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第4話 影の手

 さて、翌日のことでした。


 睦月さんに新しい任務が来たんです。


 護送だったそうです。「影の手」と呼ばれるものの護送。幕府の重要な宝だと。


 鴉衆が護送任務を受けるのは、珍しいことです。暗殺が本業の連中ですからね。護衛だの護送だのは畑違いもいいところで、そんな仕事は御庭番にやらせりゃいい。それをわざわざ鴉に回すってことは、よっぽど表に出せない荷なんでしょう。


 しかも五人組です。あの連中が五人も組まされる。それだけで、ただごとじゃないのはわかります。


 白夜さんの反応はね、あたしの店で見ましたから、よく覚えてますよ。


 あの人は律儀でしてね。白夜さんのところへ来て、こう言ったんですよ。


「別の任務が入りました。しばらく離れます。——待っていてください。戻ったら、続きをしますから」


 続き。つまり暗殺の続き。殺そうとしている相手に「待っていてください」と言う。まっすぐというか、不器用というか。


「……どこ行くんだよ」


「任務の内容はお伝えできません」


「ふうん」


 白夜さんはそれ以上聞かなかった。睦月さんが出ていって、しばらくしてから、ぼそっと呟いたんですよ。


「……五条のほうか」


 あたしは聞こえないふりをしてましたが、白夜さんはああ見えて鼻が利くんです。狐ですからね。睦月さんについた匂いか、懐の荷の気配か、何かで察したんでしょう。


 鴉衆が駆り出されるような護送となると、相当な代物でしょう。


 で、あたしもね、商人ですから。耳は広いんですよ。最近、裏で流れている妙な噂。幕府が京のあちこちで「影の手」を集めているらしいと。


「……影の手、か」


 白夜さんが呟いた。あたしに向けた言葉じゃない。独り言です。でもあたしの耳は猫の耳でしてね。


 白夜さんは何か言いかけて、やめた。壁にもたれたまま天井を見た。


「……いいんですか、追わなくて」


 あたしは聞いた。


「なんで俺が。あいつ俺を殺そうとしてるんだぞ」


「そうですけどね。でも、影の手って——」


「……俺には関係ないだろ」


 白夜さんは目を閉じた。


 関係ない。そう言った。確かに言った。


 でもね、あたしは商人ですからね。人の目を見て嘘を見抜くのは商売の基本でして。白夜さんの目は閉じてましたが、閉じたこと自体が答えみたいなもんです。


 関係ないと言いながら、あの人は天井を見てましたよ。何かを思い出すように。


---


 さて、ここからはあたしが見てない話です。あとから聞いた話を、あたしなりにつなぎ合わせて、まあ、こういうことがあったんだろうと。多少の色はつけてますよ。商人ですから。


 五条大橋。夕刻。


 空は茜色で、鴨川の水面が橙に染まっていたそうです。


 五つの黒い影が動いていた。全員が黒装束に鴉の面。先頭の一人が漆塗りの箱を抱えている。


 先頭を歩いていたのが清十郎さんです。今回の隊長。睦月さんはこのとき初めて会ったそうですが、声を聞いた瞬間に「この人は強い」と思ったと。鴉衆ってのはそういうところで測るんですね。声と、足音と、呼吸の深さで。


 左斜め前に若い男の鴉。足取りが軽い。戦闘員の歩き方じゃない。


 鴉衆ってのは任務中に雑談なんかしないもんです。口を開くのは指示と報告だけ。


 でもこの男は、橋に差しかかる手前で、睦月さんに声をかけたそうです。


「睦月さん、緊張してます?」


「……任務中です」


「ですよね。僕もです。こういう大きな任務は初めてで——あ、あの、話しかけないほうがよかったですか」


「…………」


「すみません。黙ります」


 前方から低い声が飛んだそうです。清十郎さんです。振り返りもせず、短く。


「口を閉じろ。任務中だ」


「……はい。すみません」


 それきり黙ったんですが、しばらくして、橋の板の隙間から生えている雑草を見て、ふっと面の下で息を吐いたそうです。それから小さな声で「強いな、この草」と呟いた。誰に言ったわけでもない。怒られた直後に雑草に感心してるんですから、大した神経ですよ。


 この人が泉水さんです。


 残りの二人は女の鴉と小柄な男の鴉だったそうです。


 五条大橋を渡りきろうとしたとき、糸が張られていた。


 蜘蛛の巣のように細い、ほとんど見えない糸が、橋の欄干と欄干の間に。足元だけじゃない。頭上にも、左右にも。いつの間にか五人を囲むように張り巡らされていた。


 清十郎さんが足を止めた。「止まれ」と。


 でも遅かった。


「——気づくの早いわね」


 声は上からだったそうです。橋の袂の柳の枝に、女が腰かけていた。派手な着物。赤と黒。長い黒髪が風に流れている。細い指の先から、糸が伸びている。何本も。何十本も。


「五人もいるのねえ。大事な荷物なんだ?」


 この女が織姫です。笑っていたそうです。織姫はよく笑うんですよ。——笑う場面がおかしいんですがね。


 同時に、橋の下から石畳が砕けた。


「おぉ! いたいた、鴉さんよぉ! 大事なもん運んでるんだってなぁ? よこせよ」


 卯之助です。力士を辞めた——いや、追い出されたというべきですかね。取組中に相手の頭を叩き潰して殺したそうです。力の加減がわからないんじゃない。加減するという発想がないんです。


