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魔王様からは逃げられない!

 ゆうしゃはまおうからにげだした!


 しかしまわりこまれてしまった!


 まおうのこうげき――まおうはカタストロフィをとなえた!


「……やっぱりダメか」


 画面が暗転し目の前が真っ暗になる前にスマートフォンのアプリを落とした私は呟いた。


「んー? どったのさ」

「いや、魔王から逃げられなかった」

「プフッ! そりゃあそうでしょ、ボス戦からは逃げられないっしょ」


 隣に座る友人が笑ってそう言った。


「……できると思うんだがなぁ」

「いやぁ、現実問題逃がしてくれないんじゃない? 魔王なんだからさ、逃げ場を魔法で塞ぐくらいはしてくるよ、きっと」


 まあそういうものか。

 しかしどうして戦って解決しようとするのやら。


「……甚だ疑問だな」


 その疑問に友人が堪えられるはずもなかった。


 その時代にいなければ決して解するハズもない疑問だからだろうか。


 さて、私は勇者だった。


 大事なことなのでもう一度言おう。


 私は、勇者だった。




 決して年若い故の誇大妄想とか、さにあらず。

 今、こうして『ニホン』という国の高等課程の学校に通っているが、決して違う。

 そう、中二病とは違うのだ、断じて違う。


 まあそれが証明できる手段は何一つとしてない。

 私の中に在るのも記憶だけだが、それが私の本当の記憶であるかは確認のしようがない。

 記憶の発生自体、私の肥大した自意識が改竄したのかもしれないからだ。


 今日も今日とて毎日毎日往復する教室までの道のりを、学校の廊下を歩いている。

 先のように休み時間にスマホゲームをし、昼休みにカメラでとりとめのないものを撮り、下校の時間にSNSで自己を表現する人々を物珍しく眺めている。

 そんな普通の人には変わらないはずの日常も、異常が常だった自分にとっては非日常の連続である。


 それが果たしてどれほど幸福なことか。

 毎日を(つつが)なく、そしてかけがえなく過ごせるのがどれほど喜ばしいか。

 などとぼんやり頭に浮かぶ、現実か妄想かの境が曖昧な思いを耽っていると、背後から聞き慣れた友の声が聴こえた。


「アルトー! ちょっち待ってくれー!」


 アルト――私の名だ。

 そう、真崎或人(しんざきあると)――これが今の名前だ。


「どうしたノート。急がなくても私はこうして待っているぞ」

「いやいや、珍しくすぐに帰ろうとするからさ。今日は委員会ないの?」


 ノート――私の友人の名だ。

 有賀能斗(あるがのうと)――私の大切な友であり、「の」と「と」の間を間延びして呼ぶため勉強用の方眼紙に聴こえる仇名で呼んでいる。


「ああ。委細問題なく仕事が終わったから帰るだけだ」

「さっすが県内五指の優等生だな~!」

「フッ、褒めても何も出んぞ」


 口元に手を当ててクスクス笑うノート。ある意味で私に現代知識――なお間違っている可能性を多分に含んでいる――を教えたのも、両親を除けば主に彼によるものだ。いつものようにアニメとゲーム、ラノベという現代オタク三種の神器講座を受けながら昇降口へと向かう。


「そしてここでこう言ったワケよ――」

「ふむ、エモいというヤツだな」

「おぉ! 分かってきてんじゃーん!」


 会話を交わしながらぼんやりと、記憶の中に在る過去のことが過ぎる。最近になっては日常が非日常を溶かしてくれてるからか、ふとした時に頭に浮かぶことが増えた。


 ぼんやりしてるはずなのにやけに鮮明な、自分が死んだ時の瞬間だ。

 

 今際の際に目を一度閉じると昔の世界を手放していた。

 次に目を開けば瞬く間に知らぬ世界へ居た。

 気付いた時には赤子として生を得ていた。


 こちらの小説や漫画でいうところ、所謂『異世界転生』というものらしい。しかしその手の作品お約束の、生前にあったような特殊な力も今は無い。勇者だった時分と比べるまでもない程に身体能力もめっきり衰えている。

 改めて言うが、私が勇者だった確証は無い。薄々私も自認しつつあるが、この記憶が私の成長過程においての不具合により生まれた、言わば『存在しない異世界の物語』やもしれない。


