縁
雪山にある秘密組織「陶氏」の内功修練場は、年中、氷の世界だった。夏になると、雪が融け、清水となって流れるものの、その一部は融けきれず万年氷となるのである。
その雪山の頂に氷でできた洞窟があった。そこに風蓮はいた。
地割れの底から出た風蓮は、内功修練場を探して、彷徨ったあげく、何とかたどり着いた。だが、組織の男たちに捕えられ、ここの洞窟に閉じ込められたのであった。
組織の男たちからの質問攻めに対して、風蓮は事実を話した。その結果、秘密組織「陶氏」の秘伝である八陽九剣法を漏えいしたことで洞窟入りとなったのである。
本来ならば、死罪だという。だが、正一真教蘭鳳派の秘伝である孤影剣法を修得していたことで、助かった。
実は、孤影剣法は正一真教蘭鳳派の秘伝であると同時に、秘密組織「陶氏」の秘伝でもあった。ところが、先代、首領のとき、失伝してしまったという。しかも、正一真教蘭鳳派とも絶縁状態だったことで、その秘伝は現在まで、手に入れることができなかったのだ。それで、何としても、孤影剣法を手に入れるべく、童顔鬼を死なせないように15年間も閉じ込めたのであった。
そして、今、風蓮がその孤影剣法を修得しているのである。それを、組織に提供することを承諾したことで、3ヵ月の洞窟謹慎ということになったのだ。
鉄格子に隔てられた洞窟の前には李三がいた。李三は、あの日、吹雪の中、風蓮を探したのだが、見付からなかったらしい。組織の男たちにも説明はしたのだが、死んだものとして、扱われたのだ。
「すまなかった……俺がへましたばかりに、風蓮、お前を危機に陥れた形になってしまった」
「いや、李三。そのお蔭というわけではないが、俺は童顔鬼という義兄弟を得ることができたんだ。何が幸いするか分からないものだよな」
風蓮は李三に微笑んだ。
「風蓮……どこがどうとは言えないが、お前、変わったな。何か明るくなった気がする」
「そうかな」
風蓮は微笑みを絶やさない。
李三が食事を持って来て言うには、3ヵ月間は、自分が食事の世話をすることになったという。風蓮は、李三は自責の念から、その任を買って出たのだろうと推測した。だから、李三が負担に思わないように配慮したつもりだった。
李三は、毎日、危険な氷壁を登って来た。その都度、風蓮は礼を言いながら、孤影剣法を伝授していった。どうせ、組織の男たちにも伝授しなければならないのだ。ならば、李三にも、伝授して、手分けした方が効率的だと考えたのだ。また、そして、李三がいないときは、洞窟の奥で、技を研鑽するのである。
瞬く間に、日々は過ぎ、後、1ヵ月あまりで、懲罰期間が終わろうというとき、この洞窟の最奥まで探索していないことに思い至った。
――せっかくだから、行ってみよう。
風蓮は松明に火を点け、奥へと進んだ。どんどん進んで行くと、突然、広い場所に出た。そこには、誰かがいた形跡があった。注意深く辺りを照らしみると、男の死体が1体あった。その死体の近くの氷壁を照らすと、文字が書かれていた。『我、「陶氏」首領、伯洸である。逆賊、韓玄に幽閉されて5年。この恨みを晴らした者に、「陶氏」首領の証である神剣、蒼龍剣を託すものなり』と。
その文字の隣の氷壁に一振りの剣が刺さっていた。風蓮はそれを、抜いてかざしてみた。青白く光っているように見えた。
――これが首領の証、蒼龍剣か。伯洸よ、これは俺が預かる。
風蓮は縁を感じた。童顔鬼とも縁だったし、ここで、この蒼龍剣を手に取ったのも縁だと考えたのだ。
それから、1ヵ月後、風蓮は懲罰期間が終わり、内功修練場へと導かれた。そこで、待っていたのは、子浪だった。
内功修練場の一室に通されて、子浪とふたりだけになった。
「子浪……やはり、この組織と関係があったのか」
「蓮……いや、あの童顔鬼に姓名をもらったから風蓮か」
「子浪、教えてくれ。これはどういうことなんだ?」
子浪は微笑みながら、話しはじめた。
それによると、伯爺と呼ばれていたのは伯毅という組織の首領、伯洸の実弟だった。子浪とともに、秘密組織「陶氏」の構成員で、武器密輸を内偵するために、あの奴隷村に潜入したという。
しかし、首領、伯洸が失踪したことで、新たな首領が立った。それが、韓玄であった。伯毅は兄が失踪したことに何か裏があるという。真相を探りたかったのだ。それで、伯毅は自分が病死したことにして、村を去ったのであった。
ところが、その伯毅が首領、韓玄に捕えられたのだった。子浪は伯毅を助けるために、しばらくは首領、韓玄の言いなりとなるしかなかった。
