第6話 伝承
白夜さんたちは五条大橋のあたりで呆然としていたわけです。仲間が二人死んで、荷を奪われて、刻印が刻まれて。
でもね、呆然としている暇は長くはなかったんですよ。
最初に動いたのは清十郎さんでした。織姫の糸で腕も肩もだいぶやられてたはずですが、声はしっかりしていた。さすがですね。こういうときに動ける人が、隊を率いる器ってもんです。
「——全員、怪我の状態を報告しろ」
睦月さんが答える。「左腕に裂傷。止血は済んでいます」
泉水さん。「僕は軽傷です。左手の甲に擦り傷がいくつか」
清十郎さんは白夜さんに視線を向けた。体には傷ひとつない。戦闘中に全部塞がってしまったんでしょう。
「……問題ない。見りゃわかんだろ」
「——お前、さっき儀と言ったな」
「……ああ」
「説明しろ」
「…………」
白夜さんは面倒くさそうに頭を掻いた。銀髪がくしゃくしゃになる。
「長くなるぞ」
「構わん」
清十郎さんは頑固な人でした。
白夜さんは溜息をついた。赤い月を六つ見上げて、それからこう言ったそうです。
「……場所変えようぜ。ここじゃ目立つ。ついてこい」
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喜兵衛の店に着いたのは、もうすっかり夜になってからでした。
白夜さんが暖簾もない入り口の戸を開けて、「喜兵衛。客」と言った。
あたしは帳場で算盤を弾いてたんですが——ええ、見ましたよ。白夜さんの後ろにぞろぞろと。鴉の面が三つ。それと白夜さん。全員、血と泥で薄汚れてる。
「白夜さん」
「飯。あと泊まるとこ」
「……あんた、まさか」
あたしは空を見ていた。さっきから、赤い月が六つ。あたしにも見えてましたよ。妖怪ですからね。
「また参加したんですか。鴉衆まで連れて。——勘弁してくださいよ」
「参加したくてしたんじゃねえよ」
「そうでしょうとも。あんたが自分から参加するわけがない。——で、泊めろと」
「他に行くとこないだろ。この時間にここの近所で宿やってるのお前だけだ」
まあ、そうなんですがね。百膳堂は飯屋ですが、奥に客間が三つほどあるんです。
「宿泊費は一人一夜で銀三枚。飯は別です。前払いで」
「ツケで」
「あんたのツケはもう二度と受けないって先月言いましたよね」
「じゃあ鴉衆のツケで。幕府が払うだろ」
鴉衆が金を払うのかどうかは知りませんが、とりあえず帳簿には書いておきましたよ。
清十郎さんは黙って銀を置いた。鴉の面越しに、あたしの目をまっすぐ見て。さすが隊長。白夜さんも見習ってほしい。
「——一つ聞く。ここは安全か」
清十郎さんがあたしに訊いた。
「安全ってのが何を指すかによりますがね。賊が押し入ってくるようなことは、まあ、滅多にありません。裏社会の暗黙の了解がありまして。ここで騒ぎを起こした者は、界隈全体から締め出される。人間も妖怪も、飯と寝床は必要ですからね」
「……わかった」
「ただし」
あたしは赤い月を一瞥しました。
「あの祭りに関しては、保証しかねますよ。あたしは商人であって、神様じゃないんで」
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奥の座敷に通しました。
六畳の間。畳は古いが掃除はしてある。行灯が一つ。窓の外から虫の声。
泉水さんが先に動いた。地面に手を添えて——座敷の中ですから畳の上ですが——なにやらぶつぶつ呟くと、畳の隙間から薬草が生えてきたそうです。
生えたんですよ。畳から。あたしの畳から。
「何してるんですかあんた! うちの畳から草生やさないでくださいよ!」
「すみません、これが一番早いので。——睦月さん、左腕を見せてください」