「……だとしても、いいものに変わりない」


 思いふけるように言った私をノートが不思議そうに見る。


「へ? なにが?」

「さて、なんだろうな。ノートと(つつが)なく日常を過ごせることだろうかな」

「な、なんだそれ……よ、よせやい! へへへ……」


 ノートは気恥ずかしさに悶えたような笑みを浮かべる。誤魔化しにとってつけた一言をウソとは言わないが、転生したこの世界……いやはや素晴らしいものだ。


 清潔安全でごく一部の例外を除けば飢えとは無縁な程度に豊かな世界。自分が望み、学び、努力することを惜しまねば、己の願いを叶えることができる環境。私の生きる世界の中で強いて害となるものは、自らを取り巻く社会や人々との摩擦くらいだが、それすらも心地よく感じる。


 私が殺された世界に比べれば、よっぽど生ぬるい痛みだ。


 私には友が居る。

 肩肘を張らずに互いの悩みを打ち明けられる、大事な友達だ。


 私には親が居る。

 背筋を伸ばさずに裏の無い愛情を与えてくれる、大事な父母だ。


 生前に手に入れたものは、暗い虚無だった。

 最後には塵と消える無価値な名声に、勇者という魔王を滅ぼすためだけに与えられた無意味な称号に、平穏と静寂を渇望した私が望まない能力。


 生まれ変わって手に入れたものは、明るい幸福だった。

 好きなことを学べる有意義な時間に、親や友たちとの暖かな団らんに、狂騒と騒乱を忌避した私が望んだ無力。


 私はこの世界のちっぽけな存在でもいい。

 百かそこらの年月の中で私は誰かを愛し、世界のどこかで骨を埋めるだろう。

 時には傷付き、傷付けられることもあるだろうが、それもまた愛おしい。


 望まぬ死地を乗り越えた神の思し召しを享受できるだけでも幸福だと思える。たとえ記憶の残滓に思い悩んでいようと。


「んでさぁ――ってアルトー?」

「む……? ああ。どうした?」

「いやさ、急に反応が鈍くなったもんでさ。感度低下したもんかと思って」


 心配そうに顔を覗き込んでくるノートに、私は問題ないと笑んでみせる。会話の内容が朧気になっていたが、会話として成立はしていたようだ。ふるふると頭を振って下駄箱に手をかける。


「……ん? これは……」


 上履きから土足へと履き替えるために下駄箱を開けると、真白いメッセージカードが入っていた。取り出すと、隣で靴を履き替えていたノートの方が何故か驚いた声を出す。


「おまっ……アルト! それってもしや……!?」

「手紙だな。だが差出人の宛名と住所も書いていない。切手も押印もなされていない。そもそもポストにも入っていないが――」

「そうじゃないだろぉ!? ラブレターだよ! ラ・ブ・レ・タァーッ!」

「……ほう、興味深い」

「興味深いってお前なぁ……僕なんて一度も……っていうか僕の知る限りじゃそうそう貰えないもんなんだぞ!?」


 ぐぬぬ、とむくれるノート。ああは言ったものの、この手紙の重要性くらい私にも理解できる。丁寧に開封して中を見ると、桜模様の便箋にたった一行だけ書かれていた。


「ふむ。放課後校舎裏へ、か」

「くっそー……学生のラブレターのテンプレじゃんそれ。一昔前のやり口でも羨ましいなぁ」

「愛を囁くのに今昔は関係ないものだ」

「急に詩人みたいになんな!」


 突っかかるノートへの応対としては不正解だったようだ。


「む、ノート? 一緒に帰るんじゃなかったのか?」

「うるへーやい! お前が告白されてるのを待ってなんてられっかい! 僕は帰ってご飯食べてアニメ見て寝るんだい!」


 割と本気なトーンで言い返され、私も寄る辺ない気持ちになる。


「後で顛末教えろよー!」


 ――結局気になっているじゃないか。


 と言うと面倒そうなので口に出さないでおこう。祝福してくれているのかそうでないのか、判別し難い台詞と共に帰った友人を見送り、私は校舎裏へと足を運ぶ。


 正直な所、我ながら気持ち悪い笑みが零れそうなくらいに嬉しい。心臓が破裂しそうなくらいに拍動している。なぜなら、勇者の肩書があった過去と、それが無くなった現在の中で、私は女性との交際経験が一切無かったからだ。


