「俺はどうしたんだろう……」
「風蓮殿、剣気が暴走したのです。童顔鬼が自身の真気がなくなろうとも助けるんだと、真気を与え続け、その剣気を抑え込んでいますが……楽観はできません。一つには、風蓮殿の剣気が強過ぎて、いつ、暴れ出すか分からないこと。二つには、大量に挿入された童顔鬼の真気が風蓮殿の真気と調和が取れず、暴走する可能性もあります。いずれにしても、ここ数日は様子を見なければなりません」
紅鈴が暗く沈んだ顔をして、説明した。童顔鬼は珠のような汗をかいていて、その目は落ちくぼんでいた。
童顔鬼、紅鈴の後ろには、黄瑛と陳万年が控えていた。
ここは、「黄」本店だった。風蓮が気を失ってから、李三らがここまで運んで来たのだった。
風蓮は金旋との経緯を話した。そうして、金旋……今は百来が負傷した今こそ、攻勢をかけるべきだと話したのである。
「風蓮様、その身体では無理なのではありませんか?」
黄瑛は風蓮の体を案じたのだ。
「黄瑛殿、風蓮殿自ら動かずとも、宜しいと思います。まず、李三殿を中心として、桑広洋の蔵を狙います。仮に密書らしきものが出てくれば、御史台が動けます。それが、大きな波紋となりましょう」
陳万年は、黄瑛の懸念に同調するように提案した。
「いや、俺も行く。聞けば俺のこの身体には剣気や、童兄の真気が充満し、いつ暴れ出すか分からないという。ならば、この身体を戦いの場へと出し、身体の中の剣気、真気を発すれば、自ずと癒えよう」
「荒療治ですね……風蓮様らしいと言えましょうが、今や、「陶氏」の首領なのですから、もう少し、ご自愛いただきませんと……」
黄瑛は風蓮の身体を心配するのだが、風蓮はそれに微笑みで応えた。
「もう、仕方ありませんね。風蓮様のその笑顔は魅力的で、女侠と言われた私も折れざるを得ません」
それから、数日後の深夜、風蓮たちは動いた。まだ、身体は万全とは言えなかったが、寝込んでいるより、動いている方が真気を発せられ、体調は良いのだ。
李三が指揮する燕刀門の配下は5人であった。この一隊が先行した。その後から、風蓮と陳万年が続いた。風蓮の背後には、童顔鬼と紅鈴のふたりがいつでも飛び出せるよう護っていた。
そして、風蓮たちが桑広洋の屋敷の近くまで来たとき、李三たちがひとりの女を囲んでいた。その女は、薄着というより、肌が露わに見える衣服を着ていた。それが、月夜の光に照らされて、怪しく見えた。
囲んでいる李三たちを見ると、そのうちひとりが、胸を抑えながらうずくまっていた。明らかに、毒に侵されていると判断できた。すると、この女は、百蛇教の者だと考えられる。しかし、李三たちは、百蛇教への懸念から、「金蛇の玉石」から作った覆面を着けていた。それが、効かないということは、強力な毒性を発したということになる。
風蓮は素早く動き、李三たちの前に出た。
「百蛇教の方だと推察する。我らは故あって先を急ぐ。退いていただきたいのだがな」
風蓮の言葉に嫣然と怪しい微笑みを崩さない女は、その身にまとっていた内掛けをさらりと脱いだ。すると、李三たちは混沌したように、その場に倒れた。
「紅鈴、こちらの方が「陶氏」の首領、風蓮殿ですの? 紹介してくれないから、ここで待ってたのよ」
「姉様……紅青姉様。何故、中原に出て来たのですか? 百蛇教は苗族の地から出ないはずではないのですか? それにもまして、その衣服のだらしなさは何ですか」
紅鈴は眉を寄せながら避難した。
驚いたのは風蓮であった。正一真教と百蛇教とは親交があるとは聞いていたが、まさか、姉妹だったとは驚いた。
「だって、教祖様の命ですもの、仕方ないでしょう。それから、この衣服は百蛇教の服なのよ。仕方ないでしょう。でさぁ、風蓮殿はどうして私の黄蛇酔散が効かないの? せっかく、お持ち帰りしちゃおって思ってたのに」
風蓮は唖然とした。今までに会ったことがない系統の女であった。対処に困った風蓮は紅鈴を見た。
「姉様、私たちの邪魔をするために、ここにいたのですか? 退いてはくれないのですか?」
「退くわけにはいかないのよね。退かせたいのなら、勝つしかないわよって……私の質問に答えてないわよ、紅鈴」
言うなり紅青は紅鈴に向かって、銀針を5本同時に投じた。紅鈴はそれを避けたかに見えたが、紅青が手首を捻ると、銀針は向きを変え、避けたはずの紅鈴に刺さった。
そして、紅青が腕を戻すと、銀針は紅青の手に戻ったのだ。
躍り出たのは、童顔鬼であった。蒼龍剣を抜き放ち、間合いを詰めようと迫った。だが、剣の間合いに入る前に、紅青は銀針を再び5本投じた。
童顔鬼は蒼龍剣で弾き返したが、紅青は銀針をさらに5本投じ、間合いを詰めるのを防いだ。そして、先に投じた5本の銀針と、後から投じた5本と合わせて、10本の銀針が同時に襲った。
結果、投じられた銀針の1本が刺さり、童顔鬼は動けなくなってしまった。
「百蛇教の奥義、銀光秘閃を避け得る者はいないのよ。さて、若き首領、風蓮殿、いかがなさいます?」
