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第2話 百膳堂

 さて、死なない男と、殺すのをやめない女。


 こうなると膠着ですよ。白夜さんは殺せない。睦月さんはやめない。しかもあの人は生真面目ですからね、「殺すまで帰りません」と本気で言い出す。まあ、任務中の鴉衆は任務が終わるまで帰れないんでしょうから、道理ではあるんですが。


 白夜さんとしては困ったわけです。いや、本人は困った顔なんかしませんよ。面倒くせえ、って顔はしてましたが。


 ことの顛末は、白夜さんが先に折れる形で決着しました。


 折れた、って言い方は正確じゃないかもしれませんね。白夜さんの中では、折れたんじゃなくて、飽きたんです。寝転がってるのに飽きた。腹が減った。町に飯を食いに行こうとした。それだけです。


 ただ、後ろに鴉衆がついてくる。


「お前さあ」


 白夜さんは歩きながら、背後の気配に声をかけた。東山の獣道。朝露で石が濡れている。空は白み始めて、遠くで鴉が鳴いている。秋の朝の空気は冷たく、息が薄く白い。


「なんでついてくんの」


「任務ですので」


「町に行くだけだけど」


「任務ですので」


「俺が逃げるとでも? 逃げないよ。百年もここにいるんだ、どこに逃げんだよ」


「……油断はできません」


 白夜さんは溜息をつく。大きな溜息。朝の冷たい空気の中で、白い息が濁る。


「——じゃあ来いよ。俺が町に行くんだから、お前もついてくるのが任務だろ」


 沈黙。考えている沈黙。


「……それは、そうですが」


「決まりな」


 白夜さんは歩き出した。速くもなく遅くもなく。ふらふらと、宛てがあるんだかないんだかわからない足取り。


 その五歩後ろを、黒装束と鴉の面が、几帳面に距離を保ってついていく。


 さあ、ここであたしの出番ですよ。


 白夜さんが向かった先は、あたしの店です。「百膳堂」。——大層な名前でしょう。百の膳を出す堂、なんて、嘘っぱちもいいところです。膳なんか二十もないし、座敷は狭いし、あちこち煤けてる。でもね、看板に偽りあり、が商売の基本ですからね。


 その朝、あたしは出汁を引いていた。


 昆布を水に浸けて一晩置いたやつをゆっくり火にかけて、沸く手前で引き上げる。ここでぐらぐら沸かすと雑味が出るんですよ。料理ってのはね、手間と我慢なんです。金と同じですよ。焦ったら損をする。


 かつおの薄削りを入れて、火を止める。秋の朝の台所は出汁と炭と味噌の匂いが混ざって、まあ、いい匂いですよ。飯の話は大事ですよ。人は飯で生きてるんですから。


 ともかく、朝の支度をしていたら、入り口の板戸がからりと開いた。


「喜兵衛。飯」


 白夜の声。いつも通り。


「おはようくらい言えませんかね」


 あたしは振り返って——固まった。


 白夜さんの後ろに、黒い影。


 黒装束。頭のてっぺんから爪先まで黒。顔には鴉を模した面。長い嘴が朝の薄明かりの中で鈍く光っている。


 鴉衆だ。


「ちょっと……ちょっとちょっとちょっと」


 あたしは算盤を抱えて後ずさった。猫又の体は器用なもので、とっさに毛が全部逆立つ。


「鴉衆じゃないですか。帰ってください。うちはそういう店じゃないんですよ」


 鴉衆ってのはね、裏社会の住人でも関わりたくない連中です。幕府直属。暗殺専門。誰の命令で、誰を殺してるか、わからない。わからないのが一番怖い。店に来られたら、それだけで客が逃げる。


「帰ってくださいよ白夜さん。というか、鴉衆と何してるんですか」


「無理。こいつ、俺を殺しに来たのに殺せなくてついてきてんの」


「はあ?」


「俺が説明してほしいよ」


 白夜さんはいつもの場所——壁際の、一番奥の、窓に近い席に座った。足を投げ出して、欠伸をかみ殺す。


 鴉衆は——睦月さんは——入り口のところで立ったまま動かない。面の奥の目が、店内をゆっくりと見回しているのがわかる。隅に座って酒を飲んでいる老人。その隣で囲碁を打っている一つ目の小僧と、犬みたいな顔をした妖怪。奥のほうで味噌汁をすすっている、やけに首の長い女。


