第十章『追憶(一)』
漆黒の夜空に四つの灯火が幽魂のように浮遊している。
「星河……お前、空を飛べるのか……!」
玄龍は驚いた様子で、宙を飛行する白馬に話しかけた。星河と呼ばれた白馬は嬉しそうに鼻を鳴らして応える。玄龍は仮面の下で微笑を浮かべたが、次の瞬間にはその眼が見開かれた。
「…………なんで俺は、お前の名を知ってるんだ……?」
————不意に記憶の断片が紙芝居のように脳裏に浮かび上がり、白い毛並みの白馬の背に揺られている情景が蘇った。
「……俺は以前にも、お前に乗ったことがある……?」
次いで、先を進む一組の男女の背が映り込んできた。
男は虎を想起させる立派な体躯の持ち主で、主人に劣らぬ威容の白馬に騎乗している。
その傍らには雪のような真白い装束を纏った女が轡を並べており、騎乗するは薄紅色の毛並みを持った牝馬である。
(この人たちは……、どこかで……)
懐かしい感覚に捕われていると二人が振り返った。しかし、逆光でその顔はハッキリと見えない。
(あなたたちは誰なんだ、俺のことを知っているのか……?)
その時、背後から呼び掛けられた気がして振り返ると、別の男女が佇んでいるのが見えた。
女は透き通るような肌の大層美しい顔立ちをしており、こちらを愛おしげに見つめている。その微笑みは全てを包み込んでくれるかのように暖かい。
(俺はこの人のことも知っている……、でも…………)
やはりどうしても思い出すことが出来ず、思わず男の方へ視線を送ると全身に衝撃が走った。
————そこには、己と同じ顔を持った男が立っていたのである。
(あれは俺……⁉︎ ————いや、違う……)
男は確かに自分と瓜二つの顔をしているが、よくよく見れば年齢が一回り以上も上だと思われた。美貌の男は寂しげな表情を浮かべ、何と声を掛ければ良いか思案しているようである。
(あなたは、まさか……俺の————ッ!)
男のことを思い浮かべた刹那、強烈な痛みが頭部を襲い、記憶の断片は硝子のように粉々に砕け散ってしまった————。
————眼を開けると、いまだ白馬の背に揺られていることに玄龍は気付いた。
何か夢を見ていたような気がするが、それがどんなものだったかはどうしても思い出せない。ウンウンと玄龍が唸っていると、星河が心配そうに目線を向けて来る。
「心配してくれるのか、ありがとう」
ポンポンと首を叩かれた星河はまたも嬉しそうにいなないた。玄龍はしばらく星河の首筋を撫でていたが、ふと、ある疑問が湧いてきた。
「……お前、俺を何処に連れて行こうっていうんだ?」
星河は鼻を鳴らして応えるものの、流石に玄龍には馬の言葉は解せない。
「そう言えば、お前に乗っていた青い上着の女の子はどうしたんだ?」
この質問に星河は悲しげにいなないた。その様子を見た玄龍に閃くものがあった。
「————もしかして、お前の主人に何かあって、救いに行くっていうことなのか?」
星河は玄龍の言葉を理解したかのようにうなずくと、一際大きくいなないた。
どうやら白馬は主人を助けるために、自分に助太刀を頼んでいるらしい。本来ならば命の期限が迫っていることもあり、他人の窮地に手を貸している場合ではないのだが、この白馬は自分と関わりがあるような気がしてならない。
「いいよ、星河。お前の主人のところに案内してくれ」
玄龍が力強く手綱を握ると、星河は闇夜を駆ける流星のように速度を上げた。
「————チッ、あの馬、まさか手綱を噛み切って逃げやがるとは……」
漆黒の闇の中に男の悔しそうな声が木霊する。しかし数瞬の後、男は気を持ち直したように声色を変えた。
「……まあ、いいや。お人形さんが二つも手に入ったんだ」
「…………」
男が嬉しそうに言うと、闇の中から何かが身動ぐ気配が感じられた。
「操り人形が土産を持って帰って来るまで、俺はこっちの着せ替え人形で憂さを晴らさせてもらおうかねえ……!」
「…………ッ」
男の下卑た声は愉悦に塗れていた。




