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第十章『追憶(四)』

 玄貂ゲンチョウに抱きかかえられた凰蘭オウランは羞恥と憤怒の感情が入り混じった表情を浮かべていたが、衣服や髪はさほど乱れておらず、特段怪我も負ってはいないようである。その様子を確認した玄龍ゲンリュウはホッと一息ついた。

 

 しかし、その身体は人形のように固まっており、猿轡さるぐつわなど噛まされていないにも関わらず一言も発することが無い。恐らく玄貂の手によって点穴を施されているのだろう。

 

「…………」

「おっと、それ以上近づいたら、このお嬢ちゃんがどうなるか分かるよなあ?」

 

 玄貂が凰蘭の首に手を当てると、玄龍は歩みを止めた。

 

「……俺にそのが人質になるとでも?」

「だったら、そのまま近づいて来りゃあいい。さっきも言ったが、軽功なら俺が上だ。一瞬でお嬢ちゃんの喉笛を掻っ切ってトンズラさせてもらう」

「…………」

 

 無言で玄龍が脚を引くと、玄貂は面倒臭そうに舌打ちをした。

 

「つまらねえ駆け引きしてんじゃねえよ。大体てめえにとって、このガキがどうでもいいなら、わざわざ助けになんか来ねえだろうが」

「……では交換しませんか?」

「交換? カネでも出そうってのか?」

「いいえ」

 

 玄龍は懐から黒光りするモノを取り出した。

 

「玄武派の者から奪った物です。これとその娘を交換でどうでしょう」

 

 玄龍が掲げた玄武牌を眼にした玄貂は物欲しそうに喉を鳴らしたが、すぐにいつもの表情に戻った。

 

「……それじゃあ足りねえな。なんたって、このガキは掌門一人分の価値があるかも知れねえんだ」

 

 その言葉の意味は分からなかったが、玄龍は深く追求せず再び懐に手を入れた。

 

「では、コレならどうですか?」

 

 玄龍の手のひらにある赤黒い丸薬に玄貂の眼が釘付けになった。

 

「————てめえ……っ、正気か⁉︎ なに考えてやがる……⁉︎」

「一応正気ですよ。俺には十日もあれば充分です」

 

 玄龍たち玄冥派にとって命綱とも言える陽丹丸ようたんがんをまるで菓子のようにくれてやると言う弟弟子おとうとでしの言葉を信じられず、玄貂は疑いの眼差しを玄龍に向けた。

 

「偽物掴ませようったってそうはいかねえ。てめえみてえなガキにこの俺様が騙されるモンかよ」

「…………」

 

 玄龍は無言で陽丹丸を一つほおった。受け止めた玄貂の眼が大きく見開かれる。間違いなく本物である。しかし、その眼の奥の猜疑心はなおも消えてはいなかった。

 

「へっ、どうせ手渡す瞬間に手を出すつもりだろうが……!」

「……つまらない駆け引きをしているのはどっちですか。いいでしょう、師兄も要らないと言うなら、こうするまでです」

 

 疑り深い人間とは得てして相手も同じだと思うものである。溜め息を漏らした玄龍は残りの陽丹丸を足元に落とすと、脚を振り上げて見せた。

 

「————待てッ‼︎ 分かった、分かった!」

 

 捕えていた凰蘭を放り出し、慌てた様子で玄貂が手を伸ばした。同時に玄龍の足が陽丹丸を踏み潰す寸前でピタリと止まる。

 

「交渉成立ですね。では行きますよ」

 

 玄龍は九粒の陽丹丸を子袋に入れると、倒れている凰蘭とは反対方向にほおった。玄貂は玄龍が凰蘭の元へ駆け寄るのを確認して陽丹丸の回収に向かった。

 

「ケケッ! ホンモノの陽丹丸がさらに十粒も!」

 

 玄貂はまるで大粒の真珠でも手に入れたかのように、嬉々として陽丹丸を掲げている。玄龍はその様子を冷めた眼で眺めていたが、玄貂が落ち着くのを待って声を掛けた。

 

「師兄、もう一つ取引しませんか?」

「取引だと……?」

「ええ、先ほどの『俺と初めて会った、始まりの場所』という意味を教えてもらえませんか? 教えてくれれば玄武牌もお渡しします」

「…………」

 

 玄貂はしばらく何やら考え込んでいたが、ゆっくりと口を開いた。

 

「そのまんまの意味だ。五年前、俺たちはおめえと此処ここで出会った」

「————俺たち? 師父も玄狼ゲンロウ師兄も玄豹ゲンヒョウ姉さんも一緒だったんですか⁉︎」

 

 感情をたかぶらせて声を上げる玄龍に呼応するように、玄貂の顔に凶悪さが滲み出てくる。

 

「……あの時、てめえなんぞにやられなけりゃあ、俺はこんな目に遭うことも無かったんだ……‼︎」

「俺が師兄と闘った……⁉︎」

「…………」

 

 再び玄龍に問い掛けられた玄貂は無言になり、落ち着きを取り戻した様子で手を伸ばす。

 

「ここから先は牌を寄越してからだ」

「————ッ」

 

 玄龍は牌を投げるのももどかしいとばかりに乱暴に放り投げた。

 

「さあ、早く答えてください!」

 

 玄武牌を受け取った玄貂は真贋を確かめるように手中で弄んでいたが、やがて懐に突っ込むとニタリと歪んだ笑みを見せた。

 

「……悪いが、五年も前のことなんざ忘れちまった」

「————なッ」

 

 玄龍が身を乗り出した瞬間、玄貂は蝋燭ろうそくの火を吹き消し、そのまま夜陰に溶け込んでいった————。


      ———— 第十一章に続く ————

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