【第三章 第十三話 黒き将との邂逅】
戦場の空気が重く沈み込んだ。
その変化は誰の目にも明らかで、兵士たちの鼓動すら揃って止まったかのようだった。
魔族の陣営から、ひときわ巨大な影が姿を現す。
漆黒の鎧に身を固め、背には禍々しい双角。
握られた大剣は夜そのものを形にしたかのように黒く、周囲の光を吸い込んでいる。
「ヴァルザーク様……!」
魔族の兵が歓喜の声を上げた瞬間、戦場全体にどよめきが走った。
それは勝利を約束されたかのような歓声。
人間側の兵たちは一転して動揺に沈み、矢を握る手を震わせ、剣を支える腕が痙攣する。
四天将――魔王軍の最強戦力。
その名を持つ存在の一人が、いま目の前に現れたのだ。
各軍団長が必死に兵を叱咤し、陣形を立て直そうと叫ぶ。
だが誰もが心の奥で理解していた。
「敵将の登場」と呼ぶにはあまりにも異質すぎる圧倒的存在感。
戦の情勢を左右するどころか、一人で国を滅ぼしかねない怪物。
その名を耳にした瞬間、誠人の胸奥で何かがざわめいた。
四天将 ――ヴァルザーク。
その呼び名と共に、記憶の奔流が襲いかかる。
幾度も剣を交え、斬り結び、そして……最後まで打ち倒すことができなかった。
勝利も敗北もなく、ただ苛烈な戦いだけが積み重なった宿敵。
光景が閃光のように脳裏をかすめた。
咆哮、炎、血の匂い。
かつての自分――マクシミル・ロアン・ゼルフィードが、必死に刃を振るっていた記憶。
「……やはり……お前か」
誠人の口から漏れた声は震えていた。
それが己の意思によるものか、あるいは前世の残響によるものかは、彼自身にも判然としない。
魔王軍本陣営、ヴァルザークはゆるりと歩を進める。
その一歩ごとに大地が呻き、砂塵が舞い上がった。
見上げる兵士たちは皆、圧倒的な威圧感に膝を折りそうになっている。
そして、炎のような眼光が誠人を射抜いた。
「マクシミル・ロアン・ゼルフィード……!」
地の底から響くような声が戦場全体を震わせる。
その呼び名に、兵たちは一斉に誠人へと視線を向けた。
誠人は歯を食いしばり、吐き捨てるように言った。
「俺は……もうロアンじゃない。誠人だ。だが――お前だけは倒す!」
背に広がる光の翼が、荒ぶるように輝いた。
だがその輝きは未だ不安定で、力の制御が追いついていない。
翼の羽根が散り、光が不規則に弾け飛ぶ。
手にしていた剣もまた――今まで扱ったことのないはずの武器。
それなのに、不思議と握り心地に迷いはなかった。
踏み込み、振り抜き、受け止める。すべてが自然に身体へ染みついている。
――そうか。
これはロアンとして積み重ねた戦いの記憶が、体の奥深くに刻まれているからだ。
誠人は気づく。
今、自分は確かに「前世の技」を使っている。
「ふん……あいかわらず口先だけは達者だな、小僧」
ヴァルザークが唸り声を上げ、漆黒の大剣を抜き放った。
刃が空気を裂いた瞬間、戦場の空気が一層濃く淀む。
両者の距離が一気に縮まった。
――轟音。
光の剣と漆黒の大剣が衝突した瞬間、耳をつんざく金属音が鳴り響き、火花が弾けた。
衝撃波が大地を割り、近くにいた兵士たちが吹き飛ばされる。
それでも誰一人、目を逸らすことはできなかった。
「誠人!」
リルが城壁の上から叫ぶ。
彼女の胸は震えていたが、その瞳には確かな決意が宿っていた。
――誠人は誠人。
たとえ前世の名を呼ばれようとも、彼が誠人であることに揺らぎはない。
その信じる気持ちこそが、後に彼を繋ぎ止める力になる。
戦場の只中、互角の攻防が繰り広げられていた。
誠人はまだ新しい力を制御しきれておらず、時に剣筋が乱れる。
だが直感と経験が導き、思いがけぬ一撃がヴァルザークを退けることもあった。
一方のヴァルザークは、歴戦の猛者。
数百年の戦を生き延びた腕前は誤魔化しようもなく、わずかな隙を逃さずに重い斬撃を叩き込む。
だが誠人は踏みとどまった。
光の翼が直感的に動き、攻撃を逸らし、防ぎ、そして反撃の糸口を生む。
観戦する兵たちには、それはもはや「人の戦い」には見えなかった。
光と闇が衝突し、天地を揺るがすその戦いは、神話の再演のように映っていた。
「やはり……ただの小僧ではないな」
ヴァルザークが笑みを浮かべる。
その余裕が恐ろしくすらあった。
「だが、所詮は未熟。制御もできぬ力で我に挑むか」
誠人は答えなかった。代わりに深く息を吐き、再び剣を構え直す。
二人は同時に一歩、距離を取り、再び対峙する。
荒れ果てた大地には斬撃の跡が幾筋も刻まれ、煙が立ち昇っていた。
「次で決めるぞ」
ヴァルザークが低く告げた。
その声は戦場すべてを圧する覇気を帯びている。
「望むところだ」
誠人の返答もまた、迷いなきものだった。
光の翼がまばゆく広がり、ヴァルザークの大剣が黒い炎を纏う。
その光景に、軍団長たちですら息を呑んだ。
戦場は、次の一撃を恐れて震えている。




