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第二十四章『無極(三)』

 掌門のが氷点下に堕ちる中、その元凶の崔玄舟サイゲンシュウはまるで意に介する様子は無い。

 

「知るがいい……。『玄冥氷掌げんめいひょうしょう無極むきょく』の恐ろしさを……‼︎」

「…………」

 

 立っているだけで、靴の裏が凍り始めているのが分かる。龍珠リュウジュはチラリと欄干の方へ眼を向けた。

 

「外へ出ても構わんぞ。この小娘がバラバラに砕かれても良いのならな……‼︎」

 

 玄舟は凰蘭オウランを捕らえ、凶悪な笑みを浮かべる。ほどなくして凰蘭の身体を氷が侵食し出した。

 

「————龍珠! 私のことは良いの! この男を倒して父さまと母さまを救って‼︎」

うるさい小娘め。命乞いが出来んのなら、その口は必要ないな……‼︎」

 

 苛立った玄舟は凰蘭の顔を鷲掴みにして力を込めた。

 

「————やめろッ‼︎」

 

 怒号を上げて龍珠が床を蹴った。玄舟はニタリと笑って凰蘭から手を放す。

 

「小僧、眼に物を見せてくれる……‼︎」

 

 玄舟は迫り来る龍珠に向かって掌を払った。

 

「————ッ!」

 

 掌風を受けた胸部が瞬時に凍りつき気が逸れた隙を見逃さず、玄舟の蹴りが龍珠の腹部に突き刺さった。

 

「ぐっ…………」

「クハハ……ッ、『視えた』か? ワシの攻撃が躱せん未来が……?」

 

 その言葉通り、龍珠には視えていた。玄舟の蹴りが自らの腹に深々と突き刺さる光景が————。

 

「今度はこちらから行くぞ……!」

 

 余裕の笑みを浮かべた玄舟が悠然と歩を進める。拳も蹴りも届かぬ間合いの外から再びその魔性の腕を振るった。龍珠は左腕を上げて遮ったものの、やはり氷の掌風に触れた部分が凍りついた。

 

「くうっ!」

 

 龍眼が視せる未来の通り、玄舟の掌打が龍珠の胸を痛打した。

 

「安心しろ、完全に凍らせるつもりは無い。貴様にはたっぷりと苦痛を味わわせてやらねばならんからな……!」

「…………ッ」

 

 龍珠は口元から垂れ落ちる鮮血を拭って、自ら打って出た。

 

 しかし玄舟は龍珠の行動を予測していたように軽くいなして、お返しの掌打を放つ。龍珠は歩法を駆使して掌打そのものは外したが、冷気を孕んだ掌風によって今度は左腿が氷結してしまった。

 

「クク……。脚をやられては、これ以上ちょこまか動くことは出来んだろう」

「……くっ……!」

 

 口惜くやしそうに歯噛みする龍珠に対し、玄舟は愉悦を含んだ笑みをって応えた。

 

 

 

 ————真白い床におびただしい赤が広がり、静寂に包まれる掌門の間に凰蘭の叫び声が響き渡った。

 

「————龍珠っ!」

 

 全身を余すところ無く痛めつけられた龍珠は、かろうじて立っていたものの、その足元に大きな血溜まりを生んでいた。さらには————、

 

「……どうした、小僧? 眼の色が黒く戻っているぞ……?」

「…………」

 

 虚ろな表情で玄舟を見据える龍珠の眼は金色こんじきの輝きを失い、縦長の瞳孔も元の形に戻ってしまっていた。

 

 だが、容貌が変わったのは玄舟も同様である。

 

 玄冥氷掌・無極によって多量の真氣の放出を余儀なくされた玄舟は老人のような白髪に成り果て、顔には幾重にも深々としたシワが刻まれていた。その姿は五年前の拓飛タクヒとの激闘の時に戻ってしまったようであった。

 

「……フ、ハハ……、払った代償は大きかったが、貴様さえ倒せば……後は、どうとでもなる……!」

「…………いいや、弱ったお前なんか、父さまが成敗してくれる……」

 

 龍珠の言葉に玄舟は一瞬ギョッとした表情になったが、すぐに持ち直した。

 

「フン……、虚勢はせ。黄龍悟コウリュウゴは貴様が氷漬けにしたのだろう」

「そうだ……だけど、いま拓飛おじさんの師父が、父さまの氷を解くために『敖光洞ごうこうどう』に向かっている……」

「いい加減にしろ、小僧。そんなつまらん嘘で、このワシが動揺するとでも思っているのか」

「信じるも信じないも、お前の自由さ。だけど、お前が凍らせたリュウ兄はガクご先輩が治してしまったぞ……!」

 

 自信たっぷりに話す龍珠の様子に、玄舟の顔に焦りの色が見えた。

 

「……岳だと? もっともらしい名を出したところで————」

「————待って! そう言えば子供の頃、母さまが『岳先生』と言っていたことを覚えているわ! 間違いない!」

「…………‼︎」

 

 凰蘭が助け舟を出すと、玄舟は苛立った様子で歯噛みした。

 

「……どうでもよいわ……! この場で貴様らが死ぬことに変わりは無い。再び力を蓄え、ワシは幾度でも復活する……‼︎」

 

 玄舟は吹っ切れたように凶悪な笑みを浮かべて、ゆっくりと龍珠に歩み寄る。死期を悟った龍珠は凰蘭に顔を向けた。

 

「すまない、凰蘭……。君を守ることが出来そうにない…………」

「いいの、龍珠! あなたが……、あなたがリョウ家のために命懸けで闘ってくれたこと分かっているから! 私もあなたと一緒に死んであげるわ!」

 

 凰蘭の言葉に龍珠はうなずいて感謝の意を示した。次いで、拓飛と凰華オウカの氷像へと向き直り、心の声で語り掛けた。

 

(……ごめんなさい。おじさん、おばさん……。俺はあなたたちを必ず救うと言って来たのに、結局何も出来なかった。そればかりか、あなたたちの愛娘を守ることも……! 本当に……ごめんなさい……‼︎)

 

 

 ————そんなことねえよ、龍珠。

 ————そんなことないわ、龍珠。

 

 

 二人の優しい声が聞こえた気がして龍珠が顔を上げた時、眼の前に玄舟の形相があった。

 

「ここまでだ、小僧……この一手で終わらせてやる……‼︎」

 

 茫然とする龍珠に向けて、玄舟の手刀が振り下ろされた————。

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