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家族メシ

 ウキウキしながら家に着くと、日が落ちた時刻だというのに、二階の住居の窓からは明かりが見えない。


「虎之介のやつ、思いのほか落ち込んでるみたいだな」


 せっかくからかってやろうと思ったのに、状況が変わった。

 多分、龍さんは昼寝の延長で今もなお寝てる可能性がある。


「まったく、俺がいないと何もできないんだから。美味いメシでも作ってやるか。冷蔵庫、何か残ってたかな」


 世話の焼ける子供を持つ母親の気持ちが手に取るようにわかる。いくら厄介者扱いされたとしても、やはり心配で放っておけない。落ち込んでいるときこそ、美味いメシが一番の特効薬なのだから。


 店の玄関から住居のある二階へと上り、扉を開けた瞬間だった。

 暗闇からぽうっと浮かび上がったのは、青白い男の顔で———


「……大史」

「イヤア゛ァァァァァァァァァァァァァァ!!」


 想像もしてなかった恐怖に遭遇した時、人間は防御本能によりすべての機能がシャットダウンする。そう、俺のように。


 ——— ……。


 どれくらい経ったのだろうか。気が付くと、聞き慣れた声がぼんやりと耳に入ってきた。静かに目を開けるといつもの2人がいて、俺だけがひとり床に転がっていた。


「まったく、大史は軟弱だからしょっちゅう気を失う。今回は虎のせいだぞ。せっかくの祝いが台無しではないか」

「やれって言ったのはお前だろ。しかし、こんなに驚くとは想定外だった」

「我は笑顔で迎え入れろと言ったのだ! その凶悪な顔面を整形しろぉ!」

「あぁ? お前こそ整形しろ! 年寄りのくせにかわい子ぶりやがって」


 いつもの喧嘩にほっとして溜息をつくと、俺に気付いた2人は顔を覗き込む。


「大史、気が付いたか!」

「大丈夫か? すまねぇ、オレのせいで」

「寿命が縮まったぞ。ったく、なんのつもりだよ……ん? んん!?」


 身体を起こすと、いつもの居間の風景ではないことに唖然とする。壁や天井には、三角形が連なったカラフルなガーランドと複数の風船、窓際のカーテンには『HAPPY BIRTHDAY』の文字を象ったバルーンが飾れていた。男所帯の部屋だというのに、女子会のようなファンシーさだ。


「これは一体……?」

「ぬしは自分の誕生日も忘れたのか。今日は何月何日だ?」

「……あっ!!」

「いつだったか、大史を病院に運んだことがあっただろ? その時に保険証ってやつに大史の生年月日が書いてあってな。それを覚えてたんだ。人間は誕生日を祝うって聞いたからよ。部屋の飾り付けは、てっちゃんとはーちゃん、玉藻がやってくれた」

「……」


 目まぐるしい日々に追われ、すっかり忘れていた。俺が最後に誕生日を祝ってもらったのは、祖父母が健在だった頃。大人になっても俺の誕生日には祖母がホールケーキを買って来てくれて、祖父は食べたいものを何でも作ってくれた。恥ずかしいような嬉しいような、ふとそんな感情を思い出して、懐かしさから目頭が熱くなる。


「感極まるのはまだ早いぞ、大史! テーブルを見よ!」

「えっ!? こ、これ」


 テーブルの上には、大皿にのった数々の料理が並べられていた。から揚げやエビフライなどの揚げ物、煮込みハンバーグ、巨大な肉の塊、真鯛とその他魚介の活け造り、大量の手まり寿司……そして、中央には山盛りのフルーツがのったホールケーキが異彩を放っている。


「我と虎で作ったのだ! すごいだろ!?」

「まぁ、ほぼオレが作った。ケーキは銀と蛇に手伝ってもらったんだ。龍が言うこと聞かずに果物を大量にのせるもんで、こんな成りになっちまった。大史の作るメシには及ばないけどよ、いつも世話になってるから礼みたいなもんだ」

「龍さん、虎之介ぇ……」

「それだけではないぞ! 我から大史にプレゼントがある。冷凍庫を見てみよ」


 すでに涙腺が崩壊している俺は、流れ出る涙と鼻水をそのままに、おぼつかない足で台所へ向かう。龍さんのことだから、冷凍庫の掃除でもしてくれたのだろうか。そんなことを思いながら冷凍庫を開けてみると……。


「え!?」


 そこには、俺の好きな高級カップアイスが所狭しと敷き詰められていた。


「大史はこのアイスが好きだろう? だから我は貯めていたお給金を全部使って、ぬしのために1年分のアイスを買ったのだ! 全部で365個! この冷凍に入りきらないゆえ、店の冷凍庫にも入れてあるぞ。どうだ、嬉しいか?」

「はわっ、ケチな龍さんがまさか俺のために……う゛れ゛じぃぃぃぃぃ」

「おいおい、お前そんなに不細工だったか? ほら、ティッシュ」

「ひっぐ、不細工じゃないもん゛ッ!」

「そうだな、まぁ落ち着けよ」


 宥める虎之介と、その光景を見ながらケラケラと笑う龍さん。2人の優しさが嬉しくて涙が止まらず、ボックスティッシュはあっという間に底をついた。それに、俺は龍さんを誤解していたようだ。ケチな神様だと思っていたが、俺の誕生日を知った日からお金を貯めていたのだろう。そんな健気な心意気がなにより嬉しい。


 ようやく落ち着いたところで、俺は疑問に思っていたことを問う。


「そういえば、虎之介の彼女の話は?」

「この状況でもまだわからぬのか? あれは大史を外に追いやって準備を進めるための嘘だぞ。我が考えた。しかしながら、虎は嘘が下手くそだからな。バレないかとヒヤヒヤしたのだ」


 すると、虎之介は「ふんっ」と鼻を鳴らしながら、右手の親指を自らの方向に向けてみせた。


()()()()()、わざわざ“まっちんぐあぷり”なんて使うと思うか?」


 女性が苦手なくせに、妙な自信を持っていることにイラッとする。


「虎之介、お前は現代社会に馴染んだせいで己の成り立ちを忘れたのか? お前はなぜ鬼になったんだ? うん?」

「……すまんかった」

「というか、虎之介がフラれて落ち込んでるんじゃないかと思って心配したんだぞ」


 そう言うと、吹き出した龍さんは虎之介をからかうようにバシバシと叩く。


「ぶはっ! 我も虎が女子(おなご)にフラれるところを見たい! 玉砕しろ!」

「オレは玉砕しない。そんなことより、メシ食おうぜ」


 安堵感から、つい腹の虫が鳴ってしまった。テーブルに並ぶ料理はどれも美味そうで、俺が作るよりも見栄えがいい。虎之介がしきりにスマホを構っていたのは、女の子とのやり取りではなく、料理のレシピを調べるためだったのだろう。


 正直、先を越されなかったことにほっとしている。


「改めて、大史、誕生日おめでとう」

「せいぜい長生きするがよい。我を路頭に迷わすでないぞ」

「ありがとう。毎日がこんなに楽しいのに、早死になんてしたらもったいないだろう? 何がなんでも俺は生きる!」

「いいぞ、その意気だ!」

「せめて1000年は生きるがよい」

「が、頑張る! まぁ、この話はそんなところにしといて……」


『いただきます!』


 虎之介は毎日朝食を作ってくれているので、その腕前は俺も認めている。

 が、この日のために作ってくれた料理は……。


「から揚げうまっ! 外はカリッとしてるけど、中のもも肉がめちゃくちゃ柔らかくてジューシー! それに、この柚子胡椒風味。しっかりと旨みも感じるし、下味だけじゃなく衣にもスパイスの爽やかな風味が感じられる。あぁ、ビールが飲みたい」

「さすが味の分かる男だ。もちろんビールもあるぞ! 他にも、滅多に出回らない限定焼酎と、20年ものウイスキー、地域限定の純米酒が10本と……」

「ちょ、待って。なんでそんな高そうな酒がうちにあるわけ?」


 うちには安い4リットルの焼酎ボトルを常備しているが、それも虎之介のせいですぐ空となる。そのため、高い酒はコスパが悪いのでまず買うことはない。まさか、日頃の行いを悔いて、この日のために無理をして買ったのではないだろうか。


「虎之介、そんなに散財しなくても……」

「なんのことだ? 酒は美影と団三郎から、大史への誕生日プレゼントだとよ」

「えっ、そうなの? こんなにいい酒をくれるなんて太っ腹だな」

「ちなみに、から揚げの鶏肉は玲子から、肉の塊は松さんからだ。国産牛だから素材の味を引き立たせせるために塩釜焼きにした」

「はえ~。玲子さんは相変わらずだね、嬉しいけど。さっき銭湯で松さんに会ったのに、俺には何も……ん?」


 思い出した。松さんは『あの2人のことだから、共謀して何か企んでるんじゃないか?』と言っていたが、まさかのネタバレだ。そんな言葉を冗談だと思っていた俺は、非常に鈍感なのかもしれない。


「それと、この煮込みハンバーグはデコ助から、真鯛やアジ、イサキ、貝やウニは河童からの差し入れだ。あいつ、昨日は夜通しで素潜りしてたらしいぞ。全裸で」

「ぜ、全裸かぁ。ちょっと食べづらいけど、そんなリスクを冒してまで獲ってくれたとは……悔しいけど新鮮でめちゃくちゃ美味い。万次丸さんも以前より料理が上達して。この煮込みハンバーグ、和風な餡と椎茸やエノキがいいアクセントになってるし、得意な和食をよく活かしてるよ」


 料理は味付けだけではない。

 素材を活かした調理法はもちろんのこと、作り手の心がダイレクトに反映する。テーブルに並んだこの料理たちは、まさにそれを体現したものだ。心に染みわたるこれらの味の正体は、()()()()なのではないかと思う。祖父母が俺に残した“お役目”という言葉の意味が、今になってしっくりと馴染む感覚だ。


「妖怪共はみんな大史に感謝してるんだ。自分たちの素性を知りながらも、恐れず人間同様に接してくれる。メシが美味いのはもちろん、この店のおかげで出会えた縁もある。そんな賑やかな店とお前が大好きなんだと」

「ねえ、やめてよ。俺そういうの弱いんだって」

「さながら“陽怪(ようかい)メシ屋”だな。大史が持つ陽の気に惹かれるのは人間だけではない。妖怪や神、冥界の王さえもぬしの気にあてられたのだ。まこと、愉快で奇怪なことよ」

「それ褒めてるの?」

「褒めてるぞ。お、この肉美味いな! やはり国産牛は別格なのだ!」


 口いっぱいに肉を頬張りながらそれっぽいことを言う龍さんだが、俺はイマイチ理解できていない。俺というよりも、陽気で愉快なお客のおかげで楽しい日々を送れている。そして、虎之介や龍さんがいなければ、今の自分は存在しないも同然だ。


「本当にありがとう」


 ぼそっと呟いた言葉は、恐らく2人には届いている。


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