8. 商会の息子の話
「何を?」
「アンナはゆっくりしてるかなって」
商会の集まりが終わっての帰り、奥さんと侯爵領をブラブラしながら、なんとなく話したくなった。
「いやね、最初に会った時に、こんなの聞いてないって思ったんだ」
僕には、友人から頼まれて婚約した人がいた。
『これからよろしくお願いいたします』
『……あー、うん。よろしくね』
アンナは、友人から婚約を破棄されてやって来た。傷ついているかな、どう慰めればいいだろう、と心配していたけど、ドアを開けたら殺気を放っている女の人がいたから驚いた。
その上、亜麻色の髪は艶がなくて、目元には隈があって、ガリガリで……なんだかとっても可哀想だった。
とりあえず部屋に案内して、僕は外に出た。
『どうしようかなぁ……』
こんなの聞いてない。働き者で真面目だとは聞いてたけど、働かせたくないくらいじゃないか。
でも、一生のお願いを聞いちゃったし、今更なしってのは出来ない。それに、母さんにどうにか許してもらったのに、これで働かせたくないなんて言ったら……想像するだけで恐ろしい。
色々悩んでいたら、いつの間にか酒場で転がっていた。閉店と同時に追い出されて、どうにか家まで帰って、それで……。
『あれ、僕ベッドで寝てたっけ?』
『坊ちゃん、さすがにあれはどうかと思いますよ』
次に気がついた時には、使用人たちに面倒を見てもらった後だった。アンナはもう母さんの世話をし始めていて、手遅れだった。
アンナが違うことをしている間にこっそり母さんの部屋に入ると、母さんは鼻を鳴らしていた。僕はため息をついた。
『母さん、あれは酷いんじゃないの? 手首の細さを見ただろう?』
『だからなんだい? 何を悩んだって、あの子はもうウチに嫁いできちまったんだ。それ相応の扱いをすべきだ』
『特別扱いしたって……』
『あたしだって元は嫁だ。商会の嫁にとって一番怖いのは、使用人や従業員を敵に回すこと。わかってもないのに口を出すんじゃないよ』
母さんはこの一点張りで、ダメだった。
まあでもうちはお金には困んないから、アンナの髪艶は良くなっていった。でも隈は治らないし、痩せっぽちのままだし、僕に働くように言っておいて、僕よりも働こうとした。
『ガネル商会との商談が取れました……!』
なんならちょっと嬉しそうだった。
頑張ってくれたのを無駄にしてはいけないし、言われた通りにするけど、やっぱりこれは病気か何かだと思う。忙しくしてないと死んじゃうのかな。もう少しゆっくりすれば、なんて言った日には雷が飛んできたし。
『……ねぇ、婚約して一年経ったじゃん? せっかく同じ家に住んでるんだからさぁ』
結婚するしかないんだから、少しくらい早くても問題はないだろう。多分、僕たちは一から恋愛なんてできない。だけど、もしもそういう仲になれたら、少しは変わってくれるかな、とそう思ったんだ。恋は人を馬鹿にするっていうし、言うことを受け止めてくれるかもしれない。
『婚前交渉はしないと決めているんです。明日はガネル商会との商談ですし、早く寝てください。おやすみなさいませ』
でも、ダメだった。アンナはピシャリとそう言った。アンナの警戒心は、まだ強いようだった。
『困ったなぁ……』
このままだと本当に、ボロ雑巾みたいに擦り切れちゃうんじゃないかな。
とりあえず、アンナの努力が報われるように、商談を成功させないと。僕は確かにぼんくらだけど、やればできる男とも言われてるし。
侯爵領には何度か行ったことがあった。やっぱり栄えていて、街の人たちはゆったりと、豊かな暮らしをしていた。
『お客様かしら?』
大きなお屋敷から出て来たのは、小さなお嬢さんだった。一瞬子供かとも思ったけど、声色で大人だってわかる。
『ああ、今日の商談でいらっしゃった方ね』
思い出した、ガネル商会の末娘で、僕と同い年の人だ。
『こちらへ』
なんだか、とっても心地いい雰囲気だった。しっかりしていて、でも安らぐ。
……ああ、いいなってそう思った。




