1. 幼馴染に婚約破棄されました
春の穏やかな昼下がりの侯爵邸、その応接間。目の前の王子殿下に語る。
ただの村娘だった私が、どうして高貴なるあなた様の前にいるのかを。
*
「好きな人ができたから、お前に代わりを用意した」
山々に囲まれた小さな村の、家の前で。隣に住む幼馴染、婚約者にそう言われたのが、十八の春のこと。彼の隣では大人しくて可愛らしい雰囲気のお嬢さんが申し訳なさそうに眉を下げていた。
「だいたいアンナはガサツっていうか、なんでも自分でやれちまうし、可愛げがないし、女として見れなかったんだよな」
あまりのことに開いた口が塞がらない。
私だって、馬鹿で呑気で後先考えないあんたが未来の旦那なことを不安に思っていたわよ。話は合わないし、イラつくことばかりだったし。
なんて、仮にも浮気されたとはいえ、お嬢さんの前で言うべきではない。握り拳の準備だけしていると、ガハハと笑う彼の耳をお嬢さんが引っ張った。
「ごめんなさいっ!」
なんでも街で暴漢に襲われていた時に助けられて、婚約者がいるとも知らずにそのまま良い仲になってしまったのだと言う。まあ、クズだけど勇気だけは持ってるからね。図体はデカいし。その体力を活かして、山を越えなきゃいけない街に牛乳を売りに行っていたわけで……女見つけてこられては世話ないけど。
お嬢さんはそんな彼の頭を力技で下げ、何度も謝ってくれた。私は必死に頭を下げる彼女を宥め、彼の腹に渾身の一撃を入れてやった。
「うぐおっ」
「気にしないで。全部こいつが悪いから」
今は亡きお父ちゃん、婚前交渉だけは許さないって口酸っぱく言いつけてくれてありがとう。騒ぎを聞きつけて出てきた病弱なお母ちゃん、寝てていいよ。私、見た通り強いから。
「んで、代わりって誰よ。バーノンおじさんとかだったら引っ叩くからね」
「なわけないだろ!? まったくオレのことはなんだと思ってるんだよ……」
たった今婚約者を捨てたクズですけど?
バーノンおじさんとは、こいつのクズ度が霞むほどの、私たちの村で有名な地雷独身おじさんである。なぜか自分はかっこよくてモテるのだと勘違いしていて、何をしても失敗してはこちらのせいにする困り者。しかし私たちの過疎村にはおじさんとこいつくらいしか独身がいない。赤子や子供を除き。
「街で仲良くしてる奴がさ、嫁を探してたんだよ。お前の話したら是非とももらいたいって」
「それなんか裏がない?」
私の容姿はごく普通。亜麻色の髪に赤い瞳。おまけにそばかすの痩せぎす。他にお嫁さん候補がたくさんいるような街で、こんな女を欲しがるなんて。
住所のメモを渡しながら、彼は言う。
「寝たきりの母さんがいるんだと」
ドサッ。カバンが落ちた音がする。
おかえり、クリフ。学舎から帰ってきたのなら、荷物を置いて、牛を牛舎に戻して。
「いだぁっ!!」
大丈夫。お姉ちゃんは逞しいから。とりあえず蹴り飛ばしたから。
しかし介護要員、か。思うところがないわけじゃないけど、嫌だとか言ってらんない。お貴族様が政略のために結婚するように、田舎娘は食い扶持を得るために結婚する。こんな家畜の世話しかできないような村娘を雇ってくれるところなんてどこにもない。
「本当でしょうね?」
「ほ、ほんとだし、話つけるのが大変で……」
私には支えなきゃいけない家族がいる。
今度はその人の婚約者になるしか、道はない。義理の親の面倒を見るのが、早いか遅いか、長いか短いかだ。耐え忍ぶしかない。
「じゃあ、お幸せに!」
倒れ込んだ元婚約者の手を踏んづけてやった。バタン、とドアを閉めて、荷造りをする。幼馴染の家に慰謝料代わりに母の面倒を見るように言いつけた。
「アンナ、私は大丈夫だから。そんな……」
「家族を見捨てる馬鹿がどこにいるの、お母ちゃん。クリフ、隣のおばさんを頼るのよ」
まだ9歳のクリフに、お母ちゃんを頼むことなんてできない。勝手にした分、しっかり面倒を見てもらわないと。幸せまで願ってやったんだから。
「じゃあ、行ってきます」
そうして、翌日には村を出た。
街は栄えていて、どこからも家畜の匂いがしないことに驚いたのを、よく覚えている。




