12. 私は知っていました
職場だったはずの侯爵邸の執務室のソファに、私は座っていた。
*
「こうして、私は侯爵の婚約者となりました」
自分でも、数奇な運命だと思う。過疎村で生まれた私が、今や豪華なお屋敷で王子殿下を前に紅茶を飲んでいるなんて。
「……どうして、穏やかな顔ができる。許せないくらいの扱いだろう」
「身分が身分ですから、許すも何もなかった……という話が、聞きたいわけではないようですね」
傷ついているような、優しいような。そんな顔をしているあなたには、私が穏やかに見えるのですね。今まで、傷ついているのだと勘違いされて、見当違いな慰めばかりもらってきたのに。
この人になら、話してもいいのかも知れない。
「好きな人と結婚したかったから、ですかね」
私の中の、愚かな少女心を。身の程知らずな願望を。
「私の父と母は、恋愛結婚でした」
村に生まれたお母ちゃんと、村の外からきたお父ちゃん。
「もちろん、珍しいことはわかっています。身分や家が合う相手と恋に落ちるなんて奇跡ですから」
一家で流行病にかかり、村の全滅を免れるために隔離され、唯一罹らなかったお母ちゃんは一人で街に薬を買いに行った。誰もが止めた。険しい山を越えるのなんて不可能だと。でもお母ちゃんは向かった。その先で、人攫いに遭った。そこを助けたのが、王家直属の騎士だったお父ちゃんだった。
「でも、その奇跡の中で、私は生まれたのです」
お父ちゃんの助けを借りて村に戻った時、もう家族は手遅れだった。お父ちゃんは、親の死に目に会うお母ちゃんを支え、天涯孤独になったお母ちゃんの側に居続けた。……名誉ある騎士の仕事を辞めてまで。
「温かい家庭で育ったんです」
朝起きると、まずお父ちゃんがお母ちゃんの頬にキスをして、お母ちゃんが私にキスしてくれる。お父ちゃんはお母ちゃんが朝食の準備をしているところにちょっかいを出して、怒られて。私を抱き上げて、わざとらしくいじける。私はそれを笑って、お母ちゃんの真似をして、お父ちゃんのおでこを叩く。でもお母ちゃんも、お父ちゃんが街に降りる前にはいってらっしゃいのキスをする。無事に戻って来れるように祈る。
「愛する人との生活が幸せなものだと、私は知っています」
……それは失った時に、心と体を壊すほどに。
お父ちゃんは事故で死んだ。落石事故だった。衝撃によって崖が崩れて、馬車は谷底に落ちた。生き残った男の子が、咄嗟にお父ちゃんが投げ飛ばしてくれたおかげで生き残ったのだと語った。谷底は深くて、遺体を探すことすらできなかった。お母ちゃんのお腹にはまだ生まれてきていないクリフがいた。クリフの名前は、お父ちゃんがつけた。
『クリフ〜! 今日も元気だな〜』
『ちょっと、女の子だったらどうするの』
『いいや、これは男だ。俺にはわかる』
そんな会話が遠い昔に思えるほど、家は暗かった。私は必死だった。このままだと、お母ちゃんも、生まれてくる子も、失ってしまうと思った。泣いている暇はなかった。
子供ながらに、愛とはとても恐ろしく、それほどに美しいものだと知った。
「だから、出会えたのなら大切にしてほしい。破棄されたのは辛いけど、あの温かさを、失わせてしまう方が、よっぽど辛い」
お幸せに、と全員に言った。それは紛れもない本心だから。
王子殿下が椅子から立ち上がった。私の隣に座り直して、震える手を握る。
「お人好しか」
眉を下げて、王子殿下がくしゃりと笑った。案外子供っぽくて可愛い笑い顔で、思い出した辛さが、少し軽くなった。
「私の知らないところで、幸せであってほしいだけです」
結局辛く感じていたし、怒ってないわけじゃない。私は聖人ではない。
「君は、心から愛する人が見つかったらどうする」
「愛がなくとも、私は侯爵の婚約者です。……信用できませんか?」
彼らは、愛する人と結ばれることができたからこその奇跡なのだから。
王子殿下は首を横に振った。ようやく、信用を得たらしい。
「安心した」
そこで侯爵が入ってきて、笑った。流石に側から見れば良くない絵面かと思ったから、予想外だった。
「言っただろう、なかなか珍しい子だよって」
「……珍しいどころではないだろう」
「アンナ、一番の難所は乗り越えたようだね」
麗しい声でなかなかえげつないことを言う。婚約を結んだ時にも思ったけど、食えない人だ。騎士様はなぜ、この人に心酔しているのか。
*
「整列っ!!」




