5. 商会に嫁ぎました
あれから数日が経って、また王子殿下が侯爵の留守中にやってきた。王族らしい優雅な仕草とは対照的に、まっすぐと強い視線で私を見てくる。でも、初対面のような疑いの目ではないと感じるのは思い上がりだろうか。
「続きを、話してくれないか」
「はい。僭越ながらお話しさせていただきます。……前回は、幼馴染に婚約破棄されて、街に出てきたところまででしたね」
*
「これからよろしくお願いいたします」
「……あー、うん。よろしくね」
商会の跡取り息子であった新しい婚約者様は、なんだかへにょっとしている人だった。彼は私を上から下まで見て、可愛らしい妻の幻想をなくしたらしかった。
……まあいい。見目が良くないのはわかっている。いずれ夫婦となる身として、信頼さえ積み重ねられればいい。
見ず知らずの村娘をすぐに信じることはできないのはわかるし、私も警戒心くらい持っている。
「君の部屋に案内するよ」
使用人さんたちが自分たちと待遇が変わらない、と冷笑していたのは聞こえていた。でも、全く文句はなかった。それに、屋敷全体で見れば狭い部屋でも、村に比べれば大きく、立派な材質で作られていた。床にはラグが敷いてあって、ベッドはふかふか。クローゼットにかけられていた服まで質が良くて驚いた。
「ありがとう存じます」
「そんなに固まらなくていいよ。後で明日からの生活について話にくるから〜」
結局、新しい婚約者様は教えにきてくれず、夕食にも現れず、次に見かけたのは酔い潰れて玄関で倒れ込んでいる姿だった。
夕食は当主様や姉君に囲まれて気まずくて味がしなかったし、夜は村や家族が恋しくてベッドの中でちょっと泣いたし、あの野郎、碌でもない旦那様見つけてきやがって、とこの時ばかりは思った。
「ぬあぁ……こんなの、聞いて、なぃ……」
「はい、お水飲んでください」
「ありがとぉ」
でも、考えてもしょうがない。悪いところばかり見て何になる。私は恵まれている。良い服や美味しいはずだったご飯、素晴らしい寝床を与えてもらった分、働かなければならない。
「あぁ……もうすぐ、母さんが、起きる時間だ」
「部屋はどちらですか?」
「ん〜、あっちぃ」
使用人さんたちに介抱を頼んで、何がどこにあるかを聞き出して、さっさと向かう。
私の新しい朝は、未来の義母のベッドルームに顔を洗う水を持っていくことから始まった。
「遅い! これならメイドの方がまだマシだよ!」
いずれ義母になる人は……まあクセのある人だった。しかしこれはつまり、私もぶつかって行っていいと言うことだ。
「じゃあ教えてくださいよ。その口ぶりじゃあ、不出来な嫁を躾けるのが姑の仕事なのでしょう?」
村にはもっとめんどくさい人はたくさんいたし、私だって可愛らしい性格ではない。気の弱い村娘だなんて思われてたまるものか。私は使用人になりにきたんじゃない。嫁ぎに来たんだ。
「へぇ……ほら、さっさとそこの花瓶の水も取り替えな!」
この意思が伝わったのか、少し声色が変わった気がした。口は悪くとも指示は的確で、長年お母ちゃんの看病をしていたこともあって、すぐに流れは理解した。
「ふん、口だけじゃあないようだね。だけど、調子に乗るんじゃないよ!」
人の悪意や疑いの目というのが心に来ないわけじゃない。怖いと感じるし、嫌だと思うし、何より痛い。でも、耐えられないほどヤワじゃないから。
「お義母様こそ、私の完璧な対応に骨抜きにされないでくださいね!」
「はっ、まだあんたに義母と呼ばれるつもりはないよ!」
関わっていってわかったのは、私が玉の輿に乗ったと思っていないか、当主の妻として耐えられる胆力を持っているのか試されているということだった。
「あんたも帳簿の管理くらいできてもらわないとね!」
介護の合間には、商会の妻としての知識を叩き込まれた。村と街では教育の程度が全然違って、基礎はできていても応用ができなかった。物知らずだと言われた。これほど、悔しいと思ったことはなかった。
「じゃあ、僕は出かけてくるよ」
「どこへお出かけになるので?」
教えてもらったことを元に、夜は必死に経理の勉強をした。
「えーっと、その」
「挨拶周りですよね? でしたら私も連れて行ってください」
遊びになんて行かせてなるものか。未来の食い扶持は、自分で作る。この人に任せていたら潰れてしまう。




