3. 幼馴染の話
「どうかしたの?」
「いや……なんか鼻が」
垂れてきた鼻水をズルッと飲み込む。リリーがちり紙を持ってきてくれたが、俺に使うより赤ん坊に使うべきだ。うん。
「こんなに天気がいいのに、珍しいですね。まるであなたと出会った時くらいに」
リリーと出会うまで、俺は隣の家の幼馴染と結婚するはずだった。
幼馴染のアンナは、いつもピリピリしていた。触れるな、近寄るな、話しかけるな、といった雰囲気で、目なんか狐みたいに吊り上がってて、口をキュッと結んで早歩き。牛舎で見かけたと思えば、次の瞬間には畑にいた。
『……よっと!』
今だって、一人で重そうな箱を運んでいる。
昔っから男勝りでしっかりした奴で、うちの母ちゃんがよく褒めてた。だけど、ここまでになったのは、アンナと俺がガキの頃、アンナの親父さんが死んでからだった。
『アンナ!』
『何?』
『種芋運んでるんだろ? 俺がやってやるよ!』
親父さんが村の外からきた人で、筋肉ムキムキでデカくて強くて、俺たちの憧れだった。街に作物を卸せるようにしたのも親父さんのおかげらしくて、村のみんなが感謝してた。だから死んだ時は悲しかったし、俺も泣いた。まだ若いのに、まだお腹から出てきてもいないのに……そんな言葉ばかり聞こえてくる葬式の中で、アンナだけが、一人泣いていなかった。
アンナは姉貴だし、背負っちまうのはわかる。
『重いだろ!』
でも、今は俺が品卸しを引き受けた。クリフも大きくなったし、アンナが一人で背負う必要はない。
アンナはじっとこっちを見て、ふいと顔を背ける。その仕草が冷たくて、少しムッとするが、我慢だ。
『自分でやるからいいわ。それより、カレアムおじいさんが呼んでたわよ』
カレアム爺さんは足が悪くて、村の診療所まで俺が運んでいる。でも、そんなんいつものことだ。
『だから、先に運んでやるって』
『私はいいって言ってるの。ほら、いったいった』
『…………フンッ!』
俺はこいつの意固地で頑固なとこが嫌いだ。弱いんだから、素直に頼ればいいものを。結婚してからもこんな調子だったら、俺は家に居づらくて酒場に入り浸ると思う。三軒先のローガンおじさんのように。
『あんたも暇じゃないんだから、油売ってないで』
『そんなこと言って、もう助けてやんないからな!』
『結構よ』
俺の怒りを冷たく無視して、アンナはスタスタと行ってしまった。これで、何回目だろう。
『ったく!』
ガシガシと頭を掻いた。結局いつも通りの日々。カレアム爺さんを運んで、ガキ共を鍛えて、飯を食って明日に備える。
万全な状態で早朝に家を出て、作物を持って山を降りた。街についた時には昼頃で、大通りはごった返している。こういう時に使うのが、裏通りだ。俺のように金がなくてガタイのいい奴は狙われないし、空いてるし。
……それに時々、こういう場面にも出くわす。
『おい嬢ちゃん、大丈夫か!?』
花束を持った男に腕を掴まれ、また別の一張羅の男に縋られ、もう一人から迫られているお嬢ちゃんがいた。表情からして、この野郎どもはいい奴らじゃねえ。
『しっかり、掴まってろよぉ!』
『え、は、はい』
お嬢ちゃんを俵みたいに担ぎ上げて、野郎どもを蹴り飛ばして、肘で落とす。簡単に伸されてくれている間に退散だ。裏路地を走りながら、お嬢ちゃんの話を聞いた。
『アレは一体なんなんだ?』
『その、えっと……私、複数人に求婚されてて』
『複数、人……?』
お嬢ちゃんは最近隣町から引っ越してきて、花屋をやっているのだという。そしたら、知りもしない奴に迫られて、逃げたら追いかけられて、断ったら恨まれたのだと。家から職場まで全部特定されてて、なるべく人目につかない道を選んだら……というのが今回のことらしい。べっぴんさんは大変だ。
走りながらさっきとは別の奴らも出てきて、また伸した。アンナの親父さん仕込みの体術を舐めるんじゃねえ。
『巻き込んでしまってごめんなさい。ここで大丈夫です』
しばらく走り続けていると、どうにか撒けたらしく住宅街に出ていた。
『街ってのは危ないな』
『本当に……もう嫌。巻き込んでしまって、本当にごめんなさい』
街は活気があるが、俺に言わせりゃ情ってもんが足りない。普通人が困ってたら助けるもんだろ。それに、酷い目に遭った奴がこんな顔してどうすんだ。
『あのな、俺はごめんよりありがとうが聞きたい』
不安そうな顔だったお嬢ちゃんが、ガキのように目を丸くする。
『…………ありがとう!』
そのはにかんだ笑顔が、めちゃくちゃ綺麗で可愛かった。




