派閥
「蓮……蓮……」
――誰かが自分を呼ぶ声がする……誰だろう……ああ、この声は子蘭か……子蘭?
蓮が目を開けると心配そうに自分を見下ろしている子蘭がいた。
「子蘭……俺たちはどうなった?」
「蓮……大人たちは殺されたらしいわ……でも、お父さんは大丈夫よね? 蓮……」
「ああ……子浪が死ぬわけない。きっと、生きてるさ。ところで、ここは、どこなんだろう?」
「私たち子供は皆、捕まり、馬車に詰められたの……昨日から一晩中、走ってるんだけど……」
蓮は周りを見渡した。確かに奴隷村の子供たちがいた。あの金旋もいる。どこまで行くのか分からないが、殺すつもりはないのだろうと思った。
荷馬車は時折、休憩と食事のために、小休止するものの、それ以外は、黙々と、走り続けていた。
その間も、黒衣の賊5人がずっと、見張っていた。途中、何人かが逃亡を図ろうとする者もいた。その都度、黒衣の賊が捜索するのだが、逃亡を図った者たちは帰って来なかった。ということは、全て、抹殺されていると思われた。あのとき、護衛の者や荷役人たちを悉く抹殺したのだ。甘いはずがない。
ただ、荷馬車に乗っているだけであるから、考える時間はあった。
あの崖上での黒衣の賊ふたりの会話、鍛冶場にいた覆面の男の声、そして現状から考えられることを整理した。
まず、飛刀の技、飛龍を知っていたということである。そして、「あの方の縁者かもしれん……」というからには、伯爺か子浪を知っているのではないかという推測が成り立つ。
次に、「逃げる機会はあったはず……」と言っていた男は蓮を知っているということである。そして、あの声、体格、あの鋭い目から考えると、あれは子浪ではないか? という推測が成り立つ。
そして、仮にあれが子浪だとすると、自分と子蘭を助ける気はないということである。
これらから導き出されることは、子浪が何らかの形でこの事件に絡んでいるということ、そして、自分と子蘭は見捨てられたかもしれないことである。
――子浪に裏切られた?
いや、分からない。何か事情があるのかもしれない。いずれにしても、今は体力を養いながら、様子を注意深く見るしかない。そう結論付けた。
1ヵ月程が経ったとき、ある村に着いた。山の中腹に位置するためか、少し、寒い。黒衣の賊たちが蓮たちを前後で挟み、村の一角にある小屋に収容した。
しばらくして、年嵩の男が入って来た。その男は、凄みのある声で話しはじめた。
「ここは秘密組織「陶氏」の訓練場だ。お前たちには、これから様々な技を修練してもらう。そして、組織の一員として、働いてもらうことになる。逃げようと思うな。そのときは死ぬ。訓練は厳しく、過酷なもののとなるだろう。だが、ついてこれなければ、これもまた死ぬ。生きるために我らの訓練に耐えよ。良いな」
男がそう言って小屋から出て行くと、金旋が数人の子を集め、何やら算段しはじめていた。
捕らえられた奴隷村の子供たち80人程いるうち、約半数が男である。そのほとんどは金旋の舎弟のように接していた。
蓮はその様子を冷ややかに眺めながら、子蘭に語りかける。
「子蘭、俺が伝授された武術を教えるよ。共に訓練に耐えるんだ。良いね?」
「分かったわ。蓮の言う通りにする。私は生きる……蓮とともに」
ふたりは微笑み合う。
翌早朝、ふたりは密かに起き出し、小屋の裏にある林に行く。ここで、修練するのだ。
まず、蓮は呼吸法から伝授した。子蘭の内息を整えさせ、内功の充実を図ったのだ。
内功とは、軽功、外功の元になる真気を、独特の呼吸法によって丹田に集めることで、人の秘めたる力を極限まで増大させることかできるというものである。中国武術が超人的な力と速さを誇るのはこの内功がある故である。
そして、それと同時に、軽功、百変真功を伝授した。
組織の訓練は1日中、走らせられた。山を、川を、である。はじめのうちは、蓮が子蘭を助けていた。だが、1ヵ月が過ぎた頃から、子蘭は、力が付いてきたのだろう、ひとりで走れるようになっていた。
次は、飛刀の技、飛龍を伝授した。これは、子蘭には素養があったようだ。めきめきと上達していった。そして、子蘭は独自の工夫を加えたいと言うのだ。
