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お子ちゃん先生  作者: いけも
2/12

②お子ちゃん先生と武夫じいちゃん

 小学校の校長先生の職歴がある武夫じいちゃんは九十二歳。頑固な性格ではあるが、いつも感謝の気持ちを忘れない紳士的なじいちゃんである。刺身が大好きでグループホームに入所するまでは三百六十五日、毎日食べていたそうだ。


「この人にはたまげる。結婚してから刺身を切らした事ないんよ。なかったら、がいなこと怒んなはる」と、しかめっ面で話す奥さん。

「ホームでも刺身が出たら嬉しそうに食べよるよ、ほんとに好きなんやな」

「それはよかった。グループホームでも刺身が出るがやな。じいちゃん、喜びなはらい。よかった、よかった。それよりも施設長、ごめんよ。お子ちゃん先生言うて、なんでそがいな呼び方するがやろうな。おかしな人よ。息子も失礼な呼び方して施設長に申し訳ない言うて怒りよった」

「かまんが、かまんが。私気にいっとるがやけん」


 そうです、この武夫じいちゃんが佐々木美穂を「お子ちゃん先生」と呼び始めたのです。


 ある日、武夫じいちゃんに聞いてみた。

「武夫じいちゃん、なんで私のことお子ちゃん先生って呼ぶが?」

「体がこんまかろうが、ここで一番偉いんやけん先生よ」

 佐々木美穂は「なるほど、うまい」と手をたたいて笑った。佐々木美穂の身長は百四十五センチ、体重が三十六キロ、今時の小学生にも負ける体格である。

 登校する子供たちから、「おはようございます」との声。

 お子ちゃん先生は顔を上げ、子供たちの顔を見ながら「おはようございます」と挨拶を交わす。なんとも滑稽な姿である。

 その数か月後、佐々木美穂は利用者、家族、職員からも「お子ちゃん先生」と呼ばれるようになった。


 武夫じいちゃんの認知症は脳梗塞が原因で「血管性認知症」になったのである。「まだら認知」とも言う。

 しっかり理解できる時がある反面、簡単な言語が理解できない時があり、新人職員には武夫じいちゃんが「わざとにしている」と思われてしまう理解しがたい認知症でもある。

 また、アルツハイマー型認知症も若干あり、短期記憶に乏しい。「校長先生」と多くの人から尊敬され、頼りにされていた人が定年を境にただの“おじさん”になってしまったのだ。虚しい現実だったに違いない。社会から遠のき、毎日何を考えていたのだろう。人と会う機会も少なくなり。誰からも頼りにされなくなった。その時の武夫じいちゃんの気持ちを思うと、お子ちゃん先生はやるせない気持ちでいっぱいになった。

 

 そんな武夫じいちゃんにも意外なエピソードがある。紹介しよう。

 奥さんから聞いたのだが、親が決めた結婚で結婚式当日までお互い顔を知らなかったそうだ。奥さんは武夫じいちゃんを一目見て「まぁ、このぐらいやったら我慢せんといけんわい」そう思いながら、結婚式を迎えた。

 しかし、初夜はひどかった。

 武夫じいちゃんがとんでもない事を言い出したのだ。

「わしには好きな人がおる。ほやけん、あんたの親にわしのこと好きになれん、なりとうないと言ってくれや」

 奥さんはショックだったに違いない。初夜の儀式の夜、残酷な言葉を言い渡されたのだ。

 でも、奥さんがすごかった。

「そうかな、その人は何をしよんなはるが?」

「学校の事務員よ」

「結婚式もして、みんなに祝うてもろて、世間の笑いもんにならい。学校も辞めんといけんようにならいな」

 武夫じいちゃんはしばらくうつむいていたそうだ。奥さんは居ても立ってもいられず、宿主にハイヤーを頼んだそうだ。

「今から、一軒一軒祝儀を返しに行くけん。はよう準備してや」

 武夫じいちゃん、これにはぶったまげた。この夜中、祝儀を返しに行くと言うのだ。

「もうええわい、ハイヤー断ってもらえや」

 武夫じいちゃんは好きな人を諦め、奥さんと一緒になる事にしたのだ。武夫じいちゃんにも若き日があったのだ。切ない恋をしていたのだ。そう思うと、奥さんには悪いけど武夫じいちゃんが少しかわいそうに思えてしまった。

 奥さんがハイヤーを断ると、武夫じいちゃんは黙って布団に入ったそうだ。今は息子二人、孫に囲まれ幸せに暮らしている。何よりも奥さんの面会を楽しみに待っている。

 

 武夫じいちゃん、今は幸せだね。奥さんと結婚してよかったね。



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