 人と妖怪が、何の摩擦もなく同じ空間で飯を食っている。


「……あんたまた厄介ごと持ち込んで……」


「飯。ツケで」


「あんたのツケ、もう家が七軒と蔵が四つですよ。田んぼはおまけです」


「おまけすんの? 田んぼ」


「するわけないでしょう。全部請求しますよ。死ぬまでに払ってくださいね」


「俺死なないんだけど」


「……あ、そうか。なら安心ですね。永久に取り立てられる」


 算盤を弾く。弾いて溜息をつく。溜息をついて、それでも奥に向かって声を張った。


「小鈴! 一人前!」


 奥から顔を出したのが小鈴です。


 あたしの妹でしてね。猫又の妖怪。あたしと違って見た目は可愛いですよ。小柄で丸い顔の娘。猫耳だけ隠せてない。白い前掛けをして、盆を持って、ぱたぱた走り回る。看板娘というやつです。


「はーい!——あれ、白夜さん、おはようございます。今日は早いですね」


「……おう」


「お連れさんですか?」


 小鈴は鴉衆の格好をした睦月さんを見ても特に驚かない。まあ、うちの店はそういうもんです。角の生えた客も来れば、顔のない客も来る。鴉の面くらいでいちいち驚いてたら商売になりません。


「連れじゃない。勝手についてきた」


「ふうん。——お姉さん、中でお座りになったらどうですか? 立ってると疲れますよ」


 睦月さんは黙っている。


「……任務中ですので」


「あら、そうですか。でもお茶くらいいかがですか? お代はいりませんから」


「あの、お嬢さん。あたしはお代をいらないなんて一言も言ってないんですが」


「お兄ちゃん、お茶くらいいいでしょ」


 結局、睦月さんは白夜さんの向かいに座った。正座で。背筋が伸びている。面は外さない。


 白夜さんは壁にもたれて座り、足を崩している。二人の姿勢の差がおかしくて、あたしは少し笑いましたよ。


「お前も食えば?」


 白夜さんが言った。飯が来るのを待ちながら、特に何を見るでもなく天井を見上げている。


「任務中ですので」


「え。マジで? あの握り飯だけ?」


「はい」


「毎日?」


「はい」


 白夜さんは何か言いかけた。口を開いて、閉じて、もう一度開いて、やめた。


 代わりにこう言った。


「おい喜兵衛。こいつにも飯」


「……はあ。またツケですか」


「ツケで」


「田んぼが二反になりますけど」


「知らね」


 算盤を弾いた。弾きながら溜息をついた。溜息をつきながら奥に向かって叫んだ。


「小鈴! 二人前!」


---


 栗飯。鮎の塩焼き。なめこと豆腐の味噌汁。里芋と鶏の炊き合わせ。


 膳に並べて出す。鮎は皮が薄く焦げて、脂がじゅうと音を立てている。栗飯は湯気がたっている。炊き合わせの里芋はとろりと煮崩れる寸前で止めてある。味噌汁は赤出汁。京都の白味噌じゃなくて赤なのは、あたしの趣味です。汁物は赤のほうが力が出る。


 白夜さんはいつも通り、何も言わずに箸をつけた。うまいともまずいとも言わない。百年食いに来て一度も「うまい」と言ったことがない。


 睦月さんは、膳の前で固まっていた。


「……いただいて、いいんですか」


「出したんですから、食べてくださいよ。食わないなら持って帰りますけど、お代は発生してますからね」


 睦月さんは面を——少しだけ持ち上げた。鼻から下だけが見える。口元。顎。若い。十代だろう。


 箸を取る。躊躇うように鮎に箸を入れる。身が、ほろりと骨から離れた。


 口に運ぶ。


 咀嚼する。


 飲み込む。


「——おいしい」


 小さな声だった。


 何と言うんですかね。驚いた、というのとも違うんです。おいしいという言葉を、あの人は久しぶりに使ったんだと思う。使い方を忘れかけてたけど、口から勝手に出た。そういう「おいしい」でした。


 栗飯を一口食べて、また、「おいしい」と言った。今度はもう少し、はっきりと。


 白夜さんはそれを横目で見て、何も言わなかった。鮎の骨を器用に外しながら、何も。


 鴉衆ってのは基本、一人で動くもんなんですよ。


 暗殺は一人でやる。尾行も一人。偵察も一人。組織ではあるんですが、横のつながりは極端に薄い。お互いの顔も名前も知らない。面をつけて任務を受けて、面をつけて遂行して、面をつけたまま報告する。任務中に素顔を晒すことは、まずない。


 だから睦月さんにとって、誰かと向かい合って飯を食うこと自体が、たぶん異常事態だったんじゃないですかね。


 あたしはまあ、商人ですからね。異常事態だろうが何だろうが、勘定がつけばそれでいいんですが。

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