組織の男たちは、飛刀の技、飛龍を知っているから、工夫を加えることは必要だった。そこで、蓮は組織の男に申し出て、夜は鍛冶工房で働かせてもらうことにした。この組織の男たちは、積極性をみせると、寛容に対応してくれるのだ。
蓮は鍛冶工房で働きながら、子蘭が提示した工夫を形にしていった。まずは、様々な形の飛刀を製作してみた。
「ねぇ、蓮。川面で石を投げて、何段跳ねるか競争したことがあったよね。あの石を飛刀に代えたら、技の幅も広がるかもしれないわ」
子蘭の言葉を思い浮かべながら、薄く、回転しやすいように、飛刀を加工していく。結果、星型、十字型、九の字型等の何種類かの飛刀ができ上がった。
それを、子蘭とともに、投げ方を研鑽していった。その中で、もっとも、変化に富んだ飛刀は九の字型の飛刀であった。片手に3本ずつ持ち、合計6本を同時に投じると、それぞれの飛刀が円を描くように飛び、まるで、生きているかのように、標的に刺さるのである。蓮はこの技に飛燕と名付けた。
組織の訓練は、3ヵ月が過ぎても1日中走らせることに変化はなかった。蓮は、その中で、金旋の様子を見ていた。金旋は、自分の派閥を作っていた。そして、その中を5人ずつの組にわけて、お互いを助けさせることで、切り抜けていたのだ。
いくら敵対しているヤツでも、見習うべきところはあるものである。蓮は、自分たちの派閥を作ることを子蘭に相談した。
「そうねぇ、助け合うことは良いことよね。蓮は誰が良いの?」
子蘭の言葉に、ぐっと詰まった。蓮は今まで、人と親しく接することを避けてきた。気軽く話してきたのは、子浪と子蘭のみだったのだ。だから、誰と組むのが良いのか、見当も付かなかった。
「子蘭。俺は誰がどういうヤツなのか分からないんだ。だから、子蘭が信用できるヤツを誘ってほしいんだ」
「分かったわ。まず、一番、信用できるのは親友、李玉ね。それに、彼女のお兄さん、李三が良いわ。李三は金旋と敵対していたから、蓮とも話が合うと思うの」
蓮はそう言われても誰のことか分からない。苦笑するしかなかった。
――試す人数としては手頃なところか……だが、子蘭に親友がいたとは知らなかった……
いずれにしても、親友であれば、子蘭が信用できるだろうし、その兄だから、李三は頼りになるだろうと考えた。
「良し、子蘭。ふたりに話してくれ。軽功、百変真功と飛刀、飛龍、飛燕の技を伝授して、俺たちが助け合えるようにしよう。それに名も考えた。燕刀派っていうのはどうだ」
「良いわ。私たちの派閥は、燕刀派ね。早速、話してみるわ。明日、早朝から特訓ね」
子蘭の目が輝いているように思えた。子蘭のいつもとは違う姿にドキッとする蓮だった。
6ヵ月が過ぎると、組織の訓練には外功の訓練が加わった。八陽九剣法という外功である。
外功とは真気の力を技に活用するもので、型を反復して身に付けることにより、あらゆる武器、技への対応の仕方を修得できるのである。
その八陽九剣法は九種の武器に対するため、八用の変化に富んだ剣法の技を修得できる。また、その型を踏むことで、内功自体を強めるという剣法なのである。
さらに月日が経ち、1年が過ぎると、訓練は熾烈になっていった。走るのが、山が絶壁に、川が激流に変わった。外功の訓練も型の教練から、真剣を持っての模擬戦へとなっていった。
そうなると、人の減り方が激しくなった。だが、半年毎にどこからか、新な子供たちが連れて来られ、補充されていくので、人数は80人前後で変わらない。
そして、瞬く間に、2年の月日が経ち、蓮と子蘭は15歳になっていた。今年から、武術の優れた組と、そうでない組みに分かれ、それぞれ特殊な訓練を受けるという。
金旋と離れられるのは嬉しかったのだが、残念ながら、子蘭とも離れなければならなかった。
武術に優れた者たち、20人が選抜され、雪山にあるという修練場に登ることになるらしい。そこで、特殊な内功を修練するのだという。その内功は真骨筋大経という「陶氏」の秘伝である。
通常、内功というのは、真気を丹田に集めることで、その力を増大させるのだが、真骨筋大経は、集めた真気の一部を、四肢に散ずることで、超人的な速さを得ることができるという。
