第十三章『破面(四)』
妻の言葉で迷いを振り切った龍悟は全身に氣を巡らし、体中の氷を溶かしてみせた。恐るべき内功の極致と言えよう。
「さあ来い、龍珠。どれだけ腕を上げたか見せてみろ」
龍悟は笑みを浮かべて双剣を手にした。剣の光を眼にした凰蘭が驚いて声を掛ける。
「おじさま! それは————」
「凰蘭、黙って見ていなさい」
「で、でも…………」
不安そうな表情で凰蘭は慶を見やった。しかし、叔母は一抹の心配も無いような顔で愛する夫と息子を見つめている。一流の武術家の眼力が、刃引きされた剣身を捉えていたのである。
だが龍珠は剣を手にした相手を警戒しているのか、ジリジリと後ずさるばかりで踏み出そうとしない。
「龍珠、来ないのならこちらから行くぞ」
龍悟が瞬時に間合いを詰め、右剣を振るった。手加減はしているとは言え、一門の総帥が振るう技である。傍から見ている凰蘭の眼には光線が迸ったようにしか映らなかったが、龍珠はすんでのところでこれを外した。
「————やるな! では次だ」
息子に剣を躱された龍悟は嬉しそうに左剣を繰り出した。龍珠は慌てた様子ながらも二手目も外してみせた。
「よし! これならどうだ!」
龍悟は笑みを浮かべながら双剣を矢継ぎ早に振るい出した。その様子に凰蘭ははたと気付くものがあった。
(————叔父さまは龍珠に稽古をつけていらっしゃるのだわ)
隣に立つ慶も感慨深い表情で夫と息子を一心に見つめている。龍の親子は今まで出来なかった心の交流を図っているのである。凰蘭も涙を堪えて見守ることに決めた。
————数十手ほど稽古が続いた頃、凰蘭はあることに気が付いた。
「……叔母さま、叔父さまの剣速が…………」
「…………」
凰蘭の指摘通り、龍悟の振るう剣が鋭さを増しているのである。最初は三割程度だった剣速が、今は七割方まで上がっている。慶は美しい眉をひそめた。
叔母の顔色から自分の指摘が間違っていないと確信した凰蘭は、再び二人へ顔を向けたところ新たな異変を感じ取った。
微笑を浮かべていた龍悟の顔が曇り始めているのとは対照的に、慌てふためいた様子で辛くも剣を躱していた龍珠が、今は最小限の動きで難なく攻撃を躱している。まるで事前に剣の軌道が分かっているかのように————。
その時、防御に徹していた龍珠が反撃の一手を繰り出した。ここまで早く返し技を打ってくるとは予想していなかった龍悟が間合いを空けると、龍珠はその動きを先読みするように掌打を放つ。
「くっ!」
『玄冥氷掌』を受けた左腕が再び凍りつき、龍悟は右剣で龍珠を突き放しに掛かったが、やはり龍珠は剣の『起こり』よりも先にトンボ返りして距離を取った。
「————見て! 龍珠の眼が!」
何かに気付いた凰蘭が指を差した。その先には、さっきまでは淡い輝きだった龍珠の金色の瞳が黄金と見紛うばかりの強烈な光を放っている。だが、変化はそればかりではない。
その瞳孔は、龍を彷彿させる縦長のものに変わっていた————。
「……龍珠、お前……‼︎」
「龍珠……ッ」
息子の変貌に龍悟と慶が声を失っていると、龍珠が眼を見開き指を突きつける。
「————お前のせいだ! 拓飛おじさんと凰華おばさんが! あんなことになったのも全部! お前のせいだ‼︎」
『————‼︎』
龍珠は絶叫を上げ、龍悟に飛び掛かった。息子が凄まじい形相で迫る中、龍悟の胸中には様々な感情が入り乱れていた。
(龍珠のあの眼、あれはまさか————いや、それより龍珠はやはり凰華姉さんと拓飛の行方を————まずは、龍珠の動きを止めなくては————)
龍悟はギッと歯を食いしばり、渾身の一閃を放った。喩え剣の軌道が読めていようと躱すことの出来ない入神の技である。
龍珠の青白き肌に光の剣が届くと思われた刹那————、
「————父さま……、僕を、また捨てるの……?」
龍悟の双眸に幼き日の龍珠が映り、その剣は肌に触れる寸前で消え失せた。
「……龍珠、強くなったな……」
先ほどまで剣を握っていた右手で、龍悟は息子の頭を愛おしそうに撫でた。
「凰華姉さんと拓飛おじさんを頼ん————…………」
続く言葉は途切れ、青龍は右手を伸ばした姿勢のまま動かなくなった。
「————と、父さま……‼︎」
全身を氷漬けにされた父の姿を前にした龍珠がつぶやいた。その眼は黒真珠のような澄んだ黒色に戻っている。
「うう……っ、うわあァァァァァ————ッ‼︎」
父を氷漬けにした魔性の手で頭を抱えた龍珠は、狂ったように叫び声を上げて掌門の間を飛び出した。
———— 第十四章に続く ————




