第十四章『赤雀(三)』
朱雀派の門人・朱子雀の言葉に龍珠は驚きを隠せない。
「朱さん……、どうして俺が————」
「子雀でいいですわ」
「えっ?」
「朱雀派の門人は皆『朱姓』を名乗るのです。ですから、私のことは子雀と呼んでもらえたら結構ですわ」
「わ、分かりました。子雀さん……」
龍珠に名前を呼ばれた子雀は満足そうに笑くぼを浮かべた。
(普通、女の人は自分の名前を他人に安易に名乗らないものだけど、どうやら朱雀派の門人はあまり世間のしきたりに頓着が無いみたいだ)
この龍珠の予想は当たっていたけれども、子雀が初対面の相手に名乗った理由はそれだけではない。一つは龍珠の容姿が見目麗しいことと、もう一つは————。
「————『どうして自分が青龍派と縁の者だと分かったか?』ですわね?」
「は、はい」
「ふふ、先ほど自分で言っていたでしょう? 凌さまの甥だと。凌さまのご妻女は青龍派掌門の姉君と耳にしています。貴方のお父さまは青龍派掌門の黄さまでしょう? 龍珠くん?」
凰華と龍悟が姉弟だということは他派の者には知られていないはずである。さらには自分の名前も把握されていることに龍珠は舌を巻いた。
「子雀さん、拓飛おじさんとはいったいどういった関係なんですか?」
「関係…………」
この質問には子雀の表情が憂いを帯びた。
「……あの方は一身で泥をかぶって、姉さまの名誉を守って下さった。本当に感謝していますわ……!」
拓飛を語る子雀の眼には様々な感情が込められているようであった。
「……フン、あの白髪の小僧か。ワシはアイツが燕児さまになさったことは忘れてはおりませんぞ!」
「お爺さん、それは誤解だと言っているでしょう? あの方は誤解されやすいけれど、強くて優しくて素晴らしい殿方ですわ」
「子雀さま、申し訳ないがアイツの話は聞きたくありませんでな。ワシは離れておりますじゃ」
船頭の老人は忌々しそうに船倉へ引っ込んで行ってしまった。
「あらあら、あのお爺さんにも困ったものですわね……」
子雀は腕を組んで苦笑いを浮かべる。
尊敬する伯父を褒められた龍珠は子雀に対しますます好意を持った。拓飛と結婚寸前だったという子雀の姉弟子のことも聞いてみたかったが、色々な事情が混み合っていると思われ、その質問は喉元でグッと飲み込まれた。
「————それで、龍珠くん。凌さまは息災かしら? 近頃はご活躍のお噂が聞こえて来ないけれど……」
子雀に幾分か心配そうな顔で問いかけられると、龍珠の表情も曇った。
「……それは————」
「————まさか、凌さまの身に何かあったの⁉︎」
血相を変えて子雀は龍珠に詰め寄った。
「……拓飛おじさんは凰華おばさんと一緒に行方不明なんです……」
「そんな……っ」
五年前の記憶では拓飛と凰華は共に氷漬けにされ、居場所はおろか生死のほども知れない。
「龍珠くん! 何か知っているのなら教えて!」
暗い顔で言い淀んでいる龍珠の肩を掴んで子雀が詰問した。
「……はい、実は————」
————龍珠はこれまでの経緯をかい摘んで子雀に語った。
産まれながらに内功を会得して、稽古相手に怪我を負わせてしまったこと————。
それが原因で七年前に拓飛夫妻に預けられたこと————。
玄冥派と衝突して、拓飛と凰華が氷漬けにされたこと————。
記憶を失い、玄龍として操られていたこと————。
そして、錯乱のまま父を氷漬けにしてしまったこと————。
黙って聞いていた子雀は涙を浮かべて龍珠を抱きしめた。
「し、子雀さん……⁉︎」
「……辛かったわね……。私の胸で良ければ、思い切り泣いて吐き出してしまいなさい……!」
「子雀さん……! うう、うあァァァァァっ」
子雀に優しく抱きしめられた龍珠は声の限りに泣き叫んだ。胸の中に溜め込んでいた鬱積を吐き出すように、まるで八歳の子供の頃に戻ったように————。
