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白百合の姫君は、狼の王への献上品となる。〜蛮族に囚われた私と従者たちの、長く屈辱的な夜〜  作者: 猫野 にくきゅう


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第8話 外交の無力

 塔の狭い窓から差し込む朝日は、帝都の柔らかな光とは違い、刺すように鋭く、冷たかった。  


 エリアーナは硬い寝台の上で目を覚ました。

 全身を襲う、鈍い痛みと熱。それは昨夜、あの「狼の王」によって刻まれた支配の証だった。


「……っ」


 身体を動かすたびに、粗末な麻布のチュニックが肌に擦れる。

 昨夜までは不快でしかなかったそのザラつきが、今は不思議と彼女の心を落ち着かせた。


 指先で自分の首筋に残る熱をなぞる。


 そこには、王の指が食い込んだ痕が色濃く残っているはずだ。  

 鏡のないこの部屋で、彼女は自分の姿を見ることはできない。だが、内側から自分が「書き換えられた」という確信だけがあった。


 ガチャリ、と重いかんぬきが外された。  

 入ってきたのは昨夜の女兵士たちだ。彼女たちはエリアーナを立たせると、乱暴に髪を整え、再び外へと連れ出した。


 向かった先は、城の地下にある冷え切った石室だった。  

 そこには、昨夜引き離されたセシルとルクレツィアがいた。


「エリアーナ様……! ああ、ご無事でしたか!」  


 セシルが駆け寄ろうとするが、彼女を繋ぐ鎖がジャラリと音を立ててそれを阻んだ。彼女の騎士服は完全に奪われ、今はエリアーナと同じか、それ以上に薄汚れた麻布一枚を纏っている。


 鍛え上げられた肢体には、過酷な「訓練」の痕か、生々しい打撲痕がいくつも浮かんでいた。


 その隣で、ルクレツィアは狂ったように羊皮紙にペンを走らせていた。


「……無効です。すべては無効。国際法第12条、特使に対する身体的侵害の禁止……これをバルバド側に通告しなければ……。そうすれば、帝国軍が動く。第4師団が国境を越え、3日以内に……」


「ルクレツィア、もうおやめなさい」  


 エリアーナの静かな声が、湿った地下室に響いた。


 ルクレツィアが顔を上げる。

 その目は血走っており、知性を誇った彼女の面影はどこにもなかった。


「エリアーナ様! 何を仰るのですか! 私たちは帝国から派遣されたのです。法と正義は我々にあります! 彼らのような蛮族に、私たちの意志を屈服させる権利など――」


「法も、正義も……ここには届かないわ」  


 エリアーナは歩み寄り、膝をついてルクレツィアの泥に汚れた手を握った。


「見て。私たちの今の姿を。帝国が私たちを愛しているなら、なぜこの服を着させているの? なぜ、誰も助けに来ないの?」


「それは……手続きが……外交的な手続きに時間がかかって……」


「違うわ」  


 低い、地響きのような声が背後から響いた。  

 ヴォルグ王が、数人の部下を連れて石室に現れたのだ。彼は手に一通の書簡を持っていた。


 帝国の紋章――

 エリアーナが何度も目にした、父王の封蝋が押された公文書。


「帝国から返答が届いた。……読み上げてやろうか」  


 ヴォルグは書簡を広げ、嘲笑うように読み上げた。


『――我が国第一王女エリアーナ、およびその随行員は、バルバド領内での事故により全員死亡したものと断定する。よって、本件に関する一切の外交的責任を放棄し、バルバドとの国境紛争の停止を合意する』


「な……っ……」  


 ルクレツィアの手からペンが落ちた。


「嘘だ……。そんなはずはありません! 陛下が、私たちを見捨てるはずが……!」


「貴様らは、和平のための『生贄』だったのだ。生きて戻っては困る、使い捨ての道具だ」  


 ヴォルグは書簡を床に投げ捨て、ブーツの先で踏みにじった。


「帝国は貴様らを殺した。今、ここにいるのは死人だ。名も、地位も、過去も持たぬ……ただのバルバドの戦利品だ」


 絶望が、冷気となって地下室を支配する。

 セシルは絶望に顔を覆って泣き崩れ、ルクレツィアは虚空を見つめたまま動かなくなった。  


 だが、エリアーナだけは違った。


 彼女はゆっくりと立ち上がり、ヴォルグを見つめた。


 「死人」という言葉。

 それは彼女にとって、呪いではなく、福音のように響いた。


 王女としての重圧、偽りの結婚、退屈な宮廷生活。

 そのすべてから、帝国自らが彼女を解放してくれたのだ。


「……そうですか。私は、もう死んだのですね」


 エリアーナの唇が、微かに、妖しく弧を描いた。  

 その瞳には、もはや高貴な王女の光はない。あるのは、新しく自分に刻まれた「所有物」としての、暗い悦びだった。


「では、私は……今日から何になればよろしいのかしら。ヴォルグ」


 ヴォルグは黄金の瞳を細め、満足げに鼻を鳴らした。


「良い返答だ。ならば、今日から貴様らは私の『犬』として、この城の流儀を叩き込んでやる」


 ヴォルグが合図を送ると、女兵士たちがセシルとルクレツィアの首に、重い鉄の首輪をはめ始めた。二人の悲鳴と抵抗が響く中、エリアーナの前には、ヴォルグが自ら、より細く、繊細に細工された「金の首輪」を差し出した。


 エリアーナは自ら首を差し出し、冷たい金属が肌に触れる感触に、熱い吐息を漏らした。

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