29. 強制力の正体
物語の強制力が働いたままならば、僕とアンナは結ばれる。でも、それではダメだ。
強制力よりも先に、自分でアンナを惚れされる。そして、お望み通り幸せにして、物語が終わった後は好きにさせてもらう。
誰かに惚れてもらいたいと思ったことはないが、まずはアプローチしなければならないだろう。
ウィリアムのいない時間、二人きりになれる時を探して、侯爵邸に通うようになった。契約婚であることは知っている。そもそもあいつが結婚しろと煩いんだ。だが、一応宣言しておいた。想いが一方通行なのはすでに知っていたが、気づいていないフリをした。演技はあいつだけの得意分野ではない。
『うん、このくらいの焼き加減で』
『……ここにいたのか』
訪れた時、アンナはクッキーを焼いていた。振り向いて、一瞬顔が明るくなったものの、すぐに戸惑った表情に変わる。
『ええと、なぜこちらに?』
『悪いか?』
『いえ、そのようなことはないのですが』
最初に見えた表情はどこにいったのか、謎に慌てていた。
『何かご用ですか?』
『用がなければ話しかけてはいけないと?』
『滅相もございません。少々お待ちください』
驚いたように瞬きをした。それでもすぐにいつもの様子でエプロンを脱ぐ。
『紅茶は何にしますか?』
『……アンナが好きなものを』
『へ?』
特にこだわりはなかったし、アンナのことが知りたい。それだけのことなのに、アンナの手がワタワタと動いている。
『どうかしたのか?』
『いえ、メイドに指示を出してから行きますので、先に応接間にお戻りください』
『別にそれくらいは待つ』
いつもすました顔をしているが、本来は感情表現が豊かなのではないだろうか。
もたれかかって見つめていると、アンナはこちらを見て少し固まり、小さく咳払いをした。どうやら、背の高い戸棚に困っているようだった。取ろうとしているのは、あの赤い茶缶だろう。
『それで、あの紅茶で……』
『これか?』
ローズヒップらしい。意外だ。匂いはいいが。
取って渡しただけなのに、反応が可愛らしい。
『……なんだ?』
『村育ちなものでして、背後には警戒しがちなのです』
『そうか。警戒心が高いのはいいことだな』
嘘だとはわかっていた。紅茶を飲んだだけで驚かれた。なぜ今まで飲まなかったのか、王族についての話をするだけで、みるみると顔色が青ざめていった。いつもは表情が変わらない分、遊びたくなる。
『ああ、そうだ。僕のことは名前で呼ぶといい』
大事なことを忘れていた。距離が近くなるだろうし、何より僕が呼ばれたい。
アンナは迷っている様子だった。俯いた拍子に、髪の隙間から赤くなっている耳が覗く。
『オスカー様』
照れたように上擦った、尻すぼみな声は、とても愛おしかった。しかし、すぐにいつもの様子に戻った。
ウィリアムが帰ってくる前に帰った。
他国から王女が送られてきたが、まったく興味はない。無礼な国だ。そちらの思惑通りに一瞥をくれてやるつもりはない。
基本は応接間で話した。たまに屋敷を案内してもらうこともあった。
『アンナ』
『なんでしょう、オスカー様』
『いつも応接間というのも退屈だ。庭を案内して欲しい』
『かしこまりました』
秋の庭は色づいていて美しい。紅葉した葉の色が、まるでアンナの瞳のようだ。
『オスカー様? 落ち葉を持って何を……』
『似ている』
直視できないという風に、アンナは目を横に逸らす。何か言いたいように口元が動いたものの、すぐにいつものすました様子に戻った。
『そうですか』
落差が酷かった。自分があれだけ振り回されているのに、恋を認めるわけがない、とウィリアムが言っていたが、どうにもそれとは違う気がする。
『アンナは秋がよく似合うな』
『っ! ……ありがとう存じます』
別の日、また別の日。距離が近づくにつれて、違和感に気づき始める。最初は喜びつつも、跡形もなくすました様子になる。どれだけ逢瀬を積み重ねようと、築き上げた関係性が消えてしまう。これが、強制力なのではないか。
アンナは、恋ができない。恋に発展するかもしれない言葉全てを、受け取れない。




