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第十四章『赤雀(二)』

 湖に浮かんだ巨大な月餅を一艘の船がゆるりと真っ二つに裂いて行く。

 

「————それじゃあ、お爺さんは六十年もここで船を渡しているんですか」

「そうじゃ。昔は満月の日になると船に乗り切れんほど人がごった返して来たものじゃが、近頃はもう月に数人しか客がん。船もワシの身体もガタが来とることじゃし、そろそろ潮時かのう……」

 

 老人に弁当を分けてもらい幾分か活力を取り戻していた龍珠リュウジュとは対照的に、老人は寂しそうに言った。

 

「ところで、お前さん。名はなんと言う?」

ゲン————いや……、龍珠です」

 

 老人はウンウンとうなずきながら、

 

「龍珠か。名は体を表すとはよく言うたものじゃ。姓は? 何処どこから来たんじゃ? 親御さんは心配しとらんか?」

「…………」

 

 龍珠が言い淀んでいると、老人は申し訳なさそうに手を振った。

 

「すまん。お前さんにも色々事情があろうな。もう何も訊かん、明日の朝までゆっくりと休むがええ」

 

 老人はそう言って、船の舳先へさきへと移って行った。

 

 龍珠は老人に礼を返すと横になり眼を閉じた。しかし、身体は極限まで疲れ切っているにも関わらずどうにも眠ることが出来ない。

 

(……俺は父さまをこの手で氷漬けにしてしまった。母さまも悲しそうな顔をしていた。もう、お二人に合わせる顔が無い……)

 

 両親のことを思い浮かべると、父の最期の言葉が脳裏に蘇ってきた。

 

凰華オウカ姉さんと拓飛タクヒおじさんを頼ん————…………』

 

 龍珠は眼を見開いて跳ね起きた。

 

(————そうだ! 俺は拓飛おじさんと凰華おばさんを助け出さなきゃいけない! こんなところでのんびりと船に揺られている場合じゃないぞ!)

 

 しかし、あることを思い出した龍珠は再びゴロンと寝転び、皮肉な笑みを漏らした。

 

(……馬鹿だな、俺は。寒氷真氣かんひょうしんきの発作を抑える『陽丹丸ようたんがん』は丸々、玄貂ゲンチョウにくれてやったじゃないか。発作が起きるまで後、一日か二日……もう俺には時間が無い……)

 

 龍珠は腕を枕にして頭上に浮かぶ満月を見やった。

 

(————父さま、母さま、おじさん、おばさん、ごめんなさい。俺はあなたたちに何も返すことが出来ない……!)

 

 ふと気づくと、満月を背に二つの影が交わっているのが見えた。涙のせいかと思いぬぐって再び眼を凝らすと、二羽の鳥が激しく交差していた。

 

(あれは、鳥の妖怪か……? いや、一つは人間のようだ。でも、あの紅い羽のようなものは……⁉︎)

 

 龍珠が上空を凝視していると、老人が声を掛けてきた。

 

「心配せんでもええ。あれは朱雀派の門人のかたが月餅湖の警備をしておられるんじゃ。じきに終わる」

「朱雀派……」

 

 その名はかつて玄狼ゲンロウから聞いたことがあった。四大皇下門派よんだいこうかもんぱの一つに数えられ、南方の紅州を守護する門派であると。その門人は女弟子だけで構成されており、独自の軽功を用いるらしい。

 

(……あと別のところでも聞いたことがあった気がするけど、どこでだっただろう?)

 

 すぐには思い出せそうも無く再び頭上を見上げると、朱雀派の女は妖怪の攻撃を宙で旋回して躱しざま、その首を手刀で跳ね飛ばした。

 

(……凄い……! 足場の無い空中でたいを入れ替えるなんて、仙人でもなければ出来ないぞ。あれが朱雀派の軽功か……!)

 

 その武芸に感嘆している間に朱雀派の女の影が大きくなって来る。

 

「————お爺さん、少し羽を休ませてもらいますわ」

 

 雀のさえずりのような澄んだ声と共に女が船の帆へと降り立った。

 

 その姿はやや小柄だが、身体の線が見えるほどのツヤツヤとした真紅の衣装に包まれており、なんともなまめかしい。年頃の龍珠は青白い顔を少し赤らめ、視線を上へと移した。

 女は口元に笑くぼを二つ浮かべて微笑んでいる。童顔の愛らしい顔立ちで二十歳はたちくらいに見えるが正確な年齢は分からない。女は龍珠の姿に気付くと、大きな瞳をクルクルと動かした。

 

「あらあら。お爺さん、こんなに可愛いお孫さんがいらっしゃったの?」

「いえいえ、この子は孫ではなく久方ぶりの客ですじゃ」

 

 女は興味深そうに龍珠へと視線を戻した。

 

「そう。私は朱雀派の————」

 

 その時、龍珠の腹が盛大に鳴った。老人に分けてもらった弁当だけでは、とても足りなかったのである。女がクスクスと口元に手をやると、龍珠は再び顔を赤くした。

 

「今はこんな物しか持ち合わせていないけれど、良ければ召し上がって」

「……ありがとうございます」

 

 龍珠は恥ずかしげに差し出された物を受け取った。紙包みを開いてみれば、そこには美味しそうな月餅があった。ひとくち含んでみると豊潤な甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。数年ぶりの甘味に思わず龍珠は涙をこぼした。

 

「あらあら、まだまだあるから泣かなくて?」

「はい……!」

 

 瞬く間に五つの月餅を腹に収めた龍珠は女に包拳した。

 

「お姉さん、ありがとうございました。こんな美味しい物を食べたのは数年ぶりです」

「そんなに感謝されると作った甲斐があったというものですわね」

「これはあなたが?」

「ええ。……『あのかた』も美味しそうに食べて下さっていた……」

 

 突然なにかを思い出したように女が遠い眼になった。

 

「あの方?」

「……いえ、なんでも無いですわ。それより————」

「————あっ!」

 

 今度は龍珠が何かを思い出したような顔になった。

 

「突然どうなさったの?」

「そうだ……確か、拓飛おじさんは朱雀派の門人と結婚するところだったって…………」

 

 龍珠の口から拓飛の名が出ると、女は素早く着地して龍珠に詰め寄ったが、船はきしむでもなく先ほどまでと同じように湖上を漂っている。まるで、女に体重というものが無いように。

 

「————あなた、リョウさまをご存知なの⁉︎」

「は、はい……」

 

 先ほど穏やかだった女の様子がにわかに変わり、龍珠はいささか戸惑った。

 

「凌拓飛は俺の伯父おじです。……まさか、おじさんと結婚するかも知れなかった人ってあなただったんですか……?」

「伯父……!」

 

 龍珠が拓飛の甥だと聞いた女はしばらく呆気に取られていたが、やがて寂しげな笑みを浮かべた。

 

「……いいえ。その人は私の姉弟子あねでしですわ」

 

 女はそこまで言うと、姿勢を正して再び口を開いた。

 

「申し遅れましたわね。私は朱雀派の朱子雀シュシジャクと申しますわ。以後お見知り置きを、青龍派の御曹司おんぞうし


 挨拶を終えた子雀は、再び口元に笑くぼを浮かべた。

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