そして、その内功を修練する過程で、身体に陽気が充満するため、雪山で陽気を発散させる必要があるらしい。
残った者たちは毒術、暗器等の特殊な技を学ぶ。
毒術というのは毒によって暗殺する技である。植物、虫、蛇等から生成する毒とその解毒方法を学ぶため、医学にも精通していく。
暗器は隠し武器である。隠し持った小型の武器等で相手の経絡を突いて麻痺させたり、また、ふいを付くために、投じたりするというものである。金旋や子蘭らはそれらの技の修得に励むことになるのである。
雪山組には、燕刀派からは蓮の他には李三が入っていた。李玉の兄である李三は寡黙な男である。決して、機敏ではないものの、その剣技の正確さが評価され、雪山組に選抜されたようだ。
そして、金旋派からは4人いた。蓮はその様子が怪しく思えた。それは、李三も感じていたようだ。
「蓮、金旋派のヤツらは何か企んでいそうだ。早めに始末しておかなければ、我らの方が殺られるかもしれん。どうする?」
李三は、危機を嗅ぎ取る独特の嗅覚があるのか、危機を感じると、蓮の側に来て告げるのである。今までも、李三の忠告で難を逃れられたことがあった。
「李三。俺もそう思う。そして、ヤツらの狙いは俺だ。だから、まず、俺が囮となって逃げよう。当然、金旋派の4人が追ってくるはずだから、李三は背後から近付き、その追手のうち、ふたりを殺ってくれ。俺も逃げながらふたりを殺る」
蓮は自ら囮となることで、確実性が増すと考えたのだ。
対する李三は考え込んでいる。
「風蓮、彼らと我らに剣技の差はあまりない。とすると、優位に立つためには、飛刀を活用するしかない。だが、雪山では風が強いかもしれんから、飛燕の精度が落ちると思う。一対一でも辛い状況だと思うが……」
「李三、飛龍を使うのだ。飛龍ならば、風の影響は受けにくい。至近距離から放てば、避けきれんだろう」
蓮の言葉に李三がニヤリと笑った。
「そうか、飛龍か。なるほどな。それならば、殺れるだろう」
翌早朝、雪山組は出発した。組織の男たちが、前後に付き、登山がはじまったものの、その道のりは吹雪の中の登山となった。
そして、雪山の中腹くらいまで来たときだった。組織の男たちが集まり、何か相談しはじめた。蓮は金旋派の4人を見ると、こちらの方を見ているようだった。
「皆、何者かがこの雪山に侵入したようだ。我らは、その侵入者を始末してくる。このまま、ここで、休んでいよ。くれぐれも言うておくが……ここは我らの庭のようなところだから、逃亡しても無駄だ。分かったな」
組織の男たちは、吹雪の激しい風の中に消えた。雪山組は、しばらく、そのまま吹雪の風を避けるように、うずくまっていた。
蓮が金旋派を注視していると、相手が動いた。その瞬間、蓮は走った。そして、蓮を追う金旋派の4人を李三が追った。
蓮は風下をめざして走った。追い風であることと、軽功、百変真功を駆使しているため、追手を離しながら、どんどん進んだ。そして、雪の中に潜み、じっと追手を待った。
多分、蓮を見失ったのだろう。金旋派のうち、ふたりが一定間隔を保ちながら、慎重に近付いてきた。向い風を計算に入れながら、飛龍の飛距離を測っていた蓮は、良しっと、ふたりに向かって飛刀を投じた。
飛刀は、見事に金旋派のふたりの首に刺さった。
そのとき、風上の方から、チンッと剣で弾く音がした。その音を聞いた蓮は風上に向って走った。飛刀が弾かれた音だと直感した。つまり、李三が、しくじったのだと思ったのだ。
蓮が、音がした地点まで来ると、李三が金旋派のふたりに囲まれていた。
風に負けないように低姿勢となった蓮は、飛刀を3本投じた。九の字型の飛刀である。その飛刀は、風に煽られるので、殺れるとは思っていない。単に、相手の注意を逸らし、李三に攻撃の機会をやるつもりだった。
李三は動いた。相手が気を取られた隙を逃さず、飛刀を投じたのだ。それが、見事、ひとりに刺さった。と、思ったとき、残ったひとりは何を思ったか、風上の方へと逃亡したのだ。
蓮は追った。そして、追い付くと思った瞬間、地面が崩れた。地割れが、吹雪で隠れていたのだ。
金旋派のひとりと、蓮はその地割れに落ちていった。