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第3話 嫌われ者

 飯を食い終えた白夜さんは、ふらっと外に出ました。


 散歩です。目的はない。宛てもない。白夜さんの日常というのは、そういうものでした。食って、歩いて、どこかで寝転がって、腹が減ったらまた食いに来る。百年以上それを繰り返してきた。退屈を退屈とも思わなくなるくらい、繰り返してきた。


 で、当然のように後ろに鴉衆がついてくる。


「……お前さあ」


「任務ですので」


「飯食ったろ。もう帰れよ」


「飯と任務は関係ありません」


 白夜さんは溜息をついた。もう何度目かわからない溜息です。


 京の裏通りの話を少ししましょうか。


 表通りでは妖怪は「怪談」でしょう。お化けが出たの、天狗が飛んだの。


 でもこの裏通りでは、隣に住んでるんです。朝、井戸端で顔を合わせるんです。「おはようさん」「おはようさん」って。角が生えてようが、尻尾が見えてようが、隣人は隣人ですからね。


 白夜さんが歩いていたのは、そういう裏通りの一角です。


 で、そこで絡んできたのが花巻でした。


「よぉ、白夜」


 ねっとりとした声だったそうですよ。粘つく、絡みつくような声。水気のある音が混じっている。


 白夜さんは足を止めなかった。止めずに、小さく舌打ちだけした。


「……花巻か」


「おう。花巻だよぉ。覚えてくれてんじゃん、嬉しいねぇ」


 花巻ってのはね、泥田坊の類の妖怪です。泥みたいな体をしていて、輪郭が曖昧で、表面がてらてら光ってる。顔らしきものはあるんですが、目と口の位置が定まらない。笑ってるのか怒ってるのか、見てもわからない。足元にいつも湿った跡が残る。大した力はないんですが——性質が悪い。


「いい天気だなぁ。散歩かい?」


「……」


「つれないねぇ。昔はもうちょっと愛想あったんだけどなぁ。——ああ、昔っつっても、お前があっちこっちで暴れてた頃の話だけどよぉ」


 花巻はずるずると白夜さんの横に並んだそうです。


 白夜さんは歩く速度を変えない。見ない。反応しない。


「なあ、白夜よぉ。不死になんかなりやがってよぉ」


 声の粘度が少し上がった。


「ずるいよなぁ。俺だって参加してりゃ——いや、お前、あの祭りで何したんだか知らねぇけどよぉ。半端もんのくせにさぁ」


「……」


「お前がどんだけ嫌われてるか、知ってるだろぉ?」


 花巻の口が——口らしきものが——にぃっと横に広がった。泥の表面に亀裂が走るようにして。


「人間にも妖怪にもなぁ。半端もんが不死なんか手に入れちまったから、余計に嫌われてんだよなぁ?」


 白夜さんは黙っている。


 花巻のような手合いは、京の裏社会にはそこそこいましてね。白夜さんを嫌ってる妖怪。不死を妬んでる妖怪。あるいはその両方。


 白夜さんは反応しない。花巻のような連中は、反応すると喜んでもっと絡んできますからね。だから無視する。白夜さんは百年以上、そうやってきた。


「——なあ、ところでよぉ」


 花巻の目——目らしきものが——白夜さんの背後に向いた。五歩後ろを歩く、黒装束と鴉の面。


「鴉衆かい?」


 花巻の声が弾んだ。面白いものを見つけた子供のような、下卑た弾み方。


「へぇぇ。鴉衆と一緒とはねぇ。落ちたもんだなぁ白夜。嫌われ者同士——」


 白夜さんがどこで切れたかというと、ここだったそうです。


 右手から火を出した。白夜さんの火はね、普通の火とは違うんです。妖怪の力で生んだ炎は、妖怪の再生を灼く。赤というより蒼に近い、見るからに触りたくない色の火でしてね。花巻の顔面を、ぺろりとやった。


 路地の壁板が焦げて、誰かの洗濯物の端が燃えたらしいですよ。迷惑な話です。


「ぎゃあああああ!」


 花巻が飛び退いた。体の半分が炭化して、残り半分がぐずぐずに溶けている。


「あっつ! あっつぅい! 何しやがる白夜ぁ!」


「うるせえ。次は全部焼く」


 白夜さんの声は平坦だったそうですよ。怒気はない。ただの事実を述べている声。


 花巻は泥の体を震わせている。炭化した部分がじわじわと再生していくんですが——遅い。白夜さんの火に焼かれた箇所は、そう簡単には戻らない。だから白夜さんの前で調子に乗ると、こうなる。


「くそっ、くそくそくそ……! 覚えてろよ白夜ぁ! いつか……いつかお前の不死がなくなりゃ、その時は——」


 花巻は路地の隙間に体を流し込むようにして逃げていったそうです。泥田坊は不定形ですから、こういうときだけは素早い。排水溝に流れ込む泥水みたいに、じゅるりと消えていく。


 後には焦げた匂いと、湿った地面のてかりだけが残った。


 白夜さんはけろっとしたもんで、もう歩き出してましたよ。右手の炎はとっくに消えている。


 五歩後ろで、睦月さんが立ち止まっていた。


「……あの妖怪は」


「ただの馬鹿だ。気にすんな」


「火の術。——あなたの能力ですか」


「ん? まあ、そうだけど」


 白夜さんは振り返らない。


「便利ですね」


「……褒めてんの?」


「事実です」


 白夜さんは鼻を鳴らした。


 ——ただ、花巻が言ったことの中に、少し引っかかることがありましてね。


 祭り、って言葉です。


 贄の儀。


 神が人間と妖怪で遊ぶための催し。勝てば不死を得る。負ければ——死ぬんじゃない、消えるんです。死体も残らない。


 白夜さんはそれで不死を得た。百五十年前の儀の勝者。


 ——不死がなくなりゃ。


 あれはね、花巻の願望ですよ。白夜さんが不死じゃなくなれば、自分でも手が出せるかもしれない。積年の恨みを晴らせるかもしれない。


 でもね、あたしはちょっと別のことを考えてたんです。


 花巻が溶けて消えたあとに、路地の石畳に湿った跡が残ってたでしょう。あたしは後でそのあたりを通ったんですが——まだ乾いてなかった。じめっとした、嫌な湿り方です。


 それを見て思い出したんですよ。最近、裏通りで聞いた噂を。


 夜中に、路地の影から「手」が伸びてくると。黒い手。壁の隙間から、排水溝の中から、地蔵の後ろから。花巻みたいに暗がりから滲み出してきて——でも花巻と違って、掴むんだそうです。触られた者の体に、黒い手形がつくと。


 まだ確かめたわけじゃありません。噂です。噂ですが——


 あたしはね、長いこと商売をやってきましたから。空気を読むのだけは得意なんです。


 もうすぐ何かが始まる。


 あたしには、そんな気がしていたんです。


 ——まあ、気のせいだったらよかったんですけどね。


 次のお話をしましょうか。


 お茶、冷めてませんか?

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