そして、組織からの密輸ルート壊滅指令に従い、村を消滅させたのであった。
子蘭は子浪の実子であった。村人たちに怪しまれないように、家族込みで村に入ったのであった。風蓮は伯爺こと、伯毅が預かった子だったらしい。
子浪は村で捕えた子供らを組織の修練場に送ることに決めた。風蓮と子蘭が、これからの苦難に立ち向かえるよう、自力を付けてもらうためだったという。
「しかし……子浪、ここまで、命がけだったんぞ」
「ハッハッハッ、そうだろうな。だが、俺はお前たちを信じていた。現に、お前もそして、蘭々も生きているわけだからな」
風蓮は呆れた。元からやりっぱなしの傾向はあったのだが、この子浪という男は、やっぱり、大雑把だった。
「風蓮、これからお前にはある密命を果たしてもらうため、大都、長安に行ってもらう。準備ができ次第出発するんだ。当然、李三も一緒だ。子蘭と李玉のふたりは既に大都で活躍している。密命の内容は李三に既に説明しているから、途中で聞け。それからな……あの金旋は恐ろしい男に変貌した。関わらないことだ。良いな」
「分かった。孤影剣法を伝授するのはどうすればいい?」
「大都、長安の拠点に構成員を送るので、順次、伝授していけば良い。既に、表に李三が待っているだろうから、もう行け」
風蓮は部屋から出ると、李三が微笑んでいた。
「驚いたろう。子浪はこの組織の幹部らしいんだ」
「そうか。李三、支度はできているのか?」
「ああ、バッチリだ。さぁ、行こう」
風蓮たちは、旅支度を整え、大都、長安に向けて出発した。
それぞれ、馬に騎乗して進む中、風蓮は李三から密命の内容を聞いた。
李三が説明した密命とは、まず、今の朝廷の状況から説明が必要だという。朝廷は大司馬大将軍である霍光が実質的に経営していた。昭帝はその霍光が帝に擁したのであった。ところが、昭帝の兄にあたる燕王、劉旦は面白くない。また、霍光の専横を良しとしない高官たちも多かった。そうした中で、鉄製武器の密輸という事件が発覚した。風蓮たちの奴隷村もその拠点の一つだった。密輸は燕王が怪しいと探ったものの、決定的な証拠は得られなかった。そこで、とにかく、武器密輸を止めることを優先させたらしい。
そして、武器密輸事件の製造元を潰して一段落した今、また、新たな動きが起こった。それは、昭帝の体調が芳しくないということに起因していた。昭帝はまだ、子がないため、次の帝候補が必要となった。そこで、燕王も候補のひとりとなるのであるが、他にもいた。先帝、武帝の晩年は粛清が横行したため、王族は極めて少ない。その中で、昌邑王、劉賀が自己主張しはじめたのであった。こうした状況下、燕王が王族抹殺のための暗殺者を放ったという噂が立ったのだ。
密命とは、その真偽を確かめ、燕王失脚のための証拠を握るとともに、その放たれた暗殺者を闇に葬り去るということだった。
李三の説明は、ここで、一つの問題点を提示した。それは、秘密組織「陶氏」内部の派閥争いだった。首領、韓玄を頭とする派閥と、もう一つは子浪をはじめとする幹部たちの派閥であった。首領、韓玄は燕王に味方して、漢帝国を内乱にすることが、「陶氏」の繁栄に繋がると主張した。これに対して、幹部たちは秘密組織「陶氏」存在の意義は中原に暮らす民の安息であって、組織の利害を優先すべきではないと主張した。実は秘密組織「陶氏」の決議事項は首領と幹部たちの合議制で決まるのであった。首領対幹部たちの対立となったのである。結果、多数決となり、朝廷側の密命を受けるに至ったのであった。
しかし、首領、韓玄がそのまま済ませるはずがないという。何らかの邪魔が入りそうだというのであった。そして、その首領、韓玄の直属部隊に金旋らがいるという。
「李三、子浪も言っていたが、金旋は恐ろしい男に変貌したという。どういうことなんだ。武術は決して上達しそうには見えなかったが……」
「そうだ。金旋は武術自体は拙い。が、毒術を使わせたら組織一らしい。独自に毒術を開発したことから、首領、韓玄の直属部隊を編成することになったんだ。もしかしらたら……その金旋とやり合うことになるかもしれない」
風蓮は、李三に微笑みながら、その肩を叩いた。
「李三、そう心配するな。ところで、俺たちの密命は分かったが、子蘭たちは大都で何をしているんだ?」
風蓮がそう言ったとき、辺りに異臭が漂ってきた。
「ふたり共! 息を止めて!」
誰かの叫び声が聞こえてきたが、既に遅かった。風蓮は意識が遠くなって、馬上に俯せた。