 「英雄色を好む」という故事の例には私は当てはまらなかったようだ。勇者だったであろう私には、せせこましい世間体とやらが思いの外束縛となっていた。立場とは恐ろしいものよと今でも思う。


 敢えて四分ほどそこいらをうろついて時間をつぶしてから目的地へ辿り着いた時には、誰も居ない。


 一瞬誰かの気配を感じたような気がしたが、それも恐らく自分の気のせいだろう。気配を鋭敏に感じ取る能力は一切合切忘れ去っている。誰の差し金かは知らないがまんまと嵌められたのだろうか。

 途端に急速下降していくテンションを辛うじてノートへの笑い話にしようと、私は持ち得る最大限の精神力で諦めを付ける。女々しくこの場で待ち続けることが吉か凶かは分からない。


 気持ちに整理を付け、さっさとこの場から立ち去ろうとした。


 その時だった。


「ようやっと見つけたぞ――アルフォンス(・・・・・・)


 アルフォンス――今はこの場に居ず、そしてニホンの人間とは程遠い片仮名の羅列。


 私はそれを覚えている。


 いや、忘れることなどできない。


 反射的に声の主の方向へと顔を向けた。


 そこに居たのは、一人の少女。


「お前――いや、君は……!」

「嗚呼、嗚呼! やはりお前は覚えていてくれて……否、そうであろうそうであろう! 忘れられるはずのない体験を、経験を、お前にくれてやったのは他ならぬこの吾! 寧ろ忘れるなど赦し難い、度し難いことよ!」


 どこどこまでも人聞き悪い物言いだ。


 あながち間違っていないことを否定できないと、私の記憶が物語っているのがやや憎い。


 目の前の少女は平均的な女性の身長よりも明らかに小さく、少女と言い表すのが妥当だ。しかし、身にまとっている妖艶な雰囲気から幼さは感じられない。腰まで届く煌めく白銀の髪。鮮血のように深い紅の瞳。微かに笑むと姿を現す鋭い犬歯……そして、側頭部より生えた人間のものとは思えない一対の漆黒の角。


 この世界の黒のロングスカートと白のコルセットを併用した長袖の上着は、この世界特有と言って差し支えないであろう所謂ゴシックロリータチックな風貌だ。が、それも私の世界では貴人の令嬢が似た服装をしているので見慣れている。


 居丈高に、自信に満ちた声色で、私へと歩み寄るのは――。


「さあさあさあ! くだらない世界の崩壊から幾星霜……この奇跡の再会を祝し、感動に浸ろうぞ! アルフォンス・フェイト!」

「イヴリース……アルスノヴァ……!」


 魔王『イヴリース・アルスノヴァ』――勇者『アルフォンス・フェイト』だった自分の不倶戴天の宿敵……になるはずだった、唯一無二の親友であった。




 再開の喜びとは裏腹に、なぜか湧き上がる恐怖感から体中の産毛がやにわに逆立ち始める。


「アル、何をそう固まっている? ほれ、ちこう寄れ。久しぶりの再会なのだ、熱く抱擁を交わそうではないか?」


 アル――と、親し気に過去の愛称で呼ぶも、私の体はイヴリースから遠ざかりたがっている。


 精緻な陶磁器を思わせる白い肌に不釣り合いな、深紅より更に濃く深い紅の瞳に私の狼狽が映っている。ややも人形にすら近しい非現実的な美しさと、愛らしい少女の外見だが、中身は邪知暴虐の魔王そのもの。剣術、武術、魔法と、勇者らしい異世界学問を履修していた時分でさえ、初見で足が竦んだほどの威圧感を今なお感じるのが恐ろしい。


「どうしたほれほれ、吾はこうしてここに居るのだぞ? はようぎゅっとせんか。ぎゅうーっと」


 待ち遠しそうに、目を輝かせて、イヴリースは抱擁を要求する。


「いや、そもそもおかしいんだ……何故君が……イヴリース・アルスノヴァが此処に――」

「イヴ、だ」

「え?」

「イヴ、だ。此処は吾が城でもなく、ましてや配下やお主が庇護していた王族や民衆はいない。吾らの仲だのに今更他人行儀な呼び方をするのは、朋友に対する態度として礼節を欠いているのではないか?」

