第二十三章『隻腕の大男(二)』
龍珠の顔を認めた大男は指を顎に当てて考えこむ仕草を見せた。
「……兄ちゃん、おめえ、もしかして姓は『黄』って言うんじゃねえのか?」
「————どうして、それを…………」
龍珠が答えると、大男はニッと魅力的な笑みを浮かべた。
「やっぱりそうかい! 姓は『黄』と来たら、親父の名は『龍悟』だ。そうだろ!」
「————は、はい! そうです!」
「なるほどねえ。龍悟の兄ちゃんの倅なら、さっきの手並も納得ってなモンだぜ」
「ご先輩は父さまをご存知なのですか⁉︎」
「おう。親父どころか、おめえの祖父もよっく知ってらあな」
男は懐かしそうに右肩に触れた。
「お祖父さまも……!」
龍珠は男の顔をじっくりと眺めた。歳は五十代くらいだろうか、白髪まじりの頭に無精髭の容貌で、左頬の深い刀疵が眼を引くが、不思議と男の魅力を損なうことは無かった。
「よせやい。そんなにマジマジと見られちゃ、オジサマ照れちまうじゃねえか」
茶化すように男が言うと、龍珠は再び男に叩頭した。
「ご先輩、俺は黄龍珠と申します。柳兄を救ってくださったこと、改めて御礼申し上げます……!」
「————『龍珠』か……。良い名をもらったな、兄ちゃん」
「…………?」
龍珠の名を聞いた男の眼が優しさを帯びた。その様子を龍珠は不思議に思ったが、気のせいだと思い直し、
「ありがとうございます。恐れ入りますが、ご先輩のご尊名を伺えますでしょうか?」
「んー……、名乗るほどのモンじゃねえが、俺ぁ岳ってモンだ」
————この隻腕の大男は無論、拓飛と凰華の師父・岳成虎である。
十六年前、負傷した斉の治療が一段落つくと、やはり黙って姿を消し、以来ひとつ所に留まらず自由気儘に各地を漫遊していたのである。
「岳ご先輩……、ご先輩はどうしてこの『氷鏡廊』にいらしたのですか?」
「ほお、この氷穴は氷鏡廊って言うのかい。いやあな、考えてみりゃ玄州の涯はまだ観たことねえなあと思ってよ、ちょいと足を伸ばしてみたら見事に迷い込んじまったって寸法よ」
「…………!」
成虎の返答に龍珠は絶句した。
(……岳ご先輩がもう少し早く此処に迷い込まれていたら柳兄だけで無く、凛明姉さんも助かっていたかも知れない。これが天の配剤だって言うのか……? でも、だったらどうして崔玄舟は今ものうのうと陽の光を浴びてられるんだ……、奴こそ天下の大悪人じゃないか……‼︎)
顔を伏せたままの龍珠の胸の内など、流石の成虎にも分かろうはずも無い。突然黙り込んだ龍珠を成虎は不思議に思った。
「急にどうしてえ?」
「……いえ、岳ご先輩が偶然いらして本当に良かったと考えておりました」
「そのことなんだが、一つ前の間で凍らされてんのは玄武派の門人じゃねえのか? いってえ此処で何があったんだ?」
「はい。それは————」
————龍珠は崔玄舟と黄家・凌家の間の因縁の中から『寒氷真氣』の発作や凛明のことを省いて成虎に語った。
黙って聞いていた成虎だったが、龍珠の話を聞くと流石に表情を変えた。
「なんてえこった……。拓飛のクソガキと凰華の嬢ちゃん、それに龍悟の兄ちゃんまで氷漬けたあ……!」
「————おじさんとおばさんもご存知なのですか⁉︎」
今度は龍珠が血相を変えた。
「知ってるも何も、あいつらは俺の弟子みてえなモンだ。正式な門派なんかじゃねえがな」
「……ご先輩が、おじさんたちの師父……!」
龍珠が言葉を失っていると、成虎が真剣な表情で口を開いた。
「……それにしても『玄冥氷掌』か……。玄武派にこんな危ねえ禁功があったとはな……!」
「…………」
「兄ちゃん、それでその崔玄舟っつう野郎が何処へ行ったのか目星は付いてんのかい?」
「はい、奴は『城を取り戻す』と言っていました。おそらく追い出された玄武派の本拠へ向かったのではないかと……」
龍珠の返事に成虎はうなずいた。
「良い読みだ。玄武派の本拠————『宝亀楼』か」
「宝亀楼……!」
「行ったことはねえが、場所は耳にしたことがある。ここからさほど遠くねえ山間部にあるはずだ。別に隠してねえから、その辺の人間に訊けば詳しい道が分かるはずだぜ」
言い終わると成虎は出口へと足を向けた。
「岳ご先輩、どちらへ————」
「知れたことだ。面倒くせえがアイツらが囚われの身と聞いちゃあ、黙っていられねえ……!」
珍しく語気を強めた成虎の前に龍珠は一瞬の内に跳躍し、再びひざまずいた。
「……何の真似でえ……?」
「岳ご先輩、不躾ながらお願いがあります。柳兄を青龍派まで送り届けて、父の氷を解いてもらえないでしょうか……?」
「何……⁉︎」
「父は錯乱した俺の手によって氷漬けになってしまいました。その代わり、拓飛おじさんと凰華おばさん、そして凰蘭は俺の手で必ず救い出してみせます……‼︎」
龍珠は力強く宣言して叩頭した。成虎はしばらく黙り込んだ後、
「……やれんのか、おめえに……⁉︎」
「————この命に代えても、やり遂げます……‼︎」
「…………」
やはりしばらく成虎は無言だったが、やがてフウッと息を吐くと、おもむろに眠っている正剛を担ぎ上げた。
「……やれやれ、北の次は東か。このオジサマに大層な使いっ走りをさせてくれるモンだぜ」
「————岳ご先輩……!」
「……龍珠、俺の息子夫婦と孫を頼んだぜ」
「は、はい————」
龍珠が顔を上げると、そこにはすでに老虎の姿はなく、強烈な気配の余韻だけが残っていた。
「————ありがとう、ございます……。岳ご先輩……‼︎」
龍珠は成虎が出て行った方向へ向けて再び強く叩頭した。
———— 第二十四章に続く ————




