ルイン攻防戦-前線
メリアスの眼には、火の壁とそれを超えてくる危険生物が映っていた。
しかしこれは作戦通りであり、想定内の事態である。そのため、現状に驚いているような者は一人もいない。
最前線もそうだが、前線に配置される者は基本的に熟練の冒険者や兵士達。他に配置される条件としてあるのが、戦闘神法を使えるかどうかというところである。
熟練者、とまではいかずとも戦闘神法が使えるというだけで貴重な人材である。
メリアスは火、風、光属性の三種類の戦闘神法を使うことができる。それは、戦闘神法を使える者の中でもかなり少数であり、非常に貴重な存在である。
多くの人がメリアスのその戦闘神法の多彩さに驚いていたが、それを追求したり深掘りする野暮な真似をする者はいない。無事に攻防戦に勝利すればそういった話で盛り上がることもできるかもしれない。
「皆、対処を開始しよう! 無理に正面からぶつかる必要はない。自分の能力をよく考えて行動してくれ!」
メリアスのいる前線のリーダーである男性がそう声をかけ、他の者は武器を構えていく。
(今はまだ少数。でも、こちらの対処が遅れれば遅れるほど火の壁を超えられる強力な危険生物が次々とやってくる。どれほど長く危険生物の大群が続くのかは分からないけど、精神的にもしんどくなっていくでしょう。上手く立ち回らないと……)
メリアスはやってくる危険生物を見ながら考える。精神的な負担は目には見えないが、様々なパフォーマンスに影響を及ぼす。
「ふっ!」
最初に牽制を仕掛けたのはメリアスだった。メリアスは火と風を自身のレイピアの先端に作り出し、それを光で結合させた。
異なる属性を結合させることのできる光属性を用い、火と風を結合させて強力な攻撃を繰り出す。これがメリアスの王道の攻撃方法になる。
神法によって作り出された風は通常の風と同じ性質という訳ではなく、使い方や熟練度によっては殺傷力の高い攻撃になり得る。そして、風が酸素を運び、火の威力を高める性質については通常の風と同様である。
大きな火の旋風となったその神法は迫り来る危険生物達の元へ向かう。
「ま、マジか……」
他の冒険者や兵士はそれを見て驚いていた。
メリアスは美しく大人びている部分もあるが、まだ十七歳である。そんなメリアスの攻撃はそこらの戦闘神法を使える者より卓越しており、強力だった。
火の旋風は火の壁を越えてくることの出来る大半の危険生物の生存本能を強く刺激し、通ろうとしていた道を変えさせた。
「このまま少しの間ですが維持します! もしまだ越えてくる危険生物がいたら対処をお願いします!」
メリアスは火の旋風を消さないよう神法を出来るだけ維持することにした。
しかし、早速火の旋風に臆さず、上手く避けながら街側へ向かってくる危険生物がいた。
それは全長五メートルほどで黒い毛皮に覆われた狼のような生物である。非常に俊敏であるが故に抜けてきたのだろう。
「くっ、こいつ……!」
素早い動きで冒険者と兵士の攻撃を避けていくその狼は、あっという間にメリアスの近くまで到達した。メリアスが火の旋風を生み出す脅威であると察知し、最優先で排除すべき目標に定められたようだ。
だが、メリアスは至って冷静にバックステップを行い、距離を取る。とはいえ、相手は俊敏性に長けた狼であるため、すぐに距離を詰められてその凶暴な牙をメリアスへ突き立てようとする。
「単調に正面から来てくれて助かるわ」
いつの間にか、メリアスのレイピアの先端から放出されていた火の旋風が止んでいた。
選択肢はいくつかあったが、メリアスは迷わず火の旋風の放出を止め、早々に狼を打ち倒す方を選んだのだ。
「ガッ……!」
近くの冒険者が急いでメリアスのヘルプに入ろうとしたが、その必要はすぐになくなった。
メリアスは右手の甲を上にしてレイピアを持ち、切っ先を正面から迫り来る狼の喉元へ向け、体を正面から見て少し斜めにして構えていた。その構えに移行する速度は一瞬で、一連の動きが体に染み込んでいることがよく分かる美しい動作だった。
そしてレイピアの先端は目にも止まらぬ速さで狼の喉元を数度突き刺し、右の目玉も貫いた。
相手は人間であるメリアスの体の何倍も大きい。喉元を一度刺した程度では止められない可能性が高かったのだ。
右の目玉を貫かれ、苦痛で叫ぶ狼だがそれでもメリアスを潰そうと前足を上げている。
そこでメリアスは、刺さったレイピアの先端から火の戦闘神法を一気に放出する。
直接体内に、それも脳に近い部分で火を放出されて体内を焼かれた狼はようやく力尽きてその場に倒れる。
「ふぅ、頑丈ね……」
メリアスは自身へ迫る危機を脱した直後、再度同じように火の旋風を作り出して危険生物を牽制する。
その牽制を抜けてくる生物はいるが、次はなんとか他の冒険者と兵士によって対処できている。
「すまないな、嬢ちゃん。この前線ではあんたが要だ」
「大丈夫です。私は私の役割を果たします」
近くにいた冒険者は自身の無力さとメリアスへの感謝を表した。
メリアスはメリアスの役割を全うする。自分にしかできないというのであればやるしかない状況である。
このまま火の旋風を越えてくる危険生物だけ処理できるのであれば、いずれ危険生物の大群は過ぎ去っていくことだろう。
しかし、イレギュラーが起こる可能性はこのような非常事態では常に色々なところに孕んでいる。
最後までこのまま上手くいくことが一番であり、皆もそう思っている。だが同時に、そんな上手くいく訳がないことも分かっている。
そして、イレギュラーは誰もが予想だにしていなかった、予想などできる訳ない形で起こることになる。
**
「結構上手くやれてるな!」
勇者アルファとエルファのいる最前線では、二人の圧倒的実力者のおかげで危険生物をかなり捌けており、他の実力のある冒険者や兵士も越えてきた危険生物を適切に素早く処理できている。
最前線でありながら、現状ではかなり余裕があると言える。
「えぇ、他の場所に少し人を送った方がいいかもね」
「そうだな。避けていったこいつらは他の場所に移動しているだろうし、もう対処を始めているはずだ。けど、どこもかしこも実力者ばかりとはいかない。つっても応援が必要っていう伝令は来ていないし、とりあえずは大丈夫か?」
「全滅して伝令すらいないとかが最悪の状況ね」
「想像したくないな、それは」
アルファとエルファは普通に会話できるほどの余裕がある。
するとエルファは何かに気づく。
「アルファ、そろそろ私達も次のフェーズに移らなきゃいけないみたいよ」
危険生物の大群は次々やってくるが、段々と全体的に大群の進む方向が変わっていっていた。
これは勇者の二人に阻まれる危険生物が多いが故に、大群全体が進路を変え始めたことに起因する。
次々と阻まれて進路を変える危険生物が多い一方、一部の危険生物だけがそのまま直進する。多数派となった進路を変えていく危険生物達に後方の危険生物達が付いていくのは特におかしいことではない。
しかし、異なる種族の危険生物だらけの大群がそのように同じような行動を取るのは少しの違和感と疑問を勇者の二人に抱かせた。
「あぁ、この進路変更に合わせて俺達も動こう。だが俺達が全員移動したら正面がガラ空きになっちまうな」
「そうね。じゃあここは貴方に任せるわ。私は最前線の戦力の三割程度を連れて奴らの進路に合わせて移動する」
「了解! 頼んだぞ!」
エルファは最後に大きな土の壁を生成し、後方に下がって最前線の面々にこれからの行動について話す。
だが、多くの者が危険生物の大群の進路変更には気づいていたため、話はすぐにまとまった。
戦いの前線はルインという大規模な街であるために、街の周囲を全てカバーできている訳ではない。
どうしても空いてしまう部分に関しては予め街に入りづらくするための工夫を行なっているが、完全ではない。そういった部分の確認も定期的に行うのも作戦の一部だが、残念ながらどこもスムーズにその確認が行えている訳ではなく、確認の行き届いていない場所もできているのが実状である。
その確認も含め、そして戦闘域全体の状況を確認するためにもエルファの移動はいずれ必要になったことだろう。
そうしてエルファが移動している時、世莉架は変わらず役所の屋上から状況把握を行なっていた。また、役所の中にいる権力者達の動きも時々確認している。
(権力者達は比較的冷静に状況を見ているようだけど、やっぱりいざ戦闘が始まったら口を出す隙はないようね。それにしても、驚くべきは……)
戦闘が始まってから世莉架はとても驚いていることがあった。それは、アルファとエルファの戦闘神法である。
(なんて凄まじい……。戦闘神法を実際の戦闘で使われているところを見たのは初めてだけど、勇者レベルになるとあれほどの規模で火や土を扱うことができるのね。いや、まだまだ本気を出していない可能性もある。地球で使われるような銃火器とは違い、要は自然現象を味方につけているようなもの。使いこなせるようになれば非常に頼もしいけれど、同時に扱い方を少し誤るだけで恐ろしい結果をもたらすことができる)
本格的な戦闘神法を見たのは初めてであり、その衝撃は地球にいた世莉架にとっては非常に大きかった。
世莉架が神法を後天的に使えるようになるかどうかは不明だが、自分で使うことができれば非常に頼もしい強力な武器であり、敵に使われれば大きな脅威となる。
今後、ハーリアの状態やその他の状況にもよるが、神法を習得するための修行や鍛錬はしていく必要があるだろう。
(メリアスは残念ながらここからだと丁度建物が被って見えないわね。まぁ、とりあえずもう少し状況を見てから裏社会の組織の方に行ってみましょう)
ルインに蔓延る裏社会の組織の場所や今後について事前に探りを入れていた世莉架だが、実際に危険生物との戦闘が始まってからどうしているのかを確認したい気持ちがあった。
前線を見ている限りまだ余裕がありそうなため、役所から移動して情報収集しようと考えたのだ。
それから少しして、世莉架は状況が比較的安定していることを確認して役所からの移動を開始しようとした。
「……?」
そこで世莉架は理由を言語化するのが難しい違和感を感じた。
(これは……直感。今回のルイン攻防戦はこれで終わりじゃない。何かもっと、脅威的な存在が……)
それは、エルファが危険生物の進路変更に伴って移動を開始してから少しした時だった。
変わらず最前線で危険生物に対処しているアルファの背後から、一つの声が聞こえてきたのだ。
「まさかこの街に勇者がいるとはな。うちの諜報部隊は案外無能なのか?」
「……!?」
そこには、全く見たことのない正体不明の謎の男が立っていた。




