第九章『相席食堂(一)』
玄貂より遅れて『氷鏡廊』を出発した玄狼・玄豹・玄龍の三人は雪原を抜けて再び街道付近へと戻って来た。
しかし、その間誰一人口を開く者は無く、終始無言の状態であった。己の命の期限が百日を切っており、さらに命懸けの無理難題を吹っ掛けられているとあっては無理からぬことであろう。
「————ねえ、氷鏡廊を出てから何も口に入れていないわ。あそこで何か食べていきましょう?」
この重い雰囲気を嫌ったのか玄豹が突然言い出した。その視線の先には、街道沿いに小さな食堂がポツンと一軒だけ見える。
「……そうだな、これからのことも相談しなければな」
「…………」
先頭を行く玄狼が低く答え、玄龍が無言でうなずいた。
食堂はこじんまりとしたもので、中には卓が三つしかない。三人は入り口を見渡せ、かつ裏口に近い卓に陣取った。
少し待つと五十代くらいのオヤジが面倒くさそうに水の入った茶碗を持って来た。オヤジは龍面を着けた玄龍の姿を見て一瞬ギョッとした表情を浮かべたが、街道沿いの店だけあって無頼の輩や大道芸人なども珍しくないのだろう、すぐに目線を逸らして冷ややかに口を開いた。
「……ご注文は?」
「牛肉と飯と羹を適当に見繕ってくれ。酒はいらん」
玄狼が答えると、オヤジは返事もせずに厨房へと引っ込んで行った。その背を見ながら玄豹が呆れた様子でつぶやく。
「無愛想な店主ね、アレでよく客商売をやってるものだわ」
「構うな、色々口うるさく訊かれても面倒だ。それより、俺たちはあと九十九日以内に青龍牌か玄武牌を百枚集めなければならない」
「それも、一人アタマ百枚……」
『…………』
玄龍が言葉を引き取ると、玄狼と玄豹は押し黙った。しばしして、ようやく玄狼が重い口を開く。
「……狙うなら、やはり青龍牌だろうな。同じ流れを汲む玄武派よりも、相性の良い青龍派にひとまず照準を絞ろう」
「それはいいけど、何か手はあるの?」
「ひとまず青龍派の者を数人狩って、奴らが援軍を寄越して来るのを待ち伏せするのはどうだ? 上手く釣られてくれれば効率的だ」
「そんな悠長にしていたら百日なんてあっという間です。青龍派の本拠に乗り込んだ方が確実ではないですか?」
「玄龍、それは最終手段だ。たった三人で殴り込みなど出来るものか。……いや待て、確か以前————」
玄狼は何かを思い返すかのような素振りを見せた。
「どうしました? 師兄」
「……いや、なんでもない。とにかく乗り込むというのなら、俺は協力はしない。独りでやらせてもらう」
「師兄、考えたんだけど何も馬鹿正直に牌を百枚も集めなくても良いんじゃないかしら」
「どういうことだ?」
出し抜けに玄豹が言うと、珍しく色めきだった様子で玄狼が訊いた。
「牌が存在するということは造った人間がいるということよ。そいつを探して新たに三百枚造らせればいいのよ」
得意げな様子の玄豹だったが、対照的に玄狼の表情は沈んだ。
「それは良い考えだが、牌の細工師は各々の本拠に駐在しているはずだ。そいつを捕えるには、結局乗り込まなければならない」
「じゃ、じゃあ、とりあえず一枚は手に入れるの。それを————」
「複製するのか、姉さん」
玄龍が続く言葉を引き取り、玄豹はニヤリと笑みを浮かべた。
「そう! 腕利きの細工師に牌を複製させるの。これならどう?」
「……それも無理だ。青龍牌は特別な青銅を用いて、秘伝の製法で造られているらしい。生半可な物では師父の慧眼は誤魔化せないだろう」
玄狼に否定された玄豹は暗い顔でうつむいた。
「……師父はどうしてあんなに青龍派に固執しているのかしら……? 破門された玄武派を恨んでいるのは分かるけど……、師兄は何か知ってますか?」
「いや、分からん。俺が師父に拾われる前に何か因縁があったのかもな」
「そう…………」
再び三人が黙り込んだ時、鼻腔をくすぐる良い匂いが漂って来た。店のオヤジが料理を運んで来たのである。オヤジは相変わらず無愛想なまま無言で料理を卓に並べた。
「ねえ、お腹が空いてたら良い考えも浮かばないわ。冷める前にいただきましょう」
「そうだな……」
玄豹と玄狼は早速料理に箸をつけ口に運んだ。幾度か咀嚼した後、玄豹の眼が大きく見開かれた。
「————玄龍! この料理、すごく美味しいわよ。あなたも早く食べてみなさい!」
「ああ」
言う通り玄龍は仮面を外して、牛肉を一切れ口に運んだ。それは安物の肉ではあったが、噛みしだいた途端に柔らかくほぐれ口中に旨味と脂が広がった。どうやらここの主人は態度は悪いが、腕の方は確からしい。
「……本当だ。こんなに美味い料理を食べたのは、あの時以来かも知れない……」
「あの時って?」
不思議そうに玄豹が訊くと、玄龍は突然自らの頭を押さえて苦しみ出した。
「……分からない……、以前、誰かに料理を作ってもらったんだ……、でも、それが誰だったか、いつのことだったか思い出せない……!」
「玄龍、落ち着いて! 水よ、ゆっくり飲んで!」
手渡された水を飲み干した玄龍は深呼吸した後、ようやく落ち着いた様子を見せた。
「大丈夫……? 玄龍」
「……ああ。すまない、姉さん」
「……玄龍、何か思い出せたのか……?」
純粋に弟弟子を心配する様子の玄豹に対して、玄龍は何かを探るように声を掛けた。
「いえ……、もう少しで何か思い出せそうではあったんですが……」
「……そうか。まあ、あまり無理をするな。お前は大事な戦力なんだからな」
「はい……」
玄龍が小さく返事をした時、店の入り口から一人分の足音が聞こえてきた。




