第十三章『破面(二)』
————緑深き高山の麓に、二人の男と一人の女の姿があった。
背が高く筋肉質の男は青い外套を纏い、もう一人の痩身の男と、頬に豹紋のような痘痕がある女は揃いの黒装束に身を包んでいる。
「……ここが泰山だ。ここから先は馬が使えない。軽功を使うが連いてこれるだろうな?」
青い外套の男————青龍派の門人・柳正剛が試すように言うと、痘痕顔の女————玄冥派の四番弟子・玄豹が口を開く。
「誰に言っているの? 私たちは歩くこともままならない吹雪の雪山で軽功を磨いているのよ。舐めないで頂戴」
「フン……」
不機嫌そうに鼻を鳴らす正剛に対し、痩身の男————玄冥派の二番弟子・玄狼が顔を向けた。
「つまらんことを訊いている暇があるなら、さっさと行け。時間の無駄だ」
「……本当に『敖光洞』へ案内すれば、蘭を解放するんだろうな……⁉︎」
「グズグズしていたら、玄貂の奴が何を仕出かすか分からんがな」
「…………ッ」
玄狼の言葉に正剛は泰山の頂上へ向き直ったが、その足がピタリと止まった。
「何を止まっているのよ。師兄の言葉が聞こえなかったの?」
「……敖光洞へ行く前に、もう一つだけ訊いておく。貴様らの仲間の玄龍という男についてだ」
正剛の口から溺愛している弟弟子の名が出ると、玄豹の表情が険しくなった。
「……玄龍が何だって言うのよ……!」
「奴の仮面の下の素顔は師父と瓜二つだった。奴————いや、あの方は失踪した師父の御子息・龍珠さまじゃないのか⁉︎」
「————龍珠……‼︎」
正剛の言葉に玄豹の眼が大きく見開かれたが、玄狼は僅かに眉を持ち上げ口を開いた。
「……ここで話していても始まらん。行けば分かることだ」
二頭の龍の双眸が交じり合う————。
刻んできた時間こそ違うが、その顔は鏡合わせのようにそっくりだった。
「……龍珠、お前なのか……‼︎」
「そうよ、叔父さま! 記憶は失っているけれど、この人はあなたの一人息子、龍珠よ!」
「記憶を……!」
信じられないといった表情の龍悟に、感激の涙を流した凰蘭が答える。凰蘭は茫然と立ち尽くす玄龍————龍珠の肩にそっと手を掛けた。
「龍珠、こちらがあなたのお父さまよ……! 叩頭してご挨拶なさい」
「……この人が、俺の……父親……⁉︎」
「そうよ、お母さまにもすぐに会えるわ。そうしたら記憶だって、きっと戻るわよ……!」
「俺……僕の、父親……父さま……」
龍珠は虚空を見つめ、気が触れたようにブツブツとつぶやいている。
「龍珠、本当にお前なんだな……?」
諸手を広げた龍悟が近付くと、ビクリとした龍珠が顔を上げた。再び親子の双眸が重なり合う。
「もっと、よく顔を見せてくれ……!」
「…………」
「ああ……、大きくなったな。私の若い頃に瓜二つだ……!」
微笑みを湛えた父とは対照的に、息子の表情は徐々に険しさを帯びてきた。
「……どうして————」
「ん?」
「————どうして、あの時、僕を叱ってくれなかったんだ‼︎」
龍珠は凄まじい形相で叫んだ。
「と、突然なにを言うの。龍珠……」
なだめるように凰蘭が肩を抱いて声を掛けるが、龍珠は乱暴にその手を振り払った。
「どうして、僕に稽古をつけてくれなかったんだ‼︎」
「……すまない、私はお前との接し方が分からなかった……」
顔を伏せて龍悟が答えると、龍珠はさらに声を荒げた。
「だから僕を捨てて、凰蘭と交換したんだ‼︎」
「————‼︎」
息子の積もり積もった心の内を聞かされた龍悟は声も出せない。
「龍珠……、そんなこと————ッ」
再度、従弟をなだめに掛かった凰蘭が怯えた様子で後ずさった。父を睨みつける龍珠の眼が、凶々しい金色の光を放っていたのである。
「龍珠……、その眼は……!」
「————うるさいッ!」
ようやく口を開いた龍悟に、突然龍珠が襲い掛かった。
「————龍珠!」
「退がっていなさい、凰蘭!」
声を掛けている間にも龍珠は必死の形相で拳を振り回してくる。それはまるで武術の型を為しておらず、幼児が父親に向かって思い切りぶつかっているようなものであった。
龍悟にとって躱すことなど造作もなかったが、息子の気持ちを受け止めるように胸を突き出したところ、そばで見ていた凰蘭が叫び声を上げた。
「————叔父さま、受けては駄目‼︎」
「————ッ⁉︎」
しかし時遅く、龍珠の魔性の手が龍悟の胸に添えられると、瞬時に耐え難い寒気が押し寄せてくる。
「くっ————」
歯を食いしばって後方に距離を取った龍悟だったが、着地した時には胸の部分が僅かに凍りついていた。
「これは……!」
「叔父さま! 龍珠は玄冥派と言う門派に拾われて、触れただけで相手を凍りつかせる恐ろしい技を身につけているの!」
「なに……!」
驚愕の表情で龍悟は息子を見た。金色に眼を光らせ全身から冷氣を放つその姿に思わず龍悟は寒気を覚えたが、それは凍りついた胸のせいばかりではない。
————十六年前の自分が、そこに立っていたのである。
あの時の己も同じような形相で父を睨みつけていたはずだ。父を殺そうとした因果が巡り巡って、己に降りかかろうとしている。
「…………これも、父を斬ろうとした報いという訳か……」
皮肉めいた笑みを浮かべて、龍悟はつぶやいた。




