第二章『不速之客(一)』
翌朝、慶都の城市を出立した三人だったが、拓飛と凰華が並んで先を行き、少し離れて龍珠が後をついて来る形になっていた。
「————そうか、昨夜俺がいねえ時にそんなことが……」
凰華から事情を聞いた拓飛が重く口を開いた。
「ごめんなさい。私があの子の気持ちも考えずに余計なことを言ってしまったばかりに……」
「俺たちは良かれと思ってやったことだったが、アイツにしたら親に見捨てられたと感じたのかも知れねえな。もしかしたら、蘭のヤツも……」
「…………蘭」
ひとり娘のことまで思いが及ぶと、凰華は悄然とした気持ちになった。落ち込んだ様子の妻の横顔を見て、拓飛は努めて声の調子を上げた。
「まあ、アイツにそういう気持ちがあったんなら、早えうちに吐き出せた方が良かったのかも知れねえ。溜め込んじまうと身体に悪いからな」
「……ええ」
「とにかく、龍珠の心が腐っちまう前に俺たちがなんとかしてやらねえとな。俺たちまでヘコんでる場合じゃねえぞ」
「そうね」
凰華は拓飛の言葉に少し笑顔を取り戻した。こういう時に夫の前向きさは頼りになる。
チラリと後ろに眼をやってみると、龍珠は昨日とは打って変わって、沈んだ表情で星河の背に揺られている。その眼はいつもの黒真珠のような澄んだ黒色に戻っていた。
(……昨夜の龍珠の金色の眼……。あれは私の見間違いだったのかしら……?)
「凰華、どうした?」
「いえ、なんでもないわ」
拓飛に声を掛けられた凰華は手綱を絞り、夫の隣に追いついた。
(確証を得るまでは拓飛にも話すべきではないわ)
一行は昼食を挟んで、日暮れ時には凰華の故郷『石令舗』の目前までやって来た。
「冷えて来ると思ったら、降って来やがった」
不意に肌寒さを覚えた龍珠が視線を上げると、果たして拓飛の言葉通り、上空から季節外れの雪が舞い落ちて来た。
「……雪だ」
手のひらで雪を受けた龍珠は少し嬉しそうにつぶやいた。
「凰華、お前の故郷じゃ今頃雪が降るのか?」
「いいえ、秋口に入ったばかりで雪が降るなんて記憶にないわ」
「こりゃきっと昨夜、お前が俺に指圧をしてくれたせいだな」
拓飛は軽口を言うと上着を脱いで、珍しそうに雪を見上げている龍珠に羽織らせてやった。
「おじさん、ぼく平気だよ」
「ガキンチョが遠慮すんな。俺は暑いくらいなんだよ。いらねえなら捨てっちまうぞ」
「ありがとう、おじさん」
長身の拓飛の上着を羽織ると、龍珠にとってはブカブカの長袍を着ているようなものである。凰華はどこかで聞いたようなやり取りと、愛らしい甥の長袍姿にプッと笑みを漏らした。
石令舗に入る頃には完全に陽が落ちていた。
雪の勢いが増してきたせいもあって、通りには人の姿はまばらになっており、食堂などは早仕舞いを始めていた。
「仕方ないわね。私が家で何か作るわ。行きましょう」
凰華の言葉に従い、三人は町の外れにある凰華の実家へと辿り着いた。
門を抜けて敷地内に入る寸前で拓飛の足が止まった。不思議そうに龍珠が声を掛けた。
「どうしたの? おじさん」
しかし、拓飛はそれには答えず、
「……凰華。留守中、誰かに家を貸してんのか?」
「……いいえ。近所の人に月に何度か管理を頼んではいるけれど、夜間に入ることは無いはずよ」
「ただのコソ泥……っつうワケでもなさそうだな」
「上手く気配を消しているけれど……、三、四、五人、一人はかなりの使い手ね」
「俺が行く。お前は龍珠から離れるな」
「分かったわ。気を付けてね」
力強くうなずいて拓飛が中庭に足を踏み入れると、ほどなくして母屋の玄関がゆっくりと開き、ついで二人の男女が姿を現した。
男は小柄で醜悪な面構えをしており、十代後半といったところだろう。
女の方は十四、五歳くらいで、男より背が高くしなやかな身体つきをしている。顔立ちは整っているが、両頬には目立つ痘痕があり、まるで豹の斑紋のようにも見える。
二人は全く同じ漆黒の衣装を着ており、同門の者と思われる。
「てめえら、ここは嫁の実家だ! 他人様の家で勝手に何してやがる!」
拓飛が威嚇するように声を上げたが、二人は何の反応も見せない。
「もし一晩の宿として借りてえってんなら、全員出て来て門派と名を名乗れ! そうすりゃ、今夜だけは勘弁してやるぜ!」
普段の拓飛であれば、まずブチのめしてから事情を訊くところだったが、今回は龍珠を連れている。また、相手には小娘がいることもあり、ここまで譲歩する気になったのである。
「……玄貂師兄、どうするの?」
少女が拓飛から眼を逸らさずに口を開いた。
「ケエッ、どうするもこうするもあるかよ。どこのどいつかは知らねえが、間と運の悪い奴は長生きできねえのさ」
言うが早いか、玄貂と呼ばれた男は地面を蹴り、十数丈先に佇む拓飛へと一直線に向かって行った。
かなりの速度ではあるが、拓飛にとっては問題にならない。冷静に突きを合わせようとした瞬間、玄貂の小さな身体が沈み込んだかと思えば、その反動を利用して一瞬で拓飛の背後を取った。
(殺った————)
勝利を確信して拓飛の背骨へと掌打を放った玄貂だったが、眼の前に飛び込んで来たのは背骨ではなく、三面六臂の阿修羅のように瞬時にして向き直った拓飛の顔面だった。
「っな————」
「悪いなあ、おめえみてえにちょこまか動き回る奴の相手は慣れてんだよ」
ニイッと笑った拓飛の頭上から拳槌が弧を描くように振り下ろされ、呆気に取られた玄貂の後頭部を強かに打ち据えた。
これは、役人が矢継ぎ早に判を押す姿から着想を得て拓飛が編み出した『判官押印』の手である。
不届き者として見事に判を押された玄貂は、浜に打ち上げられた海星のように大の字になってのびてしまった。拓飛が十二分に手加減をしていなければ、頭蓋が粉々に砕け脳漿が飛び散っていたことだろう。
兄弟子が一撃で打ちのめされた様を目撃した少女が声も出せずにいると、背後から二つの影が音も無く現れた。
「へっ、次はちったあ手応えがあるといいけどな」
嬉しげに笑みを浮かべた拓飛がひとりごちる。
歳を重ねて精神的にも成熟した拓飛だったが、いざ闘いとなると若かりし頃の顔を覗かせてしまうのだった。