 清十郎さんが即座に指示を出した。「箱を守れ! 二手に分かれろ!」と。


 そこからはね、もう滅茶苦茶だったそうですよ。


 鴉の女性隊員が護符を翳して炎の壁を立てた。


 人間でも術が使えるのかって? 術ってのは妖怪の専売特許じゃないんです。人間でも使える者はいましてね。


 とにかく、女性隊員は炎を放った。白夜さんの蒼い火とは違う、赤い、燃え盛る炎。


 卯之助は笑いながらそのまま突っ込んだそうです。「あっつい! あっついなぁ!」って、嬉しそうに言いながら。


 そして女性隊員を殴った。殴った、というのも正確じゃないかもしれません。叩き潰した、と睦月さんは言いました。欄干が砕けて、鴨川に落ちていった。


 睦月さんの足が止まったそうです。


 箱を抱えた鴉と走っていたのに、欄干が砕ける音で振り返った。鴨川に落ちていく影を目で追った。助けに行こうとした。


 清十郎さんの声が飛んだそうです。


「走れ、睦月。——振り返るな」


 睦月さんは走った。振り返らなかった。


「あはは! いい音したなぁ!」


 人を殺して嬉しそうにする人間ってのは、妖怪より怖いですよ。あたしはいろんな妖怪を見てきましたがね、あの手の人間だけは勘弁してほしい。


 一方、小柄な男の鴉の上から織姫の糸が走った。


 一瞬だったそうです。首が落ちて、体が崩れて、橋の床板に血が広がった。悲鳴もなかったと。


「あら。——もう終わり?」


 あっさり死なれると、つまらない。この女にとって、一瞬で死ぬ相手には価値がないんです。


「まあいいわ。——あと三人。次はもうちょっと持ってよね」


 清十郎さんは織姫に斬りかかっていた。速い剣です。でも糸が受ける。断っても断っても新しい糸が張られる。


 織姫はね、清十郎さんの剣を捌きながら、糸で腕を浅く切ったそうです。血が滲むと、織姫の目がすうっと細くなった。


 猫が鼠の足をもいで転がして遊ぶでしょう。——あたしが言うのもなんですが。あれと同じ目です。


「ねえ、腱を切ったらどうなるの。握れなくなる? ——試していい?」


 嬉しそうだったそうですよ。糸がもう一本走って、今度は肩を裂いた。やっぱり浅い。殺す気なら急所を狙えばいいのに、そうしない。切り傷を増やしていく。


 清十郎さんは余裕がなかった。攻撃が防御に追いつかない。


 そのとき睦月さんはというと、箱を抱えて走っていたそうです。逃げなければ。荷を守らなければ。


 ところが前方から、女性隊員を沈めた卯之助が、血のついた拳をぶらぶらさせながら歩いてくる。


「おう、また女の鴉じゃねえか。いい声出すかなぁ? 潰してみようか——」


 このとき泉水さんが動いたそうです。


 地面に手を添えた。蔦が這い出て、卯之助の足首に巻きついた。次いで膝、腰、腕と次々に。あの巨体を絡めとろうとした。


「なんだ? こりゃあ——術か。チマチマとうぜえんだよ!」


 卯之助は藁でもちぎるみたいにバリバリ破いて、そのまま泉水さんに向かって突っ込んだそうです。蔦なんか眼中にない。


 そこに睦月さんが間に割り込んだ。短刀で卯之助の拳を逸らそうとした。


 でも、卯之助の拳は重すぎた。


 短刀ごと弾かれて、体が浮いて、背中から橋の欄干にぶつかったそうです。左腕に欄干の破片が突き刺さって、血がだらだらと流れた。


「睦月さん!」


 泉水さんの声だったそうです。


 睦月さんが吹き飛ばされた瞬間に、そっちに駆け出していた。


 ——鴉らしくない人ですよ。


「大丈夫ですか。左腕——見せてください」


「……大丈夫です。それより、あの男が——」


「逃さねえよ。鴉女」


 卯之助が近づいてくる。睦月さんは動けない。


 そこにね、来たんですよ。


 関係ないはずの人が。


 蒼い炎が、卯之助の顔を横から焼いた。


 橋の欄干の上に、銀髪の男が立っていたそうです。目つきが悪い。着流しの裾が風にはためいている。右手に蒼い火を纏わせたまま、欄干の上から卯之助を見下ろしている。


 白夜さんです。


 ——関係ないんじゃなかったんですかね。


 まあ、あたしが口を挟むことじゃありません。じゃありませんが——あの人はいつもそうなんですよ。関係ないと言いながら来る。知らないと言いながら覚えてる。面倒くせえと言いながらやる。百年以上の付き合いですからね、あたしはもう慣れました。


 慣れましたけどね、どうかしてますよほんとに。命懸けで人助けする暇があるなら、先に勘定を済ませてほしい。


 ——まあ、そういう人なんです。

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