学校を休みたい
日本都内、とある学校に一通の通達が届いた。
学生リフレッシュ権利法――それは、選ばれた学生が一ヶ月間、出席扱いで学校を休める画期的なシステムだった。
この制度は、昨今の学生たちの負担を軽減するために制定された。一クラスから希望者を募り、クラスの中に複数の希望者がいる場合は公正な競争によって一人を選出する。
東京での試験的導入から始まり、徐々に全国へと広がっていった。
若竹中学校――寂れた環境で生徒数わずか三十名ほどの中学校。この小さな中学校にも学生リフレッシュ権利法の通知が届く。
朝の涼しい空気を感じながら、僕――椎名健は校舎へ向かう。木造の床でリズミカルな足音を廊下に響かせつつ、教室のドアを開く。五人がすでに登校しており、教室の中からいいようのない空気が流れてきた。悪いほうの。
僕を含めて七人だけのクラス。全員が幼馴染で家族同然の仲なのに、なぜ朝からこんな重い空気が流れているのだろうか。
考えるふりをしながら心当たりを探す。皆の性格を知っている僕としてはありえないとは思うが、もしかしたら学生リフレッシュ権利法が原因かもしれない。いやいや、そんなわけないか。いくら教室にいる五人が既に公正な競争に負けた敗者だからといって、頑張って勝った僕にこんな邪気を飛ばしてくるわけがない。
希望率――百パーセント。
これは僕のクラスにおける学生リフレッシュ権利法の希望率だ。他所の学校だと希望率一パーセントにも満たないそうだが、このクラスでは全員が希望していた。
僕が言うのもなんだが、もう少し今の時間を大切にしたほうがいいと思う。中学生でいられる時間は短いんだから。ちなみに僕は家でゲームをしたいというのが希望理由だ。
「よう椎名。昨日はよく眠れたか?」
思わず顔が傾いてしまうほどの声量。朝からこれほどの声を出せる人間を僕は知っている。振り返ると、幼馴染の一人である雷電一が立っていた。金髪で身長は僕より二十センチ以上高く、中学生とは思わせない鍛え抜かれた肉体が、白のスクールシャツの下から主張していた。
「負けるのが不安で眠れなかったんじゃないか?」
わかりやすい挑発だ。朝からそんな好戦的にしなくてもいいのに。
「はは、そんなわけないだろ。快眠だったよ」
今日は学生リフレッシュ権利の対象者を決める決勝戦。僕と雷電が戦う日だ。
「むしろ雷電のほうこそ僕に負けるのが怖くて眠れなかったんじゃないか?」
別に気にしているわけではないが、挑発されたならやり返さないとな。
「はぁ? 俺も快眠だったに決まってるだろ。見ろこの筋肉を! これを維持するには睡眠が大事だからな」
雷電は得意げに袖をまくり上げ、彫刻のように見える筋肉を誇示してくる。
相変わらず中学生とは思えない体だ。これなら多くの中学生個人スポーツ大会で優勝したのも納得できる。しかし今日の勝負には何の意味もない。
「悪いけど、スポーツ勝負をするつもりはないよ。雷電は戦う回数が少ない代わりに、対戦相手が勝負の内容を決められる条件だったこと、忘れてないだろ?」
今月の学生リフレッシュ権利法を争うにあたって、クラスメイト全員で決めたルールの中に、一対一のトーナメント形式というものがある。
あみだくじの結果、雷電がシード枠を手に入れ、雷電と戦うプレイヤーは勝負の内容を決められることになっている。
「わかってるって。けどそっちが有利な内容なら俺は断れるんだぞ」
「もちろん覚えているよ」
こちらに勝負の内容を決められる権利があるように、雷電には提案された勝負を諾否できる権利がある。スポーツ勝負なら僕に勝ち目はなく、頭を使う勝負なら雷電に勝ち目はない。幼馴染ゆえにお互いの明確な長所短所を理解している。だからこそ僕は確実に雷電が納得してくれる勝負を提供しよう。
「雷電、僕が提案する勝負は実にシンプルなものだ」
自分の握り拳を雷電に向けて突きだす。
「お、なんだ? 殴り合いでもやるか?」
「やるわけないだろ。じゃんけんだ」
雷電の表情が一瞬、拍子抜けしたように緩む。
「どちらかが合計で5回勝てば勝ち。簡単だろ」
グー、チョキ、パー。3つの選択肢から1つを選ぶだけの簡単な遊戯。誰しもが幼い頃から慣れ親しんだ、最もシンプルな勝負である。
「じゃんけんか……まぁそれならいいか。面白れぇ。やろうぜ」
屈託のない笑顔で雷電は承諾してくれた。彼の笑顔に呼応するようにこちらも微笑み返す。
