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お子ちゃん先生  作者: いけも
7/12

⑦親分とお子ちゃん先生

「早う飯にせえや」

 車椅子を自走し、怒鳴りながら食堂に突き進むのは“親分”こと、川崎満である。背中、腕には天にも昇るような龍の入れ墨。見事である。

 親分は「自分はやくざだ」と恥ずかしがることなく自慢している。年齢は七十二歳、交通事故による高次機能障害から認知症を発症した。

 高次機能障害は、脳の損傷により次のような症状が出てくる。新しい出来事を覚えられない注意障害、二つの事を同時に行うと混乱してしまう遂行機能障害。興奮する、暴力を振るうという社会的行動障害。

 親分はこの症状が全部当てはまる利用者である。食に対しても執着しているところがあり、食べ終わってもすぐに「飯にせえやっ」と、食べた事も忘れて大声を出してしまう。

「晩御飯は五時やけん、時間になったら声をかけるけんな」

 説明しても納得しない。時計をじっと見ている。時計を見ても、今何時なのか分からない。時計の秒針が五になると「五時になった、早う飯にせえ」と大声を出す。三十分程時計を見続けているのである。


 ある日、お子ちゃん先生はやくざだった頃の事を親分に聞いてみた。

「やくざ言うて、何の稼ぎでまんま食べよったが。的屋でもしよったが?」

「バカぬかすな、的屋は下っ端よ。わしは賭博で食いよった」

「何の賭博をしよったが?」

「花札と野球賭博よ」

「負けた時はなかったが?」

「負けた、負けた。ほやけん、恐喝しよったがよ」

「刑務所に入った事はあるん?」

「ブタ箱かぁ、三回は入ったわい。全部で20年くらい入っとったの。ブタ箱に入らんと上にはならんけんの」

「刑務所のご飯はどうやった?」

「まずうて食えるか。正月だけはの、折が出よったの、その時はましなまんまよ」

 食の執着は、ここから来ているのではなかろうかと、お子ちゃん先生はふと思った。

「刑務所の中では何をしよったが?」

「ミシンよ。ミシンで縫物をしよったい。わしは班長やったけん、命令して座っとったい」

 得意気に話す。

「奥さんは元気なん?」と聞くと、

「嫁かぁ。いけない。わしがパクられた時に男と逃げてしもうたわい。嫁はべっぴんやったぞい。日本中探しても、あがいなべっぴんはお目にかかれん。息子がそっくりよ」

 その息子が一週間に一回、おやつを持って面会に来るのだが、体型は横綱、顔は丸々した強面の某お笑い芸人にそっくりである。父親には全く似ていない。母親似となると、お子ちゃん先生には奥さんの顔が全く想像出来なかった。


 親分は両手の人差し指、中指、薬指を第二関節から落としている。

 理由を聞くと「悪さしたがよ」の一言。

「痛うなかったが?」と聞くと、

「これかあ、痛かったい。痛いちゅうもんじゃなかったぞ、初めて落とした時は生やったけんの。まぁこれは死ぬかと思うたわい。うずく、うずくわ。死んだ方がましやった」

 と顔をしかめた。

「次、落とした時も痛かったやろ?」

「痛うなかったぞ」

「えっ、なんで?」

「ずるしたがよ」

 お子ちゃん先生は考えた。考えたが皆目見当がつかない。

「親分、教えてや」

「誰にも言うなよ。息子にも絶対言うなよ。簡単な事よ。やぶ医者に兼ね握らせて、落とす30分前に麻酔してもろたんよ」

 お子ちゃん先生は、親分のずるさに頭が下がった。

 

 親分はお子ちゃん先生の事を“アネさん”と呼ぶ。それで聞いてみた。

「親分、なんで私の事アネサン言うて呼ぶが?」

「アネさんは肝が据わっとる。初めてよ、こがいな女。わしに向かって意見するがやけん、怖いわい」

 確かに、他の職員が注意しても言う事を聞かないが、お子ちゃん先生の言う事は聞くのである。

「アネさんが男やったら、ええやくざになっとたかもしれんの」

 この言葉でお子ちゃん先生はある事を思い出した。

 家族旅行をした時の事である。

 長男が十一歳、長女が三歳。ホテルに宿泊した時の事。ホテルに着きエレベーターを降りると、何と体中に入れ墨を入れた男たちがを廊下のあちこちに横たわっているではないか。お子ちゃん先生家族が宿泊する部屋までその廊下を通らなければならない。

 お子ちゃん先生は、その“桜御一行様”の若衆を相手にこう言った。

「ここはホテルの廊下です。あなたたちをまたいで行かないといけません。私たちの部屋まで行く事ができません。どいてください」

 夫がお子ちゃん先生の腕をつかんだ。しかし、遅かった。若衆の横で寝そべっていたヤンキー娘が言った。

「おばちゃん、よけて通ったらええやん。おばちゃんの廊下違うで」

 お子ちゃん先生はきれた。三十半ばの自分をおばちゃん呼ばわりしたのだ。

「通れんけん言いよるがやろ。廊下の真ん中に寝そべって、人の迷惑を考えなさいや」

 すると、ヤンキー娘の横で寝そべっていた男がひょこっと立ち上がった。正直、お子ちゃん先生は固まった。

「あのな、おばちゃん、よけて通ったらええやんけ」

 その時、怖さをこらえていた長女が大声で泣き始めた。すると、奥の部屋から、厚化粧の女性が出てきた。

「あんた、どないしたん?」

 若衆の一人が「何もしてへんのに、このおばちゃん文句言いよりますねん」と答えた。

 その女性は長女に「ごめんやで」と頭をなでた。お子ちゃん先生は廊下の真ん中で何人も横たわっていて、部屋まで行けない事を伝えた。

 その女性はそれこそアネさんみたいで、一喝した。

「あんたら、来る前に堅気の人に迷惑かけたらあかんって言うたやろ。ええ加減にしいや、はよう服着んかな」

 凄みのある声である。そのアネさんは、一人を残し皆を部屋に帰した。一人残された若衆に土下座をさせ謝らせた。お子ちゃん先生が頭を下げ、部屋に行こうとすると三歳の長女がやってくれた。

「この花きれいやな。かっちゃんも欲しい。どこで売りよるが?」

 なんと若衆の桜の入れ墨を触りまくったのである。

 それを見たアネサンは、「たいしたお嬢さんですわ。将来大物になりますわ」と大声で笑った。部屋に入ると、夫からとがめられた。

「人を見て言えや。ハラハラしたぞ」

 そうです。お子ちゃん先生は、社長であろうが、内閣総理大臣であろうが、間違っていると思うと苦言を呈せずはいられないタイプなのである。

 ちなみに将来大物になると予言された長女は二十二歳になる。福祉系の大学を卒業し、お子ちゃん先生と同じ施設で働いている。毎日、利用者のおむつを替えているのだ。その姿を見ながら、「娘は大器晩成型だ」と都合の良い解釈をしているお子ちゃん先生であった。

 

 話を元に戻すが、親分の話が本当なのか、作り話なのか、いまだに分からない。ただ、自分はやくざの素質があるのだと実感した。



 

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