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第一章『蒼顔美少年(二)』

 龍珠リュウジュが床に入ってしばらくすると拓飛タクヒが鍛錬から戻ってきた。凰華オウカはその姿を認めると、湯呑みを差し出し微笑む。

 

「お疲れ様。はい、お茶よ」

「おう、悪いな。龍珠は?」

「奥でもう寝てるわ」

「そうか」

 

 茶を一口すすった拓飛は、フウッと長嘆をもらした。

 

「あなたが鍛錬で疲れるなんて珍しいわね」

自分てめえのことならなんてこたぁねえんだが、弟子を仕込むってのは案外疲れるモンなんだな。しかも相手が十やそこらのガキンチョときた」

 

 凰華は珍しく弱音を吐いた夫に意地悪な表情を向けた。

 

「天下の『凌雲飛虎りょううんひこ』も子供相手だと形なしね」

「おい、俺はそんな恥ずかしい名を名乗った覚えはねえぞ」

「私だって『白凰娘子はくおうじょうし』なんて一度も名乗っていないわ。他にも陰では『虎女房』だなんて言われてるらしいけれど」

「へっ、『雌虎』の間違いじゃねえのか?」

 

 からかうように笑った拓飛だったが、妻の刺すような視線を向けられると、瞬時に黙り込んだ。

 

ガク先生のやり方を参考にしたらどう?」

「あのオッサンのやり方じゃあ虐待になっちまうぜ」

「ふふ、虐待の連鎖はあなたの代で終わりにするってワケね」

 

 凰華は口に手を当ててクスクスと笑った。婉然と微笑むその様は十年前と少しも変わっていない。

 

「お前はあの頃と変わらねえな。西王母セイオウボのバアさんから不老不死になる桃でも貰ったのか?」

「何よ、ソレ? からかわないで」

 

 手を振って否定した凰華だったが、夫に若さを褒められて満更でもない。

 

「俺を見ろよ。忌々しい白髪の野郎がまた攻めてきやがった」

 

 凰華は夫に顔を向けた。黒々とした頭部のびんの部分に一本だけ白いものが混じっている。

 

「気にすることはないわ。遅かれ早かれ、みんな白髪のお爺ちゃんとお婆ちゃんになるのよ」

「ああ、そうだな」

 

 拓飛が辛い過去を思い出さないように、凰華は話題を変えた。

 

「それにしても、岳先生は今どちらにいらっしゃるのかしら? もう十年以上お会いしていないわ」

「さあな、見つけたら今度こそブチのめしてやるのによ」

 

 拓飛は拳を握り、凶悪な顔つきになった。

 

「よしなさいよ、岳先生は隻腕なのよ?」

「フン、あのオッサンが腕一本になったくれえで弱るタマかよ」

「それもそうね。ただ、あなたも相当腕を上げたけれど、十年前の岳先生にはまだ僅かに及ばないと思うわ」

「分かってるよ」

 

 吐き捨てるように言うと、拓飛は残っていた茶をグイッと飲み干し、

 

「んなことより、お前は龍珠をどう見る?」

 

 いつに無く真剣な面持ちで拓飛は凰華に問いかけた。

 

 

 

 ————十年前、リョウ拓飛とセキ凰華夫妻の元に一人の女児が産まれた。

 

 女児は『凰蘭オウラン』と名付けられ、二人に大層可愛がられた。

 

 そのせいもあってか凰蘭はワガママでおてんばな性格に育ってしまい、五歳になった時のある出来事が、その性格に拍車をかけた。

 

 なんと教えてもいないのに自然に内功も会得してしまったのである。

 

 突然強大な力を身につけた凰蘭は、気に入らないことがあると家具に当たり散らし、果ては近所の悪ガキに喧嘩で大怪我を負わせる騒ぎも起こした。

 

 拓飛と凰華は凰蘭に折檻しようとしたが、愛娘に涙ぐんで甘えられると振り上げた手を静かに下ろしてしまい、どうしてもしつけることが出来ずにいた。

 

 

 ————凰蘭が産まれた同年、黄龍悟コウリュウゴ李慶リケイ夫妻の元には男児が産まれ、『龍珠』と名付けられた。

 

 龍珠は美男美女の両親譲りの美形に生まれたが、同時に気弱な性分も生まれ持ち、争い事は好まず武術よりも学問を学びたがった。

 

 決定的となったのは、やはり五歳の時であった。

 

 なんと龍珠も自然に内功を会得してしまい、歳上の稽古相手に大怪我を負わせてしまったのである。それ以来、龍珠は武術からますます心が離れてしまった。

 

 凌家と黄家はそれぞれの娘と息子を厳しくしつけることが出来ず、どうしたら良いものか途方に暮れ、悩んだ末ある一計を案じた。

 

 

 ————それは、八歳になったお互いの子を相手の家に預けて十五の年まで教育を施すというものであった。

 

 

 かくして、黄龍珠は凌家に、凌凰蘭は黄家にそれぞれ預けられて二年の月日が経った————。

 

 

 

 凰華は少し考え込んでから、夫の質問に答えた。

 

「どうって、優しくて良い子じゃない。頭も良いわよ。まだ十歳なのに大人でも難しい本を何冊も読破してるんだから」

「そんなことを訊いてんじゃねえ。俺が言ってるのは武術の話だ」

 

 凰華はうつむいて絞り出すように口を開いた。

 

「……弟と慶さんの息子だもの。この二年で内功の制御も出来るようになったし、才能は間違いないと思う。ただ————」

「ただ?」

「あの子は優しすぎるわ。それは人間としては美徳だけれど、武術家としては……」

 

 妻の答えに拓飛は首肯した。

 

「俺もそう思う。才能は申し分ねえ。手加減したとはいえ、アイツはさっき俺の攻撃を何度も躱しやがった。だが————」

 

 拓飛は腕組みをして険しい面持ちになった。

 

セキ義父おやっさんの言葉だったな、『身体と技は鍛えられても、心は持って生まれた要素が大きい』か……」

 

 ここまで話すと、拓飛は押し黙ってしまった。

 

「……ウチのお嬢さまは元気でやっているかしら……」

 

 独り言のような、問いかけのような、凰華のつぶやきが夜の廃廟に虚しく響いた。

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