「あ、ああ。すまない――ええと、イヴ」

「それでよいのだ! んふふふ……アル、さあさあさあ!」


 出会えたことがさぞかし嬉しいのだろう。愛称で呼び返され喜色満面のイヴリースは、両手を広げて私を迎え入れようと待ち構えている。


 気取られないようにそっと後ずさり。


「抱擁を交わすには距離を取っては意味が無かろう?」


 容易く気取られる。


 当たり前だが様々な能力を失っている私はそもそも肉体が貧弱だ。技術についてもそれを扱う土台が練度不足で使い物にならない。音無く瞬時に距離を取りあたかも消えたように錯覚させる歩法も、今では慄いて下がっただけに見えるだけだ。


 観念するしかないだろう。抱擁を交わすことが嫌ではないが、それよりも大事なことがある。


「……聞かせてほしいことがある」

「む……何をだ?」


 心待ちにしていた分、遮ったことに露骨に嫌がっているが、確かめずにはいられない。


「君はどうやって『死んだはずの私が居る世界』へ来れたのだ?」


 先ほどから疑わしいと思っていたのは、彼女はどうやってこの地へと降り立ったのか。イヴリースの持つ力は強大だが、生まれ変わった者を探すような使い方はできない。なにせ破壊殺傷において他に並ぶ者無し、という力だからだ。如何様に強大な力を持っていたとして、果たして時空を超越することができるのか?


 そもそも何故今の私……生まれ変わった私を見つけ出せたのか。性別はまだしも姿は全くの別人だ。自分ながら面影が残っているとは言い難い。眼も髪も肌の色も、背も体つきも、何もかもが違う。


 だのに、私と同じく転生してきた魔王――イヴは私を見つけ出した。


 至極真っ当な問いに対し、彼女はとんでもない答えを口にした。


「『滅ぼしてきた』のだ」

「……は?」

「滅ぼしたのだ。お主が居ない世界など必要なかろうてからな」

「……答えになってないと思うが?」


 答えになっていなかったが、見た目にそぐわない邪悪な笑みには、確かな事実が内包されている。彼女には容易くできると、私は知っている。

 しかし世界一つを滅ぼせば対象の元へ転生できるなど、この世の現実では有り得ない力の所為だとしても些か不条理に感じる。


 滅多なことでは驚かない質だが、続けざまの言葉に唖然とせざるを得なかった。


「滅ぼした世界の生命を贄として世界を超える魔力にした。吾の力にも限界があるし、吾が力を斯様な手段で行使するのは初めてだったのもあるか。フフフ、やはりお主にはそれだけの価値……いや、吾が想定を超すだけの価値があったという証左よ!」


 「おいおいちょっと待つんだ」と言いかけた。


「配下は勿論反対したがの。たかが勇者の肩書を持っただけの一人間如きに統一寸前の世界を贄になど、とな」


 「そりゃあそうだろ」と喉から出かけた。


「だから全員贄とした。配下も、臣民も、お主を裏切った『王国』の連中も、何もかもをな」


 「そりゃあないだろ」と口が滑りそうだった。


「吾には、力と権力に目がくらんで近寄ってきた塵葛(ごみくず)よりも大事な者だからな」


 ……正直ツッコむ気力も失せ果てた。


 あまりに突拍子の無い話に酷い頭痛がする気分だ。よもや、私如きに世界一つの命運などと。そして塵葛呼ばわりされた配下たちには深く深く同情するばかりだ。大切にされていると言えば聞こえはいいが、これでは友人どころか執着された所有物というか……素直に喜ぶ気になれなかった。


