第二十二章『氷の接吻(二)』
『氷鏡廊』の内部に侵入した正剛は、何人もの自分の姿が氷壁に映る様に眼を丸くした。
「……こんな場所があるのか……!」
自然の絶景に圧倒される正剛を、龍珠が現実に引き戻す。
「————柳兄、こっちです」
「あ、ああ」
案内に従って正剛がついて行くと、龍珠は何かに気付いた様子で足を止めた。
「…………」
「どうした? 龍珠」
「見てください」
龍珠が指差した先には、服の繊維のような物が落ちており、不自然に点々と連なっていた。
「何だこれは……、まるで目印のように奥まで続いているぞ……」
「ええ、それも最奥へ続く正しい道のみへです」
「……誰かが侵入者を道案内しているということか……!」
「侵入者は艝に乗って来た者たちで間違いないでしょう。案内しているのは————」
「————アイツだな……?」
「…………」
正剛の予想に龍珠は無言でうなずいた。
「急ぎましょう、柳兄……!」
「おう!」
————二人が最奥の間に辿り着くと、幾人もの黒装束の男たちの姿があった。だが、その大半は物言わぬ氷像と化しており、残る数名も腰を抜かして歯を小刻みに打ち鳴らすばかりである。
「————崔玄舟‼︎」
龍珠は玄武派の門人たちを凍りつかせた張本人————玄舟の名を声の限りに叫んだ。だが、玄舟は弟子に名を呼び捨てにされたというのに激怒するでもなく、ただ冷笑を浮かべるのみであった。
龍珠は玄武派の氷像に眼を向けながら口を開く。
「力が戻ったのか……!」
「まだ本調子とはいかんが、亀どもを凍らせるには充分といったところだ」
「……どうして、玄武派にこの場所が…………」
「それはそこにへたり込んでいる男に訊いたらどうだ?」
龍珠と玄舟に相次いで視線を向けられた男はしばらく歯を打ち鳴らしていたが、ようやく声を発した。
「————わ、我らは、やはり崔玄舟は玄州に潜んでいると思い、各地に網を張っていたのだ……。そして、折しも玄豹らしき女が人を寄せ付けぬ雪原に向かっている姿を目撃して、後を尾けた…………」
「————そして、力を取り戻したワシに返り討ちに遭い、現在に至るという訳だ……」
玄舟は締めくくると、龍珠に顔を向けた。
「貴様も記憶が戻ったようで何よりだな、玄龍————いや、黄龍悟の倅……!」
「————どうして、それを……!」
驚きを隠せない龍珠に玄舟は鼻を鳴らす。
「フン、玄狼に貴様の助命を請われた時に気付いておったわ。貴様のその顔があの忌々しい黄めに瓜二つだとな……!」
「気付いていながら俺を殺さなかったのか……、父さまとお前にどんな因縁があると言うんだ……⁉︎」
龍珠の質問を聞いた玄舟の表情が禍々しさを帯びた。
「……若かりし頃、ワシは奴と立ち合い敗れた……! だが、ワシが許せんのは奴がとどめを刺さなかったことだ……! 奴の取り澄まされた顔を思い出すだけで腸が煮えくり返るわ……‼︎」
ここまで話すと、凶悪な顔つきだった玄舟のそれが、愉悦に塗れたものに変わった。
「————しかし、現状はどうだ⁉︎ 復讐を誓ったワシは絶技『玄冥氷掌』を習得し、それを奴の倅に仕込んだ! そして奴は己の倅に凍らされ、さらに玄冥氷掌は黄家の血筋をも始末してくれる‼︎ これほど愉快なことがあるかッ⁉︎ フハハハハハッ‼︎」
「…………まれ」
「本当にあの時、貴様を殺さないでおいて良かったわ! 黄龍悟の奴は息子の手に掛かる時、何と言っていた⁉︎ どんな表情をしていたのだ⁉︎ ワシに教えてくれ‼︎」
「————黙れッ‼︎」
憤怒の形相で龍珠が叫び、正剛も傍らで青筋を浮かべながら槍を構えた。
「おっと、貴様の相手をするのにこの場は相応しくない……」
『待てッ‼︎』
音も無く奥へと逃げる玄舟を龍珠と正剛は追いかけた。
「玄舟————ッ⁉︎」
追い詰めた先で龍珠が眼にしたのは、夢にまで見た伯父夫婦・凌拓飛と石凰華の凍りついた無惨な姿であった。
「————拓飛おじさん‼︎ 凰華おばさん‼︎」
五年ぶりに再会した龍珠は声の限りに二人の名を呼ぶが、その声は氷穴内に幾重にも反響するばかりで返事は無い。
「フフフ……どうだ、見事だろう? 虎と鳳凰の氷像は……!」
歪んだ笑みを浮かべて玄舟は二人の氷像に触れた。
「おじさんたちに触れるな!」
「……安心しろ。力を取り戻したばかりで、まだこの氷を砕くことは出来ん」
幾分悔しさを窺わせる玄舟の表情から、その言葉に嘘はないと龍珠は感じとった。
「おじさんたちを元に戻せ……!」
「嫌だと言ったらどうする……?」
「……約束しろ。俺が勝ったら元に戻すと……!」
「万が一にもありえんが良いだろう。ついでに『寒氷真氣』を散らす呼吸法も教えてやろうではないか」
「…………」
龍珠は正剛へ顔を向けた。
「柳兄、決して手は出さないでください……!」
「……分かった」
感謝するようにうなずいた龍珠は玄舟へと向き直り構えを取った。
「————これで、お前と黄家の因縁を終わらせてやる……‼︎」
「早まるな、見物人がそこの男だけではつまらんだろう」
「何……⁉︎」
玄舟は拓飛と凰華の氷像の陰に手を伸ばし、何かを引っ張り出した。それを眼にした龍珠と正剛が同時に声を上げる。
「凛明姉さん!」
「蘭!」
玄舟に引きずり出された凛明と凰蘭は、首を残した全身を雪だるまのように凍らされていた。