泉水さんは薬草を手際よく摘んで、すり潰して、睦月さんの左腕の傷に当てたそうです。裂傷は深かったが、骨には達していなかった。泉水さんの処置は丁寧で的確だったと、睦月さんがあとで言ってました。
「ありがとうございます」
「いえ。——ただ、しばらくは動かさないほうがいいですよ。蘭方医の言い方を借りると、筋の繊維が傷んでいますから」
「蘭方?」
「ああ、長崎のほうで入ってきている医学でして。人の体を中から調べて——いや、今はいいですね。とにかく、左腕は安静に」
まあ、畳は弁償してもらうとして。
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飯を出しました。
秋の晩飯です。松茸の炊き込み飯。焼き鯖。蕪と油揚げの味噌汁。小鉢に蓮根のきんぴら。
白夜さんは黙って食い始めた。いつも通り。清十郎さんも黙って箸をつけた。鴉の面を少し上げて。無骨な食い方でした。
泉水さんは「いい匂いですね」と言って、小鈴から盆を受け取った。「ありがとうございます、小鈴さん」。名前を覚えてる。会ったの今日が初めてでしょうに。この人も面を上げて食べていたんですが、鼻から下しか見えなくても、声と仕草で人当たりの良さが伝わるもんですね。
睦月さんは面を少しだけ上げて、松茸飯を一口食べた。
「…………」
何も言わなかった。でも、箸が少しだけ速くなったのを、あたしは見ましたよ。商人の目は節穴じゃないんです。
さて。飯を食い終えた頃でした。
清十郎さんが茶碗を置いて、白夜さんを見た。
「——そろそろ話してもらおうか。俺たちは何に巻き込まれた。あの刻印は何だ。赤い月は何だ。お前が『儀』と呼んだものは何だ」
白夜さんは箸を置いた。面倒くさそうに天井を見た。それから下を向いた。また天井を見た。
「……欠片ってのがある」
「欠片」
「ああ。神器って呼ばれてる。土器みたいな形をした——よくわかんねえもんだ。それを毎日集めなきゃいけない。日が暮れるまでに持ってなきゃ、死ぬ。つうか、消える」
「消える?」
「影に引きずり込まれて消える。死体も残らない。——前と同じだった。あの黒い手。あれと同じやつが来て、持ってないやつを引きずり込む」
白夜さんの声はいつもの怠そうな調子でしたが、中身が重い。
「毎日、欠片の数は減る。最初は多い。でも日が経つと減ってく。生き残れるやつも減ってく。要するに——」
「……人が減るにつれ欠片も減り、最後は」
清十郎さんが先を読んだ。
「ああ。最後は一個とか二個とかになる。それを最終日の夜明けまで持ってた奴が生き残る」
「生き残った者は?」
「不死になる。——俺みたいに」
沈黙。行灯の火がじりじりと芯を焼く音だけが響いた。
睦月さんが聞いた。
「……もうちょっと詳しく説明してくださいよ」
「だから、そういうもんなんだよ! 俺だってよくわかんねえまま始まって、よくわかんねえまま終わったんだ。百五十年前だぞ? 細かいことなんか覚えてねえよ」
「覚えていることだけでも——」
「大事なのはな、明日の朝から始まるってことだ。それ以外のことは全部、朝になりゃ嫌でもわかる」
白夜さんはそこで黙ってしまった。
——と、そこに入ったのが、あたしです。
「白夜さんの言う通りですけどね」
湯呑みを並べて、茶を注ぐ。湯気が行灯の灯に揺れる。
「伝承だと、もう少し詳しい話がありましてね」
白夜さんが「喜兵衛」と低い声で言った。余計なことを言うな、という目。あたしはまあ、気づかないふりをしましたよ。商人の特技です。
窓の外を見ました。
北のほう——鞍馬の方角に、かすかに火が見える。松明の、赤い点々。
「今夜は鞍馬の火祭ですよ。……あっちは本物の神様をお迎えする祭りですがね、こっちの祭りはろくなもんじゃありません」
