あなたの魔法
遙か遙か遠い昔、人類は、正しく想いを伝え合う“共通言語”を持っていた。
だけど人は、その“当たり前”が持つ価値を知ることはなく、やがて欲望のままに神の座を目指した。
その傲慢は神の怒りを招き、結果、人はその“共通言語”を失った。
そして――“共通言語”とは、“魔法”でもあった。
確かに、そして、当たり前に存在したはずの魔法。
それを失った人類の末裔、それが、わたしたちだった。
――でも。それは本当に、完全に失われてしまったものなのか?
私たちは“魔法”という概念を知っている。
小説の中に、ゲームの中に、様々な物語の中に、それは描かれている。
本当に“失われた”ものならば、想像すらできないものじゃないの?
この“世界”が、辻褄合わせのために、地球の誕生の歴史すら改竄しても。
魔法は確かに存在したことが、私たちの中に深く刻み込まれているからこそ。人の意識の届かない魂の奥底に、だけど確かにそれを“知っている”からこそ、それは描かれるのじゃないの?
だからきっと、“魔法”は、完全に失われてはいなかった。
そしてそれはときに、誰かの中にひっそりと、遙か遙か長い時間を隔てた先祖返りを起こす。
私はそれを知っている。
――だって、出逢ったのだから。
私が“彼女”に出逢ったのは、高校入学の日。
例えばそれは、白馬の王子様に愛されるお姫様。
“女の子”の見る、淡い夢。
“ヒロイン”でありたい、幼い願望。
まだ世界が夢色に輝いていた頃、私もまた“特別”な自分を夢見てた。
私にとってのそれは――“魔法少女”。
もう一人の“特別”である素敵な相棒と一緒に、不思議な生き物から魔法の力をもらって。
戦って、笑って、泣いて、喧嘩して。でも、最後には誰よりも強い絆で勝利をつかむ。
画面の向こうの世界に、楽しくて、悲しくて、ドキドキしていた。
そして私も、空想の中で自由に、強くてかわいい魔法少女だった。
――でも、あの頃の記憶はもう遠く、ようやく見つけた記憶の断片は、手に取って眺めても、そこに恥ずかしさも覚えないほど、小さな欠片。
そのはずだったのに。
彼女を一目見て、私の中に沸き上がったのは、そんな、幼い頃の想いだった。
いつか私も出逢うと夢見た“特別”な、ただひとり。
それが彼女だと、信じられた。
彼女以外の誰でもないのだと、私の心が叫んでいた。
だけど。
私はもう、あの頃のように無垢な幼子ではなくて。
だから。
この気持ちが、“恋”と呼ばれるものだと、知っていた。
――ううん。
初めて知ったこの気持ちが“恋”なんだって、わかった。
その、風に柔らかく踊る黒髪も。
その、鋭いようでいてどこか優しいまなざしも。
その、楚々としたスタイルやふるまいも。
その、魅惑的な口から紡がれるメゾソプラノの響きも。
自分と比較しても羨望や嫉妬は欠片すら生まれないほどに、ただ美しいと感じられる。
その美しさは、私のすべてを委ねてしまいたいほどに、魅惑的で、蠱惑的で。
――あなたが、わたしの、運命の人。
だけど当然、そんな恥ずかしい言葉を伝えられるはずもなく。
それどころか、彼女を目の前にすれば、ただ挨拶をするのがやっとなほどに、胸の内はときめいて。
ただ遠くから見つめる――それが私の初恋なんだって、思ってた。
きっかけは、一冊の文庫本。
私が席を離れたとき机に置いたままにしていたそれを、私が戻ったとき、彼女が、私の机で読んでいた。
ただ本を読むその姿すら美しく、一瞬、見惚れ、呆けた。
脳が事実を理解して、心臓が騒ぎ出す。
慌てて机へ向かって……私はどう声をかけたのだろう?
もしかしたら、私に気付いた彼女の方から声をかけてくれたのかも知れない。
――そんな、曖昧な記憶の中で、ただ一つ。
ただ一つ覚えているのは、私もこの人の作品好きだから嬉しい、と笑う、無垢で清廉な笑顔の美しさだけ。
だけどそれから、彼女はことあるごとに私に話しかけてくれて。
私も少しずつ、少しずつ、その、友人としての距離感に慣れていった。
――でも。
友人として過ごす日々。一緒にいられることに、幸せを疑うこともない日々。
だけど私の恋心は、その幸せを、痛みにも変えてしまう。
何度、あの美しい髪に指を伸ばそうとしただろう?
何度、あの唇に重ねたいと欲望しただろう?
何度、この想いを言葉にしようと思ったろう?
だけどそれは叶わない。
だってそうでしょう?
そのせいで、今の関係が変わってしまったら。
――そう、たとえ、たとえその変化が、私の想いの成就だとしても。
そこに私は、幸せだけを感じられるだろうか?
――きっとそうじゃない。
彼女に釣り合える自分である自信がなくて。だから、周囲の視線、周囲の評価を気にしてしまう。
ましてや同性だから。きっと周りにあるのは理解だけじゃなくて。それでも私は彼女に、それ以上のものをあげられるの?
――できるなんて思えない。私にできるわけがない。
そんなの、私にとって、魔法を使うようなものだ。
――お姫様は魔女の魔法で幸せに暮らしました、めでたしめでたし。
それは、おとぎ話。
幼さだけに許された、夢の話。
――だから、今のままで良い。今のままが、良い。
時間が、この痛みにさえ私を慣らせてくれますように。
そんなささやかな祈りの中で、日々は過ぎて。
いつかはきっと、その祈りも届くだろう。
――なのに。それなのに。
「あなたが、好き」
ほら。
あなたのたった一言が、私を、もうどうしようもないくらい雁字搦めに縛り付ける。
私の世界を全て、ひっくり返してしまう。
なのにそれは、これ以上なく、嬉しくて、優しくて。
だから、どんな不安や恐怖を抱えていたって、縋らずにはいられない。
それが、とても美しく、とても残酷な、彼女の魔法だった。
短いものとはいえ、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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それでは。後書きまで目を通していただいて、ありがとうございました。