風蓮が良くみると、紅青は常に、飛刀の間合いにいた。銀光秘閃という技をみると、銀針を投じることから飛刀と同じなのだろうと思った。そして、銀針に糸が付いており、方向を変えたり、戻したりできるのだ。飛燕と似たような技であるが、大きな違いは殺傷の力がないことだった。それは、多分、銀針に毒が塗ってあることで、補っているのだろう。
今の自分と紅青との間合いも飛刀の距離であった。これに対するには、飛刀か、北聖真掌で対抗するしかない。そして、風蓮の体内では、既に剣気が暴れ出しそうだった。選択は否応なしに後者だった。風蓮は、目を閉じ、剣気を右手に集め出すと、そこから、剣気を発した。
紅青は飛んで来た剣気に驚きながらも、その剣気を避け、銀針を続けざまに投じた。だが、風蓮は右手から剣気を連射して、飛んでくる銀針を全て粉砕した。そして、風蓮の左手からも剣気がほとばしり、その剣気が紅青の右腕を切断したのだ。
風蓮は静かに体内の真気を整えた。すると、体内で暴れ出そうとしていた剣気が放出されたことで、童顔鬼の真気が自分の真気と合するのが分かった。
静かに目を開けた風蓮は、紅鈴に歩み寄った。
「大丈夫か? 毒が回っているのか? 俺はどうしたら良い?」
「風蓮殿、「金蛇の玉石」を貸してください。それで、毒を消せます……それから、これを……」
風蓮は、そうだったと、慌てて懐から「金蛇の玉石」取り出し渡した。そして、重症を負った紅青に近付いた。紅鈴が風蓮にこれを、と言って渡したのは、正一真教の秘薬だった。自分の姉の手当を託したのだと悟った風蓮は、紅青に近付いた。
右腕を抱えて蹲っていた紅青は、風蓮を潤んだ目で見つめていた。
風蓮は黙ったまま、紅青の腕を点穴して止血すると、正一真教の秘薬を塗布して手当をした。その間、「金蛇の玉石」で解毒をした紅鈴は、童顔鬼、李三らを解毒していた。
風蓮は手当をしながら考えた。仮に、紅青が本気で我らの抹殺を考えていたならば、手勢を率い、罠を設けて襲撃するはずである。そうはせず、単身で現れたということは、過信していたか、止む無く命に従わざるを得なかったか、だということになる。紅鈴への情もあると思われたことから、後者だと考えた。
紅鈴もまた、正一真教秘蔵の秘薬を渡したことから考えて、姉妹の情があるのだろう。つまり、この紅青は協力者と成り得ると判断した。
風蓮がそうやって、思案していると、解毒され、しばらく休んでいた李三らが、風蓮の前に膝を付いた。
「風蓮、ここから先は我らに任せてくれないか?」
李三は先の失態を気に病んでいるようだった。そこで、ここは李三らに任せるべきだろうと考えた。そして、風蓮は李三の肩に手を置いた。
「李三、無理はしないでくれよ。お前は俺の友なんだからな」
「風蓮……必ず、吉報を持って帰るからな」
李三らは身を翻して、夜空に消えていった。
風蓮は重症を負った紅青を背負い、「黄」本店へと戻った。後には、童顔鬼と紅鈴が続いた。
そして、「黄」本店に着いた風蓮は、紅青を寝かせて、その看病を紅鈴に任せた。そこへ、陳万年が来た。
「風蓮殿、これは、どういうことですか? 何かあったのですか?」
陳万年は少し青ざめていた。風蓮はそれを宥めるように笑顔を向けながら、陳万年の肩を叩いた。
そして、これまでの紅青との戦いから、協力者としたい旨を話したのだ。聞いた陳万年は腕を組みながら、思案していた。
「風蓮殿の考えは分かりました。いずれにしても、紅青の回復を待ってからということになりますね」
陳万年の言葉に頷いた風蓮は李三らの帰りを待った。だが、あれから大分、ときは経ったものの、李三らは、中々、帰って来ないのであった。
流石の陳万年も苛立ちはじめてきたとき、風蓮はふと、思い出して、陳万年に提案した。それは、囲碁だった。久しぶりの囲碁を打ちながら待とうとしたのだ。陳万年も自分の苛立ちを抑える必要性から承諾して、囲碁対局がはじまった。
そして、何回目かの対局をしているとき、李三らが帰って来た。既に夜が明けはじめていた。
李三は懐から書状を差し出した。それは、連判状だった。燕王を盟主とし、上官桀、桑広洋等を含めた10人程の人名が連なっていた。それと、上官桀からの書簡をも見付けたのであった。
李三の報告では、桑広洋の屋敷の蔵にはそれらしい書状はなく、困った李三は、捜索範囲を変更した。そこは、桑広洋本人の寝室だった。李三らは、桑広洋を起こさないように慎重に捜索したところ、隠し戸棚を見付け、そこにこれらの書状があったということだった。
書状を手に取って読み続けていた陳万年は興奮していた。
「風蓮殿、これはいけますよ。私は早速、御史台、杜延年のところへ行ってきます。宜しいですね」
「分かった、陳万年。お前はそれに専念してくれ。何かあれば、連絡してほしい」
「分かりました」
陳万年は直ぐには立たず、碁盤を眺め、一目、石を置いた。
「風蓮殿、詰めです。では、行ってまいります」
笑顔で出て行った陳万年に比べ、風蓮は碁盤を眺めて唸るしかなかった。また、負けたのであった。
李三がその碁盤を覗き込み、不思議そうに一言発した。
「風蓮、陳万年に頭脳で対決することは無意味なことじゃないのか?」
風蓮は天を仰いだ。