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第二十四章『無極(四)』

 玄舟ゲンシュウの無情な手刀が振り下ろされ、動けない凰蘭オウランが叫び声を上げた。

 

龍珠リュウジュ————ッ‼︎」

 

 その刃は龍珠の頭を真っ二つに斬り裂くかと思われたが、玄舟の手に残るはくうを裂いた僅かな感触のみであった。

 

(————何⁉︎)

 

 驚愕した玄舟が顔を上げると、龍珠は変わらず元の位置に突っ立っている。その表情は玄舟と同じく何が起こったのか理解できていないようで、黒真珠のような瞳を驚きで丸くしていた。

 

「お、俺は…………」

「龍珠……?」

 

 不思議そうに辺りを見回した龍珠は凰蘭と眼が合い、先ほど起こった事象の答えを求めた。しかしそばで見ていたはずの凰蘭にも訳が分からず、無言で首を振るばかりである。

 

「……クッ、真氣を消耗したせいで身体が流れてしまったか……」

 

 苦笑いを浮かべた玄舟は、気を取り直したように首を振って再び手刀を構える。

 

「次は外さんぞ、小僧————‼︎」

 

 言葉と共に玄舟の手刀が閃いた。先の一手は縦に振り下ろされたものだったが、二の手は横薙ぎの一閃で、対手の素っ首を落とすはらである。

 

 今度こそ龍珠の端正な顔が地に落ちるかと思われたが、玄舟の手刀は再びくうを裂くにとどまった。

 

「————‼︎」

 

 二度もついの手を外された玄舟は怒り狂い、矢継ぎ早に攻撃を繰り出した。

 

 しかしどの技も、押せば倒れそうな龍珠が最小限の動きで躱してしまう。これには技を振るう玄舟、側で見ている凰蘭、そして攻撃を躱している当の本人・龍珠すらも信じられぬ思いであった。

 

「……何故だッ! 何故、その身体でワシの技を躱せる⁉︎ もう龍眼りゅうがんは消えたのだぞッ‼︎」

「…………?」

 

 玄舟は満面に汗を浮かべながら腕を振るい続けるが、龍珠は茫然としながらもそれを躱し続ける。

 

 まるで、玄舟の振るう技の手筋を見切っているかのように————。

 

(…………これは————)

 

 龍珠の脳裏には五年前の出来事が蘇っていた。拓飛タクヒと玄舟の激闘の様子が鮮明に————。

 

(————分かる……、玄舟の次の手が————)

 

 記憶の中の玄舟と眼の前の玄舟の動きが寸分違わず一致する。五年前と同じように追い詰められた玄舟は、平素の修練と全く同じ順序で技を繰り出してしまっていたのである。

 

「————クソガキがあッ! ワシはサイ玄舟だ! 皇帝になる男なんだぞッ‼︎」

 

 激昂した玄舟は最も得意とする『陰陽亀蛇いんようきだ』を繰り出した。自然と龍珠の身体が反応し、足を斜めに踏み出すと同時に左手で玄舟の腕を払いながら右拳を叩き込んだ。

 

「ガッ……‼︎」

 

 拓飛の得意技『砲拳ほうけん』を壇中だんちゅうに受けた玄舟は多量の鮮血を吐いて膝を突いた。

 

 龍珠は拳を突き出したまま、拓飛との鍛錬の日々を思い返していた。あの頃の自分は武術を習うことが嫌だったけれども、拓飛は武術を通して、殻に閉じこもっていた自分と真正面から向き合ってくれていたのだ。

 

 龍珠の瞳から一筋の滴が流れ落ちた。

 

(————ありがとう、拓飛おじさん……‼︎)

 

 龍珠が拳を下ろすと同時に、玄舟の力ない声が響いて来た。

 

「……この……、崔玄舟が、貴様のような小僧に……おくれを取るとは、な……!」

「俺ひとりの力じゃない……」

「何……⁉︎」

 

 倒れ込んだ玄舟を見下ろしながら、龍珠が口を開く。

 

「俺には拓飛おじさんが……いや、おじさんだけじゃない。凰華オウカおばさんや凰蘭に父さまと母さま、リュウ兄や子雀シジャクさんやガクご先輩、それに玄狼ゲンロウ師兄と凛明リンメイ姉さん……、沢山の人たちが力を貸してくれた。だけど、お前は同門の士や弟子すらもないがしろにして自分から孤独の道に進んでしまった。それが俺とお前の差だ……」

「…………‼︎」

 

 龍珠の言葉を聞いた玄舟は鉄槌を喰らったかのように眼を見開いたが、やがて乾いた笑みを漏らした。

 

「……クックックッ、戯言ざれごとを……! ワシは、貴様に敗れ……死ぬ……が、貴様も道連れだ……!」

「…………」

 

 この敗者の弁に凰蘭が反応する。

 

「どういうこと……⁉︎ 道連れって……!」

「ハハハ……、『陽丹丸ようたんがん』の処方も、『寒氷真氣かんひょうしんき』を散らす呼吸法も、ワシが……九泉まで、持って行く……。十日の後、には貴様も……九泉の住人、よ…………」

 

 歪んだ笑みを貼り付けたまま、玄舟は満足そうに事切れた。

 

「龍珠、どういうことなの……⁉︎」

「…………」

「————説明して‼︎」

 

 黙りこくる龍珠に凰蘭が声を荒げるが、龍珠はなおも答えず指笛を吹いた。

 

 ほどなくして、大きないななきを上げて一頭の白馬が欄干の上部から姿を現した。

 

星河セイガ……!」

「星河、こっちへ来てくれ」

 

 龍珠は拓飛と凰華の氷像を担ぎ上げ、近寄って来た星河の背に括りつけた。

 

「龍珠、『敖光洞ごうこうどう』に戻るのね? そうすれば岳先生が父さまと母さまの氷を解いて、きっとあなたの身体も治して下さるわ」

「……いいや。戻るのは、おじさんたちと君だけだ」

「————何を言っているの、龍珠……⁉︎」

「…………」

 

 やはり龍珠は黙り込んで、凰蘭の身体を星河に乗せた。

 

「星河、何があっても凰蘭たちを敖光洞へ送り届けてくれ。それまでは絶対にここへ戻って来ちゃ駄目だ」

「待って、やめて! どうしてなの、龍珠‼︎」

「いくら星河でも、俺たち全員を乗せては飛べない」

「————だったら私が残るわ!」

 

 大きな瞳に涙を溜めた凰蘭が真っ直ぐに龍珠を見つめる。龍珠は困ったような顔で首を振った。

 

「拓飛おじさんと凰華おばさん、父さまと母さまに伝えてくれ。『ありがとう、ごめんなさい』と…………」

「ふざけないで! 絶対にそんなことしないわ‼︎ 自分の口から伝え————」

 

 龍珠は凰蘭を眠らせて続く言葉を遮った。

 

「ごめんな、ラン……」

 

 心配そうな眼差しを送ってくる星河の首を龍珠は優しく撫でた。

 

「……大丈夫だよ。お前が戻って来るまで待ってるから。さあ、行け!」

 

 龍珠に尻を叩かれた星河は勢い良く跳躍して、夜空へと飛び立った。

 

 その背を見送りながら龍珠は寂し気につぶやく。

 

「————再見了さようなら、みんな……」


  ———— 第二十五章に続く ————

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