じゃんけんに有利不利は基本的に存在しない。統計学的に見れば、グー、チョキ、パーがそれぞれ三分の一の確率で出現するだけ。そこに身体能力や知識が介入する余地はない。雷電はそれを理解しているから納得してくれたのだろう。
お互いクラスの席につき、荷物を下ろす。
「じゃあ、さっそく始めようか」
「おういいぜ」
黒板の前に立ち、お互いに拳を構え、息を合わせ決められた掛け声を発する。
1回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕――グー。雷電――チョキ。
「ちくしょー! 運がねー!」
雷電は頭を掻きながら悔しそうな顔をする。そんな雷電の姿を僕は笑顔で眺める。
「まずは一勝。このまま続けていいか?」
「当たり前だ! 次こそは絶対に勝ってやる」
2回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕――グー。雷電――チョキ。
「うが――――! また負けた!」
「連勝ラッキー。このまま勝たせてもらうよ」
「次こそは!」
3回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕――グー。雷電――チョキ。
結果は同じだった。
「なんでだー! もしかして何かズルしてねーか!?」
三連続でグーに敗北した雷電は僕に怪訝な顔を向けてくる。どうやら僕が不正をしていると思っているようだ。
まったく……失礼な話だ。
「じゃんけんでズルできるわけないだろ。チョキを連続で出しているのが悪いんだ」
「ぐぬぬ、確かに……次こそは……」
4回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕――チョキ。雷電――パー。
「ヨンレンパイ……」
雷電は膝から崩れ落ちるように、両手を床につけた。一方的な敗北がよほどショックなようだ。
2人だけのじゃんけんで4回連続負ける確率はだいたい1パーセントほどか。低い確率ではあるが、これが偶然とはちっとも思っていない。なぜなら僕は雷電のじゃんけんに対して、徹底的なリサーチを行っていたからだ。
人には個性がある。好きな食べ物、好きな色、好きな音楽など。それと同じように、じゃんけんにも個人によって好みが現れる。満遍なくグー、チョキ、パーを出す人もいれば、特定の手を好んで出す人もいる。雷電は明らかに後者だった。雷電は本気で勝ちにいく場合、必ずと言っていいほどチョキを出す。
なぜチョキをそんなに使うのか聞いたことがる。
『チョキが一番強いだろ。だってビクトリーのVにそっくりだからな』
勝つことが大好きで単純明快な雷電にはお似合いな考え方だと思った。そして……学生リフレッシュ権利法を争うときに使えそうとも思ったんだ。
僕はこの前提を検証するために長期間にわたってデータの収集を開始した。
雷電、覚えているか? 僕がよく給食のデザートを残して、残ったデザートを求めてお前を含めた幼馴染たちがじゃんけんで争っていたことを。学校の帰り道にかなりの頻度でグリコをしながら帰っていた日々を。
全部、この時のための情報収集だったんだよ。ズルをしてないかだと? もちろんしてないさ。ただ、圧倒的なまでにスタートダッシュのタイミングが違いすぎただけだ。
最初の3回でチョキを出し続けたのは想定内。3連敗してビクトリーのⅤに疑問を持ち、迷った末グーに勝てるパーを選んだのも想定内だ。
四戦すべてが、僕の計画通りに進んでいる。
「……ふふ」
おっと。まだ勝ってないのに思わず笑みがこぼれてしまった。しかし、ここまで想定通りにことが進むとはな。
雷電の落ち込む姿を見て己の勝利の確信していく。今の彼では大好きなビクトリーを信じることはできないだろう。そんな状態ではチョキを絶対に使えない。チョキを出されない以上、僕はパーを出し続けていれば必ず勝てる。
「……勝ったね」
小さな声で勝利宣言する。
「雷電。いつまで倒れてるつもりだ。早く続きをやろう」
「…………」
雷電は静かに立ち上がり、俯きながら拳を前に突き出した。
終わりだ。決着をつけよう。
5回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕——パー。雷電——チョキ。
「……は?」
チョキ? あの状態でチョキだと?
これは完全に予想外の出来事だった。今の雷電がチョキを選ぶなんて、僕のデータには存在しなかったからだ。
雷電は俯いたまま声を発さず、再び拳を突き出してくる。
その沈黙が、僕にとって非常に不気味だった。
偶然なのか? それとも……だめだな。すぐに答えが出せることではない。
チョキを出してくる可能性がある以上、警戒をする必要がある。様子を見るためチョキを選ぼう。
6回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕——チョキ。雷電——グー。
……まずいな。これは完全に僕の知らないデータパターンだ。こうなると僕が集めたデータはほぼ無意味になる。それになんだこの違和感は。
再び雷電は静かに拳を突き出してくる。
こうなっては一戦を捨ててでも情報を集めに行くしかない。
7回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
僕——パー。雷電——チョキ。
「これは……」
あの騒がしい雷電が勝ったのに歓声を上げず、じゃんけんの際に感じるかすかな違和感。
僕は恐る恐る視線を俯く雷電の顔を覗く。その瞬間、体中から鳥肌が立ってしまった。そこにあったのは、4連敗した人の表情ではなかった。1つの物事に対して集中している研ぎ澄まされた相貌。雷電がスポーツで本気を出している時の顔だった。その瞬間にとある仮説が頭に浮ぶ。
まさか……そんなことがあり得るのか? もしそれが事実なら、僕は間違いなく負ける。
「悪い、ちょっとお手洗いに行ってくる」
適当な理由で逃げるように教室から出た。
僕はトイレには向かわず、廊下の手洗い場で冷たい水を顔にかける。受け入れがたい現実によって鈍った思考をリセットするために。
「ずいぶんと追い込まれているみたいね」
ハンカチで顔を拭いていると、少し高い聞き慣れた声が後ろから聞こえてくる。振り返ると人形のように整えられた顔立ちで伸びた美しい黒髪をなびかせるクラスメイト、雨宮鈴音が嬉しそうな表情でこちらを見ていた。
雨宮鈴音——僕の幼馴染の一人。寂れた町に唯一ある名家の令嬢であり、学生リフレッシュ権利法で僕が最初に対戦した相手でもある。もちろん僕が勝った。
「何しに来たんだよ」
「負け犬のようにクラスを出るから、心配で来てあげたの。優しいでしょ?」
優しい? 優しい人は負け犬とか言わないぞ。彼女からすれば、僕が徐々に負け始めているのが心地良いのかもしれない。さすがはドSの雨宮。性格が悪い。
「余計なお世話さ。それに勝つのは僕だ」
「ふーん。それにしては随分と追い込まれているように見えるけど? 分かってる? どうして雷電が勝ち始めているのか」
どうやら観察力に長けた雨宮は、僕の感じている違和感の原因に気づいているようだ。
信じられない仮説だが、恐らくそれしかないだろう。
「分かってるよ……雷電は後出しをしている。正面にいた僕でも後出しと思えないほどのぎりぎりのタイミングでね」
普通に考えて意味が分からない。後出しをしたとして戦っていた僕でも気づけない後出しってなんだよ。雷電のじゃんけんにそんなテクニックがあるとは思いもよらなかった。いや、今はそんなことを考える余裕はない。
後出しをしていた場合、それは明らかな不正行為だ。指摘したら確実に反則負けになる。それが証明できたらだが。
指摘して証明するためにはある程度の外野にいる証人が必要になる。この場合だとクラスメイトだが、僕も三戦してようやく違和感を感じ取れるほどのタイミングだ。傍から見ていては気づけている人はほぼいないはずだ。気づけているのは僕と雨宮だけ。雨宮が指摘してくれたら他の皆も疑問の目で見てくれるかもしれないが望み薄だ。理由はわからないが、雨宮は僕に負けてほしいと考えているからだ。証言はしてくれないだろう。
「分かってるじゃない。よかった。なら勝ち目がないこともわかってるわよね」
雨宮の言葉は正しい。後出しを攻略しない限り僕に勝ち目はないだろう。
普通なら諦めてしまうが、学生リフレッシュ権利法がかかっているのだ。簡単に勝負を捨てるつもりはない。
「ふっ、考えがないわけないだろ。安心して見てなよ」
僕は自信ありげに微笑んで見せる。しかし内心では、対策を必死に練っていた。
◇◆◇◆◇◆
教室に戻ると、雷電は先ほどと同じく集中した面持ちで待っていた。
「待たせたね」
「…………」
雷電は返事を返してくれなかった。もしかすると僕の声が聞こえないほどの集中力が、あのとんでもない後出しを可能にしているかもしれない。なのでまずは雷電の集中力を削ぎ、会話ができるようにしないといけない。
「雷電、僕は正々堂々と戦いたかったんだけどさ……はっきり言って残念だよ」
僕の言葉が届いている様子はない。でもこの言葉は確実に彼の心を乱すだろう。
「まさか……反則してまで勝ちたいとはね」
「……あぁ? 反則だと?」
ようやく雷電は反応する。この反応を僕は何度か見たことがあった。
『雷電ずるいぞ! 躓いたところにタッチしやがって! 卑怯者!』
『なんだと!? ならもう1回オニをしてやるよ! 次も逃がさねーからよ!』
幼い頃、雷電がオニだと絶対に逃げ切れなかった僕や他の幼馴染たちはなにかと理由をつけた。すると雷電は一度逃がして再びオニをやってくれた。文句のつけようのない勝利を手にするために。
雷電一という男は勝つことが大好きであり、己の勝利にケチをつけられたくない人間だ。勝つことに対して文句をつければ必ず反応を示すと信じていた。
まぁ後出しをしていたら不正であるけど。
雷電は先ほどとは違い、僕に意識が向けられている。これなら会話ができそうだ。
「だってそうだろ。後出しは立派な反則じゃないか」
「後出し……なんてやってねーよ」
ばつが悪そうに雷電は視線を横にそらす。
この反応……絶対にやってるな。もう少し上手に嘘がつけないのだろうか。
「それに後出しなんかやってたら他の皆がなんか言ってくるだろ」
ごもっともだ。だからそこに期待していない。
「僕は雷電が後出しをしていると思ってるよ」
「だからじゃんけんをやめたいってか? そうなったら椎名のほうこそ反則ってやつじゃねーか」
「そうだね。だからお互い納得できるやり方を提案したい」
「提案? なんだよ」
「お互い目を瞑ってじゃんけんをしよう。手を出してから目を開ける。これなら僕も安心してじゃんけんができる。雷電は後出しをしてないなら問題ないよな?」
雷電は黙ったまま、僕を見つめていた。その表情からは、提案を受け入れるべきか迷っている様子が伺える。
どう考えても提案を断るべきだが、己の勝ちにケチをつけられてしまったから雷電は迷っているのだろう。
「……それはお前に都合が良すぎるぞ」
雷電の言葉に一安心する。ここまできたら、こちらの身を削ってメリットを提示すればいいからだ。
「そうだね。だから僕は雷電が一勝するまで、出す手を宣言して勝負するよ。雷電は僕を信じて勝てる手を出せば必ず一勝できる。そのあとは正々堂々、フェアに勝負すればいい。これなら雷電にもメリットがある話だろう?」
「お前を信じろってのかよ」
「おいおい。幼馴染の言葉を全く信用していない言葉だな」
「そう言ってんだよ。よく嘘つくし」
長い付き合いなのに悲しいぞ。まあ心当たりがありすぎるから反論しないけど。
「信じるか信じないかは雷電次第さ。それに、提案を必ず受ける必要があるわけじゃない」
僕は一呼吸置いてから、彼に一番刺さるだろう言葉を放つ。
「僕の提案を受けず、そのまま続けるのもいいよ。ズルしてまで勝ちたいならね」
雷電の怒気を孕んだ表情をする。
「僕はチョキを出す。グーを出せば勝てるよ」
僕は目を瞑り、掛け声を口にした。
8回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
目を開けると、僕——チョキ。雷電——チョキ。
ため息交じりに雷電を見る。
「雷電。僕を信じろよ」
「うるせー。椎名を信じろって方が難しいだろ。それに目を瞑ってやったんだから感謝しろよ」
どうやら雷電も目を瞑ってやってくれたようだ。ひとまず勝てない原因は取り除けた。
「そうだね。提案を受けてくれてありがとう。じゃあ、後は雷電に一勝してもらうだけだ。次も同じ手を出すよ」
9回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
目を開けると、僕——チョキ。雷電——グー。
「よっしゃ――――――!!!」
「ッ!」
とんでもない雄たけびで反射的にビクッと体が動いてしまう。でもなんだか安心した。こうやって叫んでこそ雷電だ。
これで互いに四勝ずつとなり、どちらかが一勝すれば決着がつく。
「よし! これであと一勝だ。おい椎名、負けても卑怯とか言うなよ」
「分かってるよ。お互い恨みっこなしだ。勝つのは僕だけどね」
「いーや! 俺だね!」
お互いにラスト一勝。雷電は後出しを使えず、僕はこの状況のデータを持ち合わせていない。
ただのじゃんけんに戻っただけ。フェアな戦いのはずだ。でも、底知れない何かに僕は追い込まれている気がした。
僕は雷電に対して短期決戦を挑むつもりだった。圧勝できるプランがあったからというのもあるが、長期戦になればこちらが不利だと思っていたからだ。
『うぉぉぉぉぉぉ! 勝ったぞぉぉぉぉぉぉ!』
雷電が小さいながらもスポーツで大人に勝つ姿が思い浮かぶ。
こういったギリギリの戦いにおける雷電一という男の勝率は異常に高い。
理屈ではない何かを雷電は持ち合わせているのだ。
途中までは完璧だったんだけどな……。
でも嘆いても仕方がない。休みの権利を勝ち取るためには雷電の勝負強さを打ち破るしかない。
お互いに目を瞑り、最後の掛け声を発する。
10回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
目を開けると、僕——チョキ。雷電——チョキ。
「ちくしょー! 次こそ勝ってやる!」
今ので雷電はチョキを使えることがわかった。つまりビクトリーのVを信じられているってことだ。なら2回目と同じくチョキか。それとも雷電の勝負強さがチョキではない手を選ぶのか。
長いこと時間をかけてデータを集めたつもりだったけど、それでも全然足りていなかった。
「すぅぅぅはぁぁぁ……」
後悔は今することではない。必要なのは勝つために勇気を持つことだ。
深呼吸をして覚悟を決める。
11回目。
「「さいしょはぐー、じゃんけんぽん」」
目を開けると、僕——チョキ。雷電——パー。
「そんな……俺が負けるなんて」
雷電は肩をガックリと落とす。
「……悪いな雷電、僕の勝ちだ」
「なんで俺がパーを出すと思ったんだよ」
「最初に3回もグーに負けただろ。負けず嫌いの雷電がそのままにしないと信じたんだ」
「そうか。やっぱつえーな椎名は」
清々しい顔で雷電は握手を求めてくる。僕は答えるように握手する。
激闘の末、僕は学生リフレッシュ権利法を手に入れた。
◇◆◇◆◇◆
「あーあ、椎名の奴、学校を休めるんだよな。ずるいぜ」
「仕方ないでしょ。雷電が負けちゃったんだから」
「そんな怒るなよ、すず。本気でやって負けたんだから」
「別に怒ってないわよ」
昨日の勝負の話で持ちきりの教室に、僕は何事もなかったかのように入っていく。
「おはよー」
「え? 椎名? なんで登校してんだよ」
「ん? 別に学生リフレッシュ権利法は必ず学校を休まなきゃいけないものじゃないぞ。休んでもいい権利だ」
「いやいや、それを勝ち取るためにあれだけ戦ったじゃねーか。何のために手に入れたんだよ」
「簡単だよ。データを集めるためだ」
僕は教室を見回しながら説明を続けた。
「昨日の雷電を見てよく分かった。僕の持ってるデータも全然足りないし、少しの時間でデータに違いが生まれる。だから定期的に登校してみんなのことを観察しようと思う。そのうえで、休む時は休む」
「なんだよそれ。だったら俺に権利くれよ」
雷電が不満そうに言った。
「やだよ。それに雷電は成績が悪いんだから、登校はしとけよ。勉強が苦手なのに学校行かない方がまずいだろう」
「俺にはスポーツがある。大丈夫だ」
やっぱり雷電はスポーツ馬鹿だな、と僕は内心で苦笑した。
「椎名はどれくらいの頻度で学校に来るのよ」
雨宮が質問を投げかけてきた。
「うーん、特に決めてないけど、僕の納得できるデータが集まるまでかな。来月だってまた皆と戦う可能性があるわけだし」
「ふーん。じゃあそれなりに来るわけね」
雨宮はどこか安心したような表情を見せていた。なぜだろうか?
「ま、それでも休む頻度は多くなるからよろしくな」
僕は学校を休める権利を手に入れた。しかし、このク観ラスでは希望率100パーセントで学生リフレッシュ権利法を希望している。毎月、幼馴染たちと戦うことになるなら、みんなのデータを継続的に収集し続けなければならない。
雷電の後出し技術、雨宮の察力——すべてを把握し、分析し、対策を練る必要がある。そのためには、むしろ皆と過ごす時間をを増やさなければならないのかもしれない。
自分の席に座り、カバンの中からノートを取り出す。ノートには昨日までのクラスメイトの行動がびっしりと書き込まれている。
雷電の新しい癖——緊張すると右手首を回す動作を3回繰り返す。
雨宮の変化——最近、僕との会話で微かに声のトーンが上がる。
窓の外では、桜の花びらが風に舞っていた。新しい季節が始まろうとしている。そして来月には、また新しい戦いが始まる。
僕は学生リフレッシュ権利法を手に入れた。しかし同時に、気づきたくもなかった現実が見え始めていた。僕の幼馴染は全員個性的だ。一癖で表せないぐらい変な連中だ。そんな皆と勝負して勝ち続けるってすごい大変なのではないかと。
皮肉なことに、学校を休むために戦った結果、僕は学校に通わなければならない理由を手にいれてしまった。
机の引き出しに入った権利証明書を見つめながら、僕は微笑んだ。来月もまた、この権利を巡って戦うことになるだろう。でも今度は安全に、完璧に勝って見せる。
学校を休みたい——そう思って始まった戦いは、学校に行かなければという気持ちで一幕を終えた。