第3話 暗闇の検問
視界を奪われ、馬の背に荷物のように揺られる時間は、永遠のようにも、あるいは数瞬のようにも感じられた。
やがて、馬の足音が乾いた土から、湿り気を帯びた硬い岩の音へと変わる。
反響する蹄の音から、そこが閉ざされた空間――
洞窟であることをエリアーナは悟った。
「――降ろせ。丁寧に扱えよ、王への『献上品』だ」
低く笑う男の声と共に、エリアーナの身体は無造作に地面へと下ろされた。
冷たい岩肌に膝をつかされ、ようやく顔を覆っていた汚れた布が剥ぎ取られる。
一瞬、松明の赤い光に目が眩んだ。
視界が定まると、そこは入り口から差し込む僅かな外光と、壁に立てかけられた松明が揺らめく薄暗い洞窟の広間だった。四方を岩壁に囲まれ、湿った土と獣、そして男たちの汗の臭いが鼻を突く。
「エリアーナ様……! ご無事ですか!」
横から悲痛な声が上がった。
見れば、セシルとルクレツィア、そしてリナも同じように地面に膝をつかされていた。彼女たちの手首は太い麻縄で後ろ手に縛られ、身動きを封じられている。
特にセシルは、先ほどの打撃のせいか顔を泥で汚し、自慢の騎士服は至るところが裂けていた。
「ええ、大丈夫よ……。みんなも怪我はない?」
「ふん、お優しいことだな」
男たちの輪を割り、巨漢ガンツが歩み寄ってきた。彼は戦斧を肩に担ぎ、獲物を値踏みするような下卑た視線でエリアーナたちを見回した。
「貴様ら……! こんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
ルクレツィアが震える声で叫ぶ。
眼鏡を失った彼女の目は、焦点が定まらないながらも必死にガンツを捉えようとしていた。
「私たちは正式な特使だ! 拉致、拘束、そして暴力……これらはすべて国際法に対する重大な冒涜であり、宣戦布告とみなされても文句は言えんぞ!」
「国際法? 宣戦布告? ハッ、相変わらず大国の連中は吠えるのが好きだな」
ガンツはルクレツィアの前にしゃがみ込み、その顎を指先で乱暴に持ち上げた。
「ここはバルバドだ。俺たちの法はたった一つ。――『強い奴が、弱い奴を支配する』。それだけだ」
「……っ」
「おい。こいつらを城へ運ぶ前に、徹底的に洗え」
ガンツが周囲の兵士たちに命じた。
「暗殺の道具や毒、あるいは隠し持った手紙……何があるか分からねえ。文明国の女は姑息な真似が得意だからな。……隅々まで、厳しく調べろ」
その言葉の意味を理解した瞬間、ルクレツィアの顔から血の気が引いた。
「なっ、なんですって……? まさか、身体検査を……! 控えろ! 私たちは貴き血を引く者だ、汚らわしい手で触れるなど万死に値する!」
「万死か。面白え、試してみろよ」
ガンツは笑い捨てると、まずセシルの元へ一人の兵士を向かわせた。
「まずはこの、威勢のいい騎士様からだ」
「やめろ……触るな!」
セシルが必死に抗うが、縄で縛られた彼女の自由は利かない。
兵士は無慈悲に彼女の胸当てを剥ぎ取り、その下の衣類を乱暴に手繰り寄せる。
「ほう、いい筋肉をしてやがる。だが、ここには何も隠してねえようだな」
兵士の無骨な手が、誇り高き近衛騎士の腹部や背中を執拗に撫で回し、隠し武器がないかを確認していく。セシルは屈辱に唇を噛み切り、流れる涙を泥で汚れた顔に滲ませた。
次はルクレツィアだった。
「書類はどこだ。懐か? それともスカートの下か?」
「ひっ……! やめて、離して……!」
知性を武器に戦ってきた彼女にとって、理屈が通じない相手に物理的に組み敷かれることは、何よりも恐ろしい拷問だった。隠し持っていたペンや懐中時計、そして秘密の通信文が次々と暴かれ、岩肌に投げ捨てられていく。
そして。
最後に、ガンツがゆっくりとエリアーナの前に立った。
「……さて。お姫様。あんたの番だ」
エリアーナは、逃げ場のない岩壁を背に、自分を見下ろす巨躯を見上げた。
背後でリナが「お嬢様!」と悲鳴を上げる。
ガンツの泥だらけの手が、エリアーナの肩に置かれた。
その瞬間、彼女の背筋に、氷の刃を突き立てられたような戦慄が走った。
ドレスのデコルテラインに指が差し込まれ、生地が不快な音を立ててたわむ。
「……ほう。帝国一の至宝ってのは、肌も柔らかそうだな。中に何か仕込んでねえか?」
首筋、鎖骨、そして胸元。
男の熱い指先が、布越しに、あるいは直接肌に触れ、丁寧に、執拗に「検品」を進めていく。
エリアーナは激しく鼓動する心臓の音を耳の奥で聞いていた。
(怖い……。汚される。壊されてしまう……)
震える瞳でガンツを見つめる。
けれど、その指先が自分の柔らかな肌を押し潰し、弄ぶたびに、彼女の意識はかつてないほどに鮮明に研ぎ澄まされていった。
誰からも崇められ、触れられることさえ許されなかった「聖域」が、今、野蛮な力によって蹂躙されている。その圧倒的な事実に、彼女の内側で眠っていた何かが、疼くように、甘く重い熱を帯び始めた。
「……っ……ぁ」
不意に、漏れそうになった吐息を奥歯で噛み殺す。
屈辱。
それは間違いない。
だが、その屈辱の深さに比例して、彼女の背中を駆け上がる奇妙な昂揚感は増していく。
「おら、髪の中もだ」
ガンツは彼女の銀髪を掴み、櫛で梳くような優しさなど微塵もなく、指を地肌に食い込ませて探った。
「……隠し持ってるのは、その綺麗な顔だけか? 毒も剣もねえ。これじゃ、ただの使い物にならねえ操り人形だな」
ガンツは最後に、エリアーナの口内に指を差し込み、奥歯の裏まで確認した。
口内を蹂躙される屈辱。
唾液が口角から溢れ、汚れきった泥の上に落ちる。
「……合格だ。商品は、傷一つついちゃいねえ」
ガンツが指を引き抜くと、エリアーナは力なく地面に突っ伏した。
荒い息を吐きながら、彼女は自分の顔が熱くなっているのを悟られないよう、必死に土を睨みつけた。
「全員、異常なしだ。馬に乗せろ。……日が暮れる前に、ヴォルグ様の御前へ届けるぞ」
エリアーナは再び目隠しをされ、布に包まれた。
セシルやルクレツィアの啜り泣く声が、遠くで聞こえる。
けれどエリアーナの脳裏には、先ほど自分を支配したガンツの暴力的な手つきが、焼き付いたように離れなかった。
(あの方が待つ『城』には……これ以上の絶望が待っているのかしら……)
闇の中で、彼女は自らの唇を噛んだ。
そこには、拭いきれない恐怖と、そして抗いようのない「次」への期待が、暗く渦巻いていた。