 私が返答に窮していると、音も無く近寄ったイヴが顔を覗き込む。


「それに――どうやら勘違いしているようだ」

「……どういう意味だ?」


 後頭部を引っ掴まれて額がくっつきそうなまでに引き寄せられる。私たちは文字通り子供と大人並の身長差があるが、妙な色香と甘い吐息に心臓が跳ね上がった。


「例え世界を跨いでいようと、一度生命の繋がりが世界と途絶えたのであろうと、別の姿成り立ちに為ろうと……この魔王様から逃げられはしないのだ」


 ゾクリと、背筋を仄暗い気配がなぞる。


 抜き身の鋭い刃を動脈に据えられているようだが、その刃は精巧美麗な芸術品ときたものだ。まるで命を取られるのが待ち遠しく、自ら望んで首を差し出している気分になる。


 紅潮した私へ追い打ちをかけるように、力強く抱き締めて胸に顔を埋めたイヴは、微かに震えていた。


「誰よりも何よりも大事なアルフォンス……アル、お主を吾が見間違うハズが無かろう……大馬鹿者め」


 お前を間違えるハズがない――抱擁と言葉こそが最後に残していた疑問を解いた。


 胸に小さな顔をくっつけていたイヴは、くんくんと犬のように匂いを嗅いでいる。


「落ち着いたか?」

「ん、すまんな。お主の匂いを嗅いでたら何やら懐かしい気持ちになってな」

「……そうか」


 改めて感想を述べられると恥ずかしい。私の胸の内を堪能しきったイヴが顔を上げ、目を見合わせ、笑みを交わす。


 校舎裏にいつまでも突っ立っているのは不自然なので、私はイヴの手を引きひび割れた校舎の壁際に座り込む。あぐらの上に無造作に座る彼女の重さを感じる。学生であろうとなかろうとその光景は言うまでも無く十分不自然だ。


「そろそろ本題に入ってもいいか?」

「む、こちらとて聞きたいことは山ほどだが……まあ良かろうて。どんどん聞くとよい」

「イヴは転生した私……今の私に出会った時「私のことをようやく見つけた」と言っていただろう」

「ああそうだな」

「つまり君は何度か私が居ない世界へと行ったんだ。そして居ないと分かると世界から脱出し、再び他の世界に渡った。これを繰り返し、今の私が居るこの世に降り立った」


 ぶっつけ本番の一発で私と出会えたとは思ってない。死んだ私が生まれ変わったこの世界があるのなら、死ぬ前の私が紡いでただろう人も同様に転生しているはずだ。


 ……もし、無数に異世界があればの話だが。

 願わくばその滅ぼされた人たちが皆異なった世界に転生してほしいものだ。

 私に怨嗟を抱いて死んだ人たちが背後に立っている光景は想像したくない。

 

「……ともかく君はいくつもの世界を渡り、見てきたと推測できる。とはいえ異世界の存在証明は私にはできないし、こうして君と直で会わねば非現実的と両断しているところだったろうがね」

「ふむ、ご明察だと言っておこうか。さすがは人界の勇者……だったアルよな」

「過去形であるのは間違いないな」


 推理する私に楽しそうに拍手するイヴは嘘をついていないはずだ。彼女はつまらない嘘は付かないし、仮に嘘だとしても正味大差は無い。


「問題はどうやってこちらの世界に渡ってきたかなのだが……私の記憶では君の魔法は……その、攻撃専門だろう?」

「……そこよなぁ。しかしできてしまったのだ、私の魔法でな。お主すら理外無法と言うだろう方法を使ったからのぅ……信じてくれるか怪しいものよ」


 珍しく自信がない。しおらしいイヴはどうも似合わない。そしてまた恐ろしい話題に触れたものだと、私は軽く青ざめそうになる。彼女が得意とする魔法はどれも破壊のために行使するものばかり。とりわけ最も彼女が得意とする魔法に関しては、魔法の領域を突き抜けた神の御業と例えられる凄絶なものだ。


「……『完全破壊(カタストロフィ)』か」

「そう、それじゃ。お主に見せたのは一度きりだったかの?」


 『完全破壊(カタストロフィ)』――文字通りありとあらゆる物体を『破壊』する魔法であり、一切の防御や魔法、術式の類を無効貫通して破壊を遂行してしまう。名は体を表す格好の例だ。


「その一度目が衝撃過ぎてな。ばっちり目に焼き付いているよ」

「それはそれは嬉しいことじゃ。吾が魔法、見た者は大抵消滅しておるからな」


 行使された対象は文字通り木っ端微塵に爆発四散し、『完全破壊(カタストロフィ)』されていた。悲しきかな、遺族に明け渡す遺体が欠片も残らなかったのは赤の他人ながら同情を隠せなかったし、友人ながら酷なことをしでかしたなと憤りも感じた。口に出せなかったのが殊更口惜しいことだが。


