第二十五章『龍面公子(二)』
柳正剛と凌凰蘭の婚礼が始まると、新婦の両親である拓飛と凰華は赤い布で装飾された祭壇に設けられた席に着いた。反対側には正剛の両親の姿がある。
「とうさまとかあさま、どうしてあっちにいっちゃったの?」
少し不安そうに雄飛が言うと、慶が頭を撫でながら優しく話しかける。
「これからあなたの姉さまがお嫁に行くのよ。叔母さんたちと一緒に凰蘭を見送ってあげましょう?」
「およめってなに? ランねえさま、どこにいくの?」
「そうね……、凰蘭は好きな男の家に行くのよ」
「ふーん、いつかえってくるの?」
慶は微笑を浮かべてそれには答えず、再び雄飛の頭を撫でた。龍悟は感慨深い表情でつぶやく。
「あの凰蘭がもう二十歳か……、刻が経つのは早いものだな」
「……ええ、『あの子』も…………」
『…………』
黄夫妻が揃って沈黙した時、進行役の式辞が読み上げられ、青龍派の兄弟子に付き添われた正剛が姿を見せた。生き生きとした龍の刺繍が施された真紅の婚礼服を纏った正剛の表情は、緊張しているようでぎこちない。酒を片手にその様子を見ていた斉がプッと吹き出した。
「正剛の兄ちゃん、ガッチガチやんけ。昔の誰かさんみたいやがな」
次いで心地よい笛の音と共に、白虎派の門人に付き添われた凰蘭がしずしずと大広間へ入って来た。
凰蘭は鳳凰が鮮やかに刺繍された真っ赤な花嫁衣装を纏い、その表情は紅巾で覆われて窺えないが、三分の羞恥と七分の歓喜に満ち溢れているだろうことは容易に想像できた。
正剛が左に立ち、凰蘭が右に並ぶと、進行役が声を張り上げた。
「————天に拝礼!」
二人は中庭に向かって跪いて叩頭する。
「————地に拝礼!」
続いて祭壇へ向き直り叩頭した。
「————両親に拝礼!」
正剛と凰蘭は祭壇の脇に座る両親へ叩頭した。
凰華は愛娘の門出に笑顔と共に僅かに涙を浮かべる。隣に座る拓飛は死んでも涙を見せてなるものかと唇を噛み締めていたものの、その抵抗も虚しく、やがて堤防は決壊してしまった。
「————夫妻の拝礼!」
最後は新郎新婦が互いに向かい合って、お互いを拝礼する事で夫婦となるのである。
正剛は凰蘭に向き直って膝を突こうとしたが、凰蘭はうつむいて立ちすくんだまま跪こうとしない。見れば、肩が小刻みに震えている。参列した誰もが、新婦は感激のあまり身を震わせているのだと思った。
拓飛ただひとりを除いて————。
「おい、蘭————」
娘の異変を感じ取った拓飛が立ち上がった時、何かがポタリと音を立てて、赤い絨毯に染みを作った。
「蘭……?」
「…………」
これには正剛も異変を感じ声を掛けたが、凰蘭は肩を震わせるばかりで何も答えない。
「正剛! 紅巾を取れ!」
拓飛が大声で指示するが、正剛は困った顔を浮かべて動かない。
「え……、ですが、これは…………」
「構わねえから取れ! おめえが取るんだよ!」
「————は、はい!」
正剛が凰蘭の顔を覆う紅巾をめくり上げると、その双眸からは滂沱の涙が流れていた。一粒流れ落ちた涙は堰を切ったように、次々と足元の絨毯を濡らしていった。
「蘭……、いったいどうしたんだ……?」
正剛は当初、凰蘭は感激の涙を流しているのだと思ったが、すぐにその涙は別の感情によるものだと気が付いた。次第に参列者も新婦の様子がおかしいことに気付き始め、瞬く間に大広間がざわめき出した。
「…………ごめんなさい、正剛兄さま……!」
「え……?」
大広間が喧騒に包まれる中、凰蘭の消え入るような声を正剛は聞いた。
「……あなたのことは愛しています……。でも、『あのひと』が……、『あのひと』が居ないまま私だけ幸せになることはとても出来ません……‼︎」
「蘭…………」
大広間の喧騒が最高潮に達した時、閉じられていた入り口の扉が突然開き、参列者たちの視線が一斉に集まる。
そこには一人の男が立っていた。
背後を提灯の火で照らされた男の顔は逆光で窺い知ることは出来ない。参列者は口々に声を上げ出した。
「今頃誰だ?」
「親戚が遅刻したのか?」
「いやいや、新婦の間男じゃないのか?」
「きっとそうだ。新婦を連れ去るつもりなのさ」
突然現れた男が大広間に足を踏み入れると、好き放題に言っていた参列者の口が一斉に閉じられた。
————男の顔は、龍を模した面に覆われていたのである。
先ほどとは打って変わって静寂に包まれた大広間を、龍面の男がゆっくりと進んでいく。不思議なことに龍面の男からは凡そ体重というものが感じられず、その歩みはまるで幽鬼のようである。
龍面の男は凰蘭の前で足を止めた。
「……あ、あなたは…………!」
『…………』
龍面の男は無言で懐に手をやり、あるものを取り出した。
「————これは…………」
それは、高純度の紅玉から削り出された鳳凰の髪飾りであった。
龍面の男は呆然とする凰蘭に祝いの品を手渡すと、何も遠慮することはないという風に首を振った。
「……あ、ありがとう……‼︎」
涙を流して礼を述べる凰蘭にうなずいて見せた龍面の男は、参列席の龍悟と慶に顔を向けた。
「お前……、まさか————」
「……ああっ…………‼︎」
正面から龍面の男の姿を捉えた龍悟は眼を見開き、慶は涙を浮かべて口元を覆う。
龍面の男は不孝を詫びるように黄夫妻に叩頭した。
長い間、頭を下げていた龍面の男はやがてゆっくりと顔を上げて、祭壇席に向き直った。
『…………‼︎』
拓飛と凰華の達者な姿を認めた龍面の男の肩が震え出し、その震えは凌夫妻にも伝播した。
「————お前か、お前なんだな……⁉︎」
「…………珠……ッ!」
肩を震わせながら龍面の男は、凌夫妻に深く感謝するように叩頭した。
この一連の行為に誰もが動けずにいる中、龍面の男は静かに立ち上がり、入り口へと踵を返した。
「おい、待て! 龍————」
龍面の男の姿が戸口へと消えていった頃、ようやく金縛りが解けた拓飛たちが外へ雪崩れ込んだ。
だが広い庭内に龍面の男の姿は見えず、一同が別れて捜し始めた時、上空から大きな嘶きが響き渡った。
「————見て!」
凰蘭が指を差した先には、漆黒の夜空に縫い留められているように浮遊する白馬の姿があった。その背には龍面の男が跨がり、別れを惜しむように群雄たちに顔を向けている。
「————待て、行くな!」
「————顔を見せて頂戴!」
「————戻って来てくれ!」
「————降りて来て!」
「————無事だったんだな!」
各々が口々に叫ぶ中、龍面の男は手綱を捌いて白馬と共に夜空へと消えていった。
幼い雄飛が姉の手を握りながら問いかける。
「ランねえさま、あのりゅうのおめんのひと、だーれ? どうして、みんなないてるの?」
「……あのひとはね、あなたの従兄のお兄さまよ。雄飛……!」
「いとこってなに? ランねえさま」
初めて聞いた言葉に、雄飛は不思議そうな表情で姉を見上げた。
「…………いつまでも、待ってるから……。龍珠————」
白馬が残していった焔の残像を眼で追いながら、凰蘭は優しくつぶやいた————。
———— 終章 ————
爾来、神州の地では五州問わず、苦難に陥った人々を助ける義侠の士の姿があった。
空を翔ける白馬を駆り、常に龍を模した面を着けたその容貌から、人々はいつしか彼を『龍面公子』と呼び、すでに活躍していた『凌雲飛虎』と共に尊敬の念を分け合うこととなった。
(全書完)
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