第5話 戦利品の品定め
重厚な鉄の扉が、地響きのような音を立てて左右に開かれた。
現れたのは、帝国のそれとは似ても似つかぬ「謁見の間」だった。
高い天井を支えるのは、無骨に削り出された岩の柱。壁には数多の戦いで奪い取られたであろう他国の軍旗が、煤け、破れた姿で晒されている。
床には絨毯の一枚もなく、ただ冷たい石畳が奥へと続いている。
剥き出しの松明がパチパチとはぜる音だけが、不気味な静寂を支配していた。
エリアーナは、粗末な麻布の服から覗く素足で、その冷たい床を踏みしめた。
一歩進むごとに、石の冷気が心臓を直接掴むように伝わってくる。
背後では、縄で繋がれたセシルとルクレツィアが、屈辱に震えながら引きずられるように歩いていた。
部屋の最奥。
段上の石座に、その男はいた。
バルバド王、ヴォルグ。
彼は豪奢な王冠を被ることもなく、ただ一振りの巨大な大剣を肘掛けに立てかけ、深く腰を下ろしていた。
黒い毛皮を纏ったその巨躯からは、呼吸をするだけで周囲の空気が震えるような、圧倒的な圧迫感が放たれている。
「……連れてまいりました。ヴォルグ様」
ガンツが膝をつき、低く頭を垂れる。
ヴォルグの鋭い眼光が、エリアーナたちへと向けられた。
それは「客」を見る目ではない。
戦場で拾い上げた、あるいは略奪した「道具」の状態を確かめる、冷徹な捕食者の目だった。
「――これが、帝国からの『贈り物』か」
ヴォルグの声は低く、そして驚くほど静かだった。
しかしその響きには、逆らうことを本能的に拒絶させるだけの重みがあった。
「お、王よ……! 私はグランドリア帝国二等書記官、ルクレツィア・フォン・ヘルマンです!」
ルクレツィアが、震える声を振り絞って叫んだ。
彼女は泥に汚れ、服を奪われた無惨な姿でありながらも、言葉という最後の武器にしがみついていた。
「このような野蛮な扱いは……国際外交上の礼節に欠けています! 貴殿が真に『王』を名乗るなら、まずは我々の拘束を解き、適切な宿舎と衣服を……っ!」
ヴォルグは、ルクレツィアの言葉を最後まで聞くことさえしなかった。
彼はわずかに指を動かし、傍らに控える兵士に合図を送る。
直後、ルクレツィアの腹部に無慈悲な拳がめり込んだ。
「あ、が……っ……」
ルクレツィアは声にならない悲鳴を上げ、床に崩れ落ちた。必死に守り続けてきた外交官としての矜持が、物理的な痛みによって無惨に粉砕される。
「バルバドに『礼節』などという言葉はない。あるのは『価値』か『無価値』か、それだけだ」
ヴォルグがゆっくりと立ち上がった。
彼が段を降り、エリアーナの元へ近づいてくる。一歩ごとに増していく威圧感に、セシルが「ひっ」と短い悲鳴を漏らし、エリアーナを庇おうと身を乗り出す。
「……退け、女騎士。貴様にはまだ、別の使い道がある」
ヴォルグがセシルを一瞥するだけで、彼女の身体は氷漬けにされたように硬直した。かつて帝都で「天才」と呼ばれた剣技も、この男の放つ殺気の前では、産まれたての仔鹿の震えとなんら変わりなかった。
そして――
ヴォルグはエリアーナの目の前で足を止めた。
至近距離で対峙する「狼」。
エリアーナの鼻腔を、男の匂いと、戦場の火薬と鉄が混じったような、苛烈な香りが突く。彼女は麻布のチュニックを握りしめ、自分を見下ろす黄金の瞳をじっと見つめ返した。
「……ほう。この状況で、視線を逸らさぬか」
ヴォルグの手が伸び、エリアーナの顎を強引に掴み上げた。
大きな、硬い指先。その皮膚は、幾多の剣を握り、血を浴びてきたことを物語るように荒れている。
「あ……っ……」
強引な力で上を向かされ、首筋が限界まで反らされる。
エリアーナは微かな苦痛に眉を寄せたが、その瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの、どろりとした期待の色が宿り始めていた。
「帝国が誇る、最高級の白百合……。だが、泥にまみれ、粗末な布を纏えば、ただの女だな。これに我が軍の兵士を何千人と動かす価値があるかどうか……。今、ここで定めてやる」
ヴォルグのもう片方の手が、エリアーナの肩からチュニックの襟ぐりへと滑り込んだ。ざらついた指が、熱を持った彼女の鎖骨をなぞり、その下の柔らかな肌を力強く押し潰す。
「……っ、ふ……あ……」
エリアーナの口から、抑えきれない吐息がこぼれた。
大勢の兵士たちが注視する、この氷のように冷たい謁見の間で。
最も気高くあるべき「王女」が、最も野蛮な「王」の手によって、一頭の家畜のように値踏みされている。
辱め。
それは間違いなく、究極の辱めだった。
けれど、ヴォルグの指先が自分の肌に食い込み、その圧倒的な支配力を誇示するたびに、彼女の背徳的な快感は臨界点へと近づいていく。
「ふむ……。肌は薄く、骨も細い。労働には向かぬ。だが、その瞳に宿る熱は……ただの人形ではないな」
ヴォルグは、獲物の喉笛を狙うような獰猛な笑みを浮かべた。
「ガンツ。この女騎士と文官は地下の牢へ。騎士は訓練の相手として、文官は記録係として、死なぬ程度に使い倒せ」
「はっ!」
「エリアーナ様……! 嫌だ、離して……エリアーナ様!」
セシルとルクレツィアが引きずられていく。自分を支えてきた仲間たちが、容赦なく「実用品」として分類され、遠ざけられていく。
独り、残されたエリアーナ。
ヴォルグは掴んでいた顎を離すと、彼女を突き放すように背を向けた。
「この姫は、我が塔の最上階へ。……今夜、私が自ら、この『献上品』の真の価値を確認する」
ヴォルグの冷徹な宣告が、石の壁に反響する。
エリアーナは床に膝をつき、激しく脈打つ首筋を片手で押さえた。
(……自ら、確認する……)
恐怖で身体が震える。
けれど、その震えを止めることができないのは、冷たい石畳のせいでも、ヴォルグの威圧感のせいでもなかった。
今夜、自分が完全に「壊される」かもしれない。
その想像が、彼女の正気を、甘く静かに侵食し始めていた。