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あたしが知っているのは伝承です。裏の世界に口伝えで残ってきた話。古い巻物に書かれた断片。妖怪の長老が酒の席で語る昔話。そういったものの寄せ集めです。どこまで本当かはわかりません。
人と獣と神の区別もなかった時代。名前もまだなくて、言葉もまだ怪しくて、ただ生き物が生き物として蠢いていた時代です。
この列島にね、一柱の神がいた。
名はないんですよ。正確にいうと、名をつけることができなかった。名をつけた者が、ことごとく死んだ。だから誰も名を呼ばなくなった。後の世の者たちは——名を呼ぶ代わりに「禍神」と書いた。禍の神。まがいがみ、と読みます。
禍神は善でも悪でもなかった。台風が善悪を持たないように、ただ在った。でも「在る」ということそのものが災厄だった。歩けば地が裂け、息をすれば疫が広がり、眠れば冬が終わらなかった。
「……で、どうなったんですか」
睦月さんが聞いた。膝の上に拳を置いたまま、まっすぐこちらを見ている。面の奥の目が、行灯の灯を映してちらちら光っていた。
「巫女が現れたんです。一人の巫女がね」
あたしは茶を啜った。
「自分の命を燃やして、神の体を砕いた。九十の欠片に」
「九十」
清十郎さんが呟いた。何かを考えている声でした。
「その巫女はどうなったんですか」
泉水さんが穏やかな声で聞いた。
「……死んだ、と言うべきですかね。でもね、普通の死に方じゃなかったらしい。神を砕いた代償で——永遠に彷徨う存在になった、とだけ伝わっています。まあ、伝承ですからね」
あたしは茶碗を回した。
「その神がね、数百年に一度、欠片を集めようとするんです。自分で拾いに行くわけじゃありませんよ。空に禍月が浮かぶ夜に、人間や妖怪を巻き込んで、集めさせる」
あたしは肩をすくめた。
「贄の儀、なんて呼ばれてますが、要するに神様の落とし物拾いを人間にやらせてるんですよ。ご褒美は不死。罰は死。……神様ってのは気前がいいんだか悪いんだか」
白夜さんがここで口を挟んだ。
「あの黒い影——贄の刻ってのがあるんだよ。夕暮れ時に来る。前もそうだった。影が来て、欠片を回収する。持ってない奴はそのまま引きずり込まれる」
「前って、百五十年前か」
「ああ」
あたしの伝承と、白夜さんの体験が噛み合っていく。
「伝承によれば、儀は太古から何度も行われている。今回で十三回目だそうですよ」
「十三回」
「ええ。で、白夜さん——」
あたしは少し声を低くした。
「今回は赤い月が六つだそうですね」
「ああ。六つだ」
「過去の儀は全部七つだったと聞いてますが」
白夜さんは目を細めた。
「……前は七つだった。七日間だ。今回はなんで六つなのかは、知らね」
あたしは窓の外の赤い月を見た。六つ。七つでなく六つ。何かが足りないのか、何かが変わったのか。
空気が重くなっていた。行灯の芯がじじっと音を立てた。
そこに小鈴が顔を出したんですよ。
「お兄ちゃん、怖い話やめてよ。お客さんたち顔が真っ青だよ」
「怖い話じゃないですよ。歴史の話です」
「同じだよ」
「いやいや、怖いのはお勘定ですよ。今夜の宿泊費、特別料金ですからね。緊急時割増」
「お兄ちゃん……」
白夜さんが立ち上がった。
「とにかく、明日見たほうが早えって。寝ろ」
「……待て。まだ聞きたいことが——」
「明日になりゃ嫌でもわかるっつったろ。寝不足で死んだら間抜けだぞ」
清十郎さんは何か言いかけて、やめた。切り替えの早い人です。
「……そうだな。今夜は休む。明日の動きは、朝に決める」
——ところがね、全員が寝静まったあとに、客が来たんですよ。鴉が一羽。