「それで、肝心の方法なのだが……君がそこまで自信なさげなのも珍しいが、理外無法とは?」


 常に自信満々で、殊に我儘奔放で、偏に自己優先。

 できることは自分でやらねば、やってみなければ、結果を見なければ気が済まず。

 『破壊』に関しては万象に対して力が及び、あらゆる物質を破壊し尽くしたと以前聞いたことがある。

 射程距離も及ぶ効果も本人から耳が痛くなるほど聞いたことだ。


 さて、そんな魔法をどのように使えば世界を渡れることかと聞いてみたものだが――。


「先ずこの力で『世界を破壊』したのだ」

「……ん?」

「破壊した世界の命を贄とし、二度目の能力行使で『世界の隔たりを崩壊』させ、『別の世界へ行く』じゃろ」

「ちょっと待て」

「後はお主を探して、お主が居なかったら『世界を壊して』……それを繰り返してきたのだ」

「だから待ってくれ! 理解が追い付かない!」


 世界を破壊し、命を贄とし、世界の隔たりを崩壊させた。


 私はたった三行のイヴの台詞でひどく混乱していた。


 まるで意味が分からない。

 てんで脳が処理しきれない。

 やがて思考が定まることもない。


 私と彼女の倫理や道理の差があるとて外道も無法を通り越していた。


 どれだけの命を贄としたのだ。

 どれだけの星を無に帰したのだ。

 どれだけの理を踏みにじったのだ。


 私のそんな追及に、にべもなく答える。


「そうよなぁ、たしか六つくらいだったろうかの。ま、支配する土地を手始めにぶっ飛ばしたのだ。このくらい些事に過ぎんだろう?」

「大事が過ぎるだろうが!」

「お主と世界と比べれば、言うまでもなかろうて」

「言うまでもあるわ!」


 私は声を荒げる。この世界の人口も今や八十億人を超えた。渡った世界にも地形の規模にも発展の模様にもよるだろう。人口の大小は幾何か今世とは違うだろう。場合によっては人に定義すべき様相をしているかも定かではないだろう。


 それでもイヴが滅ぼしてきた世界には。きっと、おそらく、いや確実に。最低でも一万は下らない命が生きていたはずだ。知性があり、理性があり、社会を営んでいるであろう、おそらくはヒトが、だ。


 それを私のために滅ぼした?


 愛が重いなどと安っぽい言葉では言い表せない。


 たった一人の誰かのために滅ぼした?


 不実が過ぎると断じても到底足りない。


 敵のはずの勇者のために滅ぼした?


 敵だったはずの魔王が言うには何とも滑稽極まりない。


 世界をまるごと破壊の魔法で消し去った挙句、同時に世界と世界の壁とでも言うものを破壊し侵入する。

 侵入した世界に私が居なければ再び世界を破壊し、散り逝った命を魔法のリソースとする。

 私が居ない世界を破壊し、命を代償に魔法を発動し、時空の壁を破壊し、別の世界へ渡る。


 これを繰り返して『私の居る世界』へと辿り着いた――。


「な? やはり荒唐無稽よなぁ……吾もこんな使い方ができるとは思っとらんかったしのぉ……」


 正に魔王の所業っぷりに凍り付いて動けずいた私にもたれ、心地よさそうに黄昏ているイヴ。己が行為に己自ら困惑しているのだが、正直私は心底ゾッとしていた。


「アルよ。お主はそれを悪と断ずるか?」

「……客観的に言うなら、まあそうだろう。大逆とも言えような」

「主観ならばどうだ?」

「……その……ええと……」


 ――嬉しい限りだ。


 とは言えずにいた。


「アル。お主は吾のかけがえのない宝物なのだ。終生の友は誰しもが手にするものではない。吾らのような立場なら一等得ることは難しかろうて」


 イヴが体の前に腕を回すよう引っ張ってくる。普段は低めの体温がやけに高く感じる。


「傍に寄り添い、苦楽を共にし、助け合う。そのような者は、こうして背を安心して預けられるような者は、お主が初めてだった」


 まんじりともせず体温を受け入れていると、急にイヴが爪を立て私の腕に食い込ませる。鋭い痛みにわずかに怯んでいると、イヴは体の内側でくるりと向きを変えた。


「それが……好きになった者なら尚更だ。もう手放したくないのだ」


 私の顔を見上げるイヴの小さな体から、薄ら微笑んだ表情から、沸き上がる何かを押し留めようとする圧迫感を受ける。少女の身体から確かに感じられる魔王の覇気は、やはりどう取り繕おうと変わらぬらしく――。