————長い間、泣きじゃくっていた龍珠はようやく落ち着いた様子で、子雀から離れた。
「……落ち着いた……?」
「は、はい……。すみません……!」
優しく声を掛けてくれる子雀に対し、龍珠は恥ずかしげに顔を逸らした。
「————確認させてもらうけれど、凌さまたちが今どこにいらっしゃるのかは分からないのね?」
「……はい。師父————いや、崔玄舟なら何か知っていると思いますけど……」
「崔玄舟……! 絶対に許しませんわ……‼︎」
子雀の顔に初めて見る憎悪の感情が宿った。
「……龍珠くん、これから貴方が為すべきことは分かっていますわね……?」
「は、はい……」
龍珠は返事をしたものの、複雑な心境であった。
(……分かっているさ。でも、俺にはもう時間が無いんだ……)
龍珠は要らぬ心配をかけぬよう、発作のことは子雀に黙っていたのである。内情を知らぬ子雀は満足そうにうなずいた。
「本当なら今すぐにでも凌さまたちを救いに飛んで行きたい。けれど私には紅州を守る任務がありますし、凌さまは朱雀派にとって不倶戴天とも言える間柄ゆえに表立って動けません。ですので————」
ここで子雀は言葉を切って、龍珠を真っ直ぐに見つめた。
「————貴方に『軽氣功』を伝授して差し上げます。きっと貴方の役に立つはずですわ」
「軽氣功……?」
龍珠がおうむ返しすると、子雀はニコリと笑った。
「朱雀派に伝わる軽功の技ですわ」
「えっ、でも俺は朱雀派じゃないですよ?」
「構いませんわ、これくらいなら燕児姉さま————いえ、掌門もお許し下さるでしょう。たとえお咎めがあったとしても本望というものですわ」
子雀は師門に逆らってでも拓飛を救う手助けを申し出ているのである。その心意気に龍珠は大いに感じ入った。
(————そうだ、時間が無いとか言い訳してる場合じゃない。おじさんとおばさんは命を懸けて俺を助けようとしてくれたんだ。黄龍珠、お前はおじさんたちに受けた恩を忘れたのか? 発作が起きたからといって必ず死ぬとは限らないじゃないか。いや、たとえ死んでも、おじさんたちを助け出すんだ。父さまもそう言っていただろう……!)
そう決心すると、病人のように生気の無かった龍珠の眼に力強さが戻った。龍珠はひざまずいて子雀に叩頭する。
「————子雀さん、貴派の絶技を俺に教えて下さい! 必ずやおじさんとおばさんを救って見せます!」
「よろしい、ではお立ちなさい」
子雀は龍珠に氣の流れや呼吸法を丁寧に教え込んだ。
「まずは『心を軽やかに保つ事で、その身をひとひらの羽の如く為し風に舞う』この要訣を一身に念じるのです。焦ることは禁物————」
子雀が眼を閉じて口伝を述べた時、突然舟から一人分の体重が消えた。
「————なっ、どうして出来ているのです⁉︎」
「えっ? これって出来てるんですか?」
驚く子雀とは対照的に、龍珠はあっけらかんとしたように言った。
「……信じられませんわ……! 基礎が身に付くのに最低でも、ひと月は掛かると思っていましたのに……!」
「はあ…………」
龍珠はキョトンとして頬を掻いた。
朱雀派の絶技『軽氣功』は心から雑念を無くして、身体の重みを消すものである。その習得速度は生まれ持った性分に大いに左右されるが、つい先日まで心が空虚だった龍珠にとっては箸の持ち方を覚えるようなものであった。
驚愕の表情を浮かべていた子雀だったが、次第にそれが柔和なものに戻り、その背に紅い羽が広がった。
「……龍珠くん、では凌さまたちのことは任せましたわよ……!」
子雀は魅力的な笑みを残し、再び夜空へと飛び立って行った。
「ありがとうございます。子雀さん……‼︎」
龍珠は満月を背にして舞い飛ぶ赤雀に再び叩頭した。
———— 第十五章に続く ————




