2. 強く生きてきました
そんな町の中でも一際大きな屋敷が、私の次の婚約者の家だった。彼は街で有名な商家の跡継ぎ息子だった。
*
王子殿下はきっと、どこかの貴族の庶子とでも思っていたのだろうから。
「このように、私はただの村娘なのです。あなた様や侯爵を害する理由がありません」
紅茶を飲んで、一息つく。顔を上げると、目の前の王子殿下が苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「え?」
項垂れるように少し伏せていて黒髪でよく見えないはずなのに、深い青の目が鋭い気がする。美男が眉を顰めると、迫力がある。
「君は、それでいいのか?」
絞り出すように出てきた声が、随分と刺々しかった。勘違いだといいけど、少し殺意が入っている気がする。
そんなわけで、お言葉を咀嚼するのに時間がかかった。それでいい、とは?
「どう考えても処罰が少ないだろう」
処罰。随分と物騒な言い方だ。実際にしていそうで怖い。
そして、なぜか少し、カップを持つ手に力が入った。
「その幼馴染は救いようがない」
「……会ったこともないのに、断定なさるのですか?」
出てきた声が、思ったより低くて。王子殿下が僅かに目を見開く。
いけない。冷静にならなければ。
「出過ぎた真似をしました。申し訳ございません」
一方的な婚約破棄は、確かにクズだ。擁護するつもりは一つもない。でも、物心もつかない頃からの知り合いだ。極悪人というわけではないことも、よく知っている。
「いや、いい。発言を許可する」
……あいつは、良くも悪くも裏表がない。頭は足りないけど、その分誰よりも体を動かす。険しく越えるのが大変な山を、文句も言わずに毎日越えて、村の作物を街に下ろしている。村のお年寄りや子供に親切な兄貴肌で気の良い奴だ。だらしなくて、でもその分他人にも寛容で。
恋愛感情も友情もなかったけど、まさしく腐れ縁だった。
「彼は村の稼ぎ頭でした。私の感情だけで動いて、何になるでしょう」
指でもへし折ればよかった? 村の人たちを味方につけて、みんなで村から追い出せばよかった?
そんなことして、誰が幸せになるのか。
まっすぐに王子殿下を見据える。王子は少し考えて、小さく頷いた。
「すまない、軽率な発言だった。しかし、傷つけられたことに変わりはないだろう」
……王子殿下が謝った。まずそのことに驚いて、次に記憶を掘り起こす。
うん。確かに、傷ついた。突然村を出なければいけなかったし、恋愛感情がなくとも破棄されたという事実が痛かった。でもそれがなんだというのか。
「置かれた環境で必死に生きてきた。ただそれだけのことです」
自分が雑草に生まれたとして、踏んだ人間に仕返しするのか。できないだろう。
私は人間だから、できる限り重めに殴ったけど。蹴ったけど。踏んづけたけど。支障がない程度に。
「それに、一方的であることを除けば、私は羨ましがられる立場です」
王子殿下が怪訝な顔をする。
……これだから恵まれた人は。
紅茶は温かいのに、私の内はただただ冷めていた。
「村で生まれた者の大半は、村で一生を終えます。しかし、村と町では、生活の豊かさはまったく違うのです」
生まれの違いというやつだ。生まれた時から地図を見れるお方は、思いつきもしない。
誰に何を言われようと、私は私なりに強く、割り切って生きてきた。何も知らない人に、憐れまれる筋合いはない。
「……だが」
王子殿下が口を開いたその時、呼び鈴が鳴る。メイドさんたちの足音からするに、今の婚約者である侯爵が帰ってきたのだ。私はただ、侯爵が留守の間のお相手をしていたに過ぎない。
「続きは、またいらっしゃった時にでも」
こういう機会は多々あるし、幼馴染からの婚約破棄なんて序章に過ぎない。
「……ああ」
それにしても、あいつ、今頃くしゃみでもしてるんじゃなかろうか。
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「ぶぇっくしゅん!!」