「ああ、もう離さない。離してなるものか。次この手からお主が零れ落ちてしまったならば、アルが傷付き、死にでもしたのならば、怖ろしくて怖ろしくてたまらぬのだ」


 そしてそのまま。唇に、唇を重ねられる。


 長く、長く、口づけを交わす。

 永く、永く、交わらなかった日を埋めるよう。


 名残惜しそうに離れたイヴは、とろんとした目付きのままお互いの額をくっつけた。


「しかし案ずるな。もうアルを傷付け、貶め、辱める者は居ない。この世界に二度と現れるはずもない。次が訪れることもない」


 イヴの瞳にただならぬ悪意が帯びる。

 身に纏う気配に(おびただ)しい邪気が宿る。

 牙を露わに笑む少女の表情に邪悪が満ちる。


「そんなモノは、吾が全て破壊してやる」


 私は頷いた。頷かなければならなかった。


 本当にこの少女は、魔王イヴは、私のためと全てを壊すだろう。

 ひとたび私に危害を加える者が現れれば、誰であろうと殺すだろう。

 仮に世界が敵となれば、終ぞこの世界まで滅ぼすだろう。


 見たことがあるから笑えない。


 イヴの魔法を初めて目にしたのはいつだったか。

 勇者と魔王の一騎打ちの時か――否、私を多少邪険に扱った臣下の処刑に際してだ。

 功労も忠誠も関係なく、私を害しただけで裁きの鉄槌は下された。


 ならば私も覚悟して、甘んじて受け入れる他ないだろう。

 魔王様の、イヴリース・アルスノヴァのかなり歪んだ寵愛の元、異世界での新たな暮らしを。

 ……というか、そうでもしなければこの世界がどうなるか分かったもんじゃない。


「なあ、アルよ。今度は居なくならないでおくれよ? さしもの吾とて、世界の果てや異なる世界では見つけるに苦労するものよ」

「……お手数かけまして。ちなみに、分かり切ったことを聞くようだが、今後はどうするつもりなんだ?」

「くだらないことを。アルと一緒だ」


 さも当然のように言い切ると、最後にまた魔王らしく悪魔的に笑んでみせた。


「吾とアルは一緒だ。終焉が訪れるならば、その終焉すらも壊してしまおう。そして創ろう。吾らの輝かしい未来を、魔王と勇者の王朝を」


 なるほど、私はどうやら魔王様からは逃げられないようだ。

 世界を超えてまで私の前に回り込んでくる魔王から逃げる手段、か。

 そんなものがあるならどうか誰か教えてほしいものだ。


「……だが、存外悪いものではないな」

「む? なにがだ?」

「聞き流してくれ。……敬愛せし友よ。あるいは、数奇な巡り合わせの元再会した運命の人」

「むふふ……むふふふふ! 愛いやつめぇ!」


 アルフォンス・フェイト改め真崎或斗。


「ではまずは婚約だな、吾が婿アルよ! 魔王イヴリース・アルスノヴァの伴侶として、今ここに契りを交わそうぞ!」

「相分かった。我が名、真崎或人の名において、婚約の契りを受けよう」


 元勇者改め魔王の婿として異世界、ニホンで生きていこう。


「良し! さあ帰ろうぞ、アル! 吾らが閨が甘い蜜月を待っている! 記念日にして祝祭日の初夜がな!」

「ああ、帰ろう……ん?」


 ――何処に帰る? 甘い蜜月? 初夜?


 ……まあ、後はなるようになるさ。

最後までお読みいただきありがとうございました。


どうも作者のいざなぎみことです。


しかし短編って何文字からなんでしょうね?

と思って調べたら原稿用紙10~80枚くらいが一般的らしいですね。

ショートショートとか掌編とか読みすぎていざ短編を書くとなると、盛り込みたいものが多すぎてこまってしまいます。


さて、この作品は公募用に拵えた短編ですが、見たことがある方がおりましたら幸いです。

以前執筆しようと中折れ状態にしてしまいそうだったシリーズを再編したものですが、タイトル含めかなり気に入ってます。


昔から「特別逃げ道を封鎖されてなかったら一旦魔王から逃げる手段があってもいいと思うんだけど」とRPGものをやりながら思ってた人間です。

まあこんな魔王なら逃げれなくても仕方ないと思いますね。ちなみにですが仮にアルトくんも魔王の前から尻尾巻いて逃げていたら『完全破壊』されてたでしょうね。


後書きをしばらくぶりにこんな長々書きましたが、これにてお仕舞です。

ではではまた